My Little Lover

My Little Lover (まい りとる らゔぁー) 1995年にシングル「Man&Woman」でデビュー。当初のメンバーはakko(あっこ vo)と藤井謙二(ふじい けんじ g)の2人でしたが、後にプロデューサーだった小林武史(こばやし たけし kb)が加入し、3人のユニットとなります。「Hello,Again~昔からある場所~」や「ALICE」など数々のヒットを世に送り出し、ファーストアルバム『evergreen』はミリオンセールスを記録しました。2006年からはakkoのソロプロジェクトとして始動。透明感のあるすがすがしい歌声は、根強いファンを引き付けてやみません。

槇原敬之

槇原敬之(まきはら のりゆき) 1969.5.18.大阪府出身。1990年、アマチュアオーディションでグランプリを獲得し、シングル「NG」、アルバム『君が笑うとき君の胸が痛まないように』でデビュー。91年のシングル「どんなときも。」でブレイク、その後「もう恋なんてしない」「SPY」などをヒットさせて、ポップなサウンド感覚の中にシニカルさとナイーヴさを隠し味にした詞を巧みにブレンドした槇原ワールドを展開しています。

真心ブラザーズ

真心ブラザーズ(まごころぶらざーず) 1989年春、早稲田大学音楽サークルに所属していた桜井秀俊(さくらいひでとし)が、テレビのオーディション番組(『パラダイスGO! GO!』の「勝ち抜きフォーク合戦」に出るため大学の先輩YO-KING(よーきんぐ)を誘って結成。番組で10週勝ち抜き、同年9月にシングル「うみ」でデビュー。ちょっとシニカルな感性とジャンルを超えた音楽性で高い評価を受けていきます。2001年にグループ活動を休止しますが、05年から再開。グループ活動と並行して、メンバーのソロや別プロジェクトでの活動も行われています。

松 たか子

松たか子(まつたかこ) 1977.6.10.東京都生まれ。父は歌舞伎俳優の現・松本幸四郎という環境もあって、彼女自身も16歳で歌舞伎座の「人情文七元結」で初舞台を踏み、俳優への道を進みます。その一方、早くからピアノを習うなど音楽への愛着も強く、97年にシングル「明日、春が来たら」でデビューヒットを記録。98年にリリースしたセカンドアルバム『アイノトビラ』で過半数の曲の作詞を手掛けていますが、次第に作詞だけでなく作曲も手がけるようになり、シンガー・ソングライターとして作品を発表していくようになっていきました。

松田聖子

松田聖子(まつだ せいこ) 1962.3.10.福岡県出身。1980年に「裸足の季節」でデビュー。同年、3作目のシングル「風は秋色」で初のチャート1位を獲得すると、88年発表の「旅立ちはフリージア」までの24曲が連続1位となる輝かしい記録を達成しました。90年には全米デビューを果たし、海外での活動をスタート。台湾や中国などアジア圏での支持を得ました。デビュー30年を経てからも、初となるバラードコンサートや他アーティストへの楽曲提供・プロデュースなどを行い、ファンを魅了し続けています。

松任谷正隆

松任谷正隆(まつとうや まさたか) 1951.11.19.東京都出身。70年頃からプロのレコーディングセッションに参加するようになり、小坂 忠のバックバンドであるフォージョーハーフを経て、キャラメル・ママに参加。その後、プロデューサーとして松任谷由実の音楽に深くかかわることになります。プロデューサー、アレンジャーとしての活動が中心となっていますが、ソロアーティストとしても77年にアルバム『夜の旅人』をリリースしています。

三上寛

1950年3月20日生まれ、青森県出身のフォーク・シンガー/俳優。67年に同郷の詩人、寺山修司らの影響を受けて現代詩を書き始める。69年にライヴ活動を開始。71年にレコード・デビュー。中津川フォークジャンボリーに出演して一躍脚光を浴びる。情念的なサウンドと歌詞により独自の世界を構築。タブーな性言語、日本の呪われた風習を題材にした“怨歌”によって、日本を代表するフォーク・シンガーとなる。また、詩集やエッセイなどの著書も多く、俳優やレポーターなどでも活躍。90年より“三上寛・詩学校”を開校するなど活動は多岐にわたる。

