仲井戸麗市

1950年10月9日生まれ、東京都新宿区出身のロック・ギタリスト。愛称は“チャボ(CHABO)”。“麗市”は敬愛するフォーク・シンガー、ドノヴァン・フィリップ・レイチが由来。高校時代にロック・バンド“古井戸”を結成。72年に『古井戸の世界』でデビューを果たす。79年の解散後、RCサクセションに正式加入。忌野清志郎とともに時代を代表するロック・ギタリストとしてシーンに君臨。以降、85年には初のソロ・アルバム『THE 仲井戸麗市 BOOK』を発表。91年には土屋公平とのユニット“麗蘭”を結成するなど、多岐に渡って活動を展開。自身のライヴのほか、ゲストとして数多くのアーティストのステージで活躍中。

中川五郎

中川五郎(なかがわ ごろう) 1949.7.25.大阪府出身。67年に岡林信康と出会い、フォークシンガーとしての活動を開始。68年、中川五郎が作詞した「受験生ブルース」を高石ともやが歌ってヒットさせたことで注目を集めました。69年、六文銭とのカップリングアルバム『六文銭・中川五郎』でレコードデビューしますが、70年に歌手活動をストップ。その後、文筆活動を主体として活動していきます。76年にアルバム『25年目のおっぱい』、78年に『また恋をしてしまったぼく』をリリースしていますが、その後のアルバムリリースは、26年後の2004年となりました。

中西圭三

中西圭三(なかにしけいぞう) 1964.11.11生まれ、岡山県出身。ソングライターとしてキャリアをスタートさせ、中山美穂、Winkなどに楽曲を提供していましたが、91年に「タンジェリン・アイズ」で歌手デビュー。92年に「Woman」がヒットして脚光を浴びました。豊かな表現力で歌手活動をする一方、作曲家としてもZOOの「Choo Choo TRAIN」(後にEXILEがカヴァー)、ブラックビスケッツの「Timing」などをヒットさせています。2000年代には、NHK「おかあさんといっしょ」の「ぽよよん行進曲」「まんまるスマイル」などの話題曲も手掛けています。

中村あゆみ

中村あゆみ(なかむらあゆみ) 1966.6.28生まれ、福岡県出身。福岡でプロデューサー高橋研に見出されて84年にシングル「MIDNIGHT KIDS」でレコードデビュー。せつなさを込めたシャウトヴォーカルで歌い上げるスタイルが注目を集め、85年の「翼の折れたエンジェル」の大ヒットでブレイクしました。デビュー当初の楽曲は高橋研が手掛けていましたが、その後、自らソングライティングやプロデュースも行うなど、アーティストとしての成長を見せていきます。90年代以降、結婚・出産などでアーティスト活動をセーブしていましたが、04年の「湯沢フィールド音楽祭」出演をきっかけに、本格的な活動を再開しています。

中山ラビ

東京都出身のシンガー・ソングライター。ボブ・ディランや岡林信康らに影響を受ける。大学在学中に詩人の中山容が訳詞したボブ・ディラン「俺じゃだめ」でライヴ・デビューを飾り、“女ボブ・ディラン”の異名をとる。以後、関西に拠点を移す。1972年12月、1stアルバム『私ってこんな』でメジャー・デビュー。ラジオのパーソナリティやシングルがドラマ主題歌に起用されるなどで耳目を集める。その後、演劇や舞踊など他分野とのコラボレーションなど新たな活動に取り組むも、80年代後半に活動停止。97年に活動再開。また、バンド“ラビ組”を結成。東京・国分寺の喫茶店“ほんやら洞”のオーナーを務めながら、ライヴ活動を継続。

永井真理子

永井真理子(ながいまりこ)  静岡県出身。87年、シングル「OH!ムーンライト」でデビュー。エネルギッシュでキュートなヴォーカル・スタイルで、ライヴや学園祭で人気を集めていき、「ミラクル・ガール」「ZUTTO」などのビッグヒットを連発します。そして、89年に日本武道館2DAYS、翌90年には武道館3DAYSなどアリーナクラスの動員を誇る人気者となりました。その後、歌手活動をセーブする時期も経て、2003年にはオーストラリアに移住。自らのレーベルもつくり、マイペースでの音楽活動を続けています。

長渕剛

長渕 剛(ながぶち つよし) 1956.9.7.鹿児島県出身。吉田拓郎の影響を受けてシンガー・ソングライターとしての活動を始めました。76年にポピュラーソングコンテストに九州代表として出場。77年にシングル「雨の嵐山」をリリースしますが、本格的なデビュー曲は78年の「巡恋歌」です。その後「順子」「ろくなもんじゃねえ」「乾杯」「とんぼ」などヒット曲を輩出します。ライヴアーティストとしても定評があり、92年には東京ドームでたった一人のステージをやり遂げました。