Mr.Children

Mr.Children(みすたーちるどれん) 1992年に小林武史プロデュースのミニアルバム『Everything』でメジャーデビューを果たしました。93年に発表した4作目のシングル「CROSS ROAD」がドラマ主題歌に起用されてロングヒットとなり、初のミリオンセラーを記録。その後も、「innocent world」「Tomorrow never knows」「名もなき詩」といったヒットを連発、『Atomic Heart』『BOLERO』など300万枚を超えるセールスのアルバム作品を生み出し、圧倒的な存在感を示しました。デビュー20周年を迎えた2012年にはベストアルバムのリリースと全国7か所のドームツアーを開催。精力的な活動が続いています。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANT

thee michelle gun elephant(ざ みっしぇる がん えれふぁんと) 1991年にチバユウスケ(vo)を中心に結成。同年に東京・下北沢「屋根裏」にて初ライヴを行い、以降はライヴハウスを中心に活動の幅を広げます。94年にはアベフトシ(g)が加入し、チバ、ウエノコウジ(b)、クハラカズユキ(d)というラインナップとなりました。インディーズ時代にアルバム2作を発表し、96年に「世界の終わり」でメジャーデビュー。ファーストアルバム『cult grass stars』をリリースすると人気はさらに上昇し、ライヴチケットは入手困難な状態に。アリーナクラスでのオールスタンディングライヴや欧米公演など、バンドの勢いは加速し続けますが、2003年、幕張メッセに約4万人を動員したライヴをもって解散しました。

南こうせつ

南(みなみ) こうせつ 1949.2.13.大分県出身。高校時代からフォークグループをつくり、プロを目指して上京。オーディションに合格し、70年にシングル「最後の世界」でレコードデビューします。同じ年、大島三平(おおしま さんぺい)、森 信一郎(もり しんいちろう)と第一期「かぐや姫」、翌年、伊勢正三(いせ しょうぞう)、山田(やまだ)パンダと第二期「かぐや姫」を結成します。75年に「かぐや姫」を解散するとソロ活動に入り、76年には日本人アーティストとして初の日本武道館コンサートを行いました。81年からは地元九州でオールナイト野外コンサート「サマーピクニック」を10年間に渡って開催するなど、ライヴを中心とした活動が絶大な支持を得ています。広島原爆被災者救済のための「HIROSHIMA PEACE CONCERT」も、86年から毎年10年間行いました。

南正人

1944年3月3日、東京・阿佐ヶ谷生まれのフォーク・シンガー。東京外語大学スペイン語科卒。60年代後半に欧米各地を2年間放浪の後、ベトナム戦争や学園紛争の時代背景のもと、路上や反戦集会で自作のメッセージ・ソングを歌い始める。69年に初シングル「ジャン/青い面影」、71年に初アルバム『回帰線』を発表。その後、都会を離れて山中にて実験的コミューン生活を開始。以降、年間100本を超えるライヴを全国で展開しながら、作品を発表。また、アジア各地へも旅して草の根コンサートなども実現。2008年にはバンド“みどり組”を結成するなど、バンド、ソロともに精力的に活動中。

南佳孝

南 佳孝(みなみ よしたか)  1950.1.8.東京都出身。ジャズ・ギタリストを志していましたが、シンガー・ソングライターとしても注目され、73年にアルバム『摩天楼のヒロイン』でレコードデビューし、洗練された都会感覚のアーティストとして注目されました。79年に「モンロー・ウォーク」を郷 ひろみが「セクシー・ユー」のタイトルでカヴァーしてヒット、81年には南自身の「スローなブギにしてくれ」がヒット。その後、ボサ・ノヴァ、スタンダードなど、アダルトテイストのシンガー・ソングライターとして作品をリリースし続けています。

宮沢和史

宮沢和史(みやざわかずふみ) 1966.1.18、山梨県出身。86年にTHE BOOMを結成して中心メンバーとして活動していますが、90年代からレゲエ歌手ミヤボロとの「神様の宝石でできた島」リリース、矢野顕子との「二人のハーモニー」リリースなど、個人としての活動にも力を入れるようになり、98年にはソロアルバム『Sixteenth Moon』『AFROSICK