なぎら健壱

なぎら健壱(けんいち)  1952.4.16.東京都出身。70年の第二回全日本フォークジャンボリーに飛び入り出演。そのときに歌った「怪盗ゴールデンバットの歌」がフォークジャンボリーのライヴアルバムに収録されて注目を浴び、72年にアルバム『万年床』でレコードデビューしました。73年には、大相撲をテーマにしたコミカルなシングル「悲惨な戦い」をリリース、歌詞に問題があると放送禁止となりましたがヒットを記録。その後も、カントリーフォーク色の強い曲を中心にしたシンガー・ソングライターとして活躍を続けています。同時に、俳優、エッセイストとしても高い評価を受けています。デビュー当初は「なぎらけんいち」でしたが、現在は「なぎら健壱」と表記しています。

NASA

NASA ナサ
80年代初頭に活躍した日本のフュージョン系バンド。フュージョンをベースにしたサウンドとはっきりしたメロディを特色とし、楽曲によって日本語と英語の歌詞を歌い分けていたことも。81年にヴォーカル兼ヴァイオリニストとして亀井登志夫が参加。メンバーはほかに、ギターに角田順(元もんた&ブラザーズ)、ベースに渡辺和義(藤丸バンド)、キーボードに大浜和史、ドラムスに三浦晃嗣(SHOGUN、Dr.K)が在籍。アルバム『千夜一夜』とシングル「誘惑ゾーン4425」をリリース。「キリンレモン」CMソング「南十字星(サザン・クロス)を追いかけろ」などを手掛けるも、その後自然消滅。

西岡恭蔵

西岡恭蔵(にしおか きょうぞう) 1948.5.7.三重県出身。ビートルズやアメリカのフォークシンガーの影響で、早くから歌を作っていました。1970年頃に大阪で、大塚まさじ、永井洋と「ザ・ディラン」を結成しますが72年に脱退し、ソロアルバム『ディランにて』をリリース。シンガー・ソングライターとしてのセンスは高く評価され、「プカプカ」「春一番」「サーカスにはピエロが」など、多くの名曲を発表しています。99年死去。

ニュー・サディスティック・ピンク(NSP)

NSP(えぬえすぴー)

岩手県一関工業高等専門学校の同級生、天野 滋(あまの しげる vo、g)、中村 貴之(なかむら たかゆき vo、g )、平賀 和人 (ひらが かずと vo、b )が1972年に結成したフォークグループ。73年、ポプコンでニッポン放送賞を受賞したのをきっかけにデビュー。74年、「夕暮れ時はさびしそう」が大ヒットし、同年のアルバム「N.S.P. Ⅲ ひとやすみ」もオリコン4位のヒットを記録し、叙情派フォークを代表するグループとなりました。85年、中村、87年、平賀の脱退でNSPの活動は停止しましたが、2002年にオリジナルメンバーで復活。精力的に活動を再開しましたが、05年、天野の急死で幕を閉じました。

猫(ねこ) 1971年、カレッジフォークの人気グル―プだったザ・リガニーズの常富喜雄(つねとみ のぶお)、内山 修(うちやま おさむ)と、ジ・アマリーズの田口 清
(たぐち きよし)が結成したグループが「猫」です。当初は吉田拓郎のバックバンドもし
ていましたが、72年に「人生なんてそんなものさ」でレコードデビュー。同年、吉田拓郎が作詞・作
曲した「雪」「地下鉄に乗って」がヒットして、人気グループの仲間入りをしまし
た。その後、石山恵三(いしやま けいぞう)、西木栄二(にしき えいじ)が参加します
が、西木は短期間でグループを離れ、御守孝明(おんもり たかあき)が短期間在籍し
た後、大久保一久(おおくぼ かずひさ)に替わりました。しかし、75年に大久保は伊
勢正三と「風」を結成するためにグループを離れ、その後まもなく「猫」も解散となりまし
た。

野宮真貴

野宮真貴(のみや まき) 1981年、ムーンライダーズの鈴木慶一プロデュースによる『ピンクの心』でデビュー。その後、「ポータブル・ロック」のヴォーカリストとして活躍。東京ニューウェイヴ・シーンの歌姫として愛されます。90年、ピチカート・ファイヴに3代目ヴォーカリストとして参加。渋谷系文化のアイコンとして、日本及び海外の熱狂的な人気を集めました。現在は、独創的な存在感と歌声で、音楽に加え、カルチャーやアート、ファッションなど多方面で活躍中。そのエッセンスを凝縮したシアトリカルなライヴパフォーマンスが近年の白眉として、注目を集めています。2020年は還暦イヤーを迎え、音楽、ファッションやヘルス&ビューティーのプロデュース、エッセイストなど多方面で活躍している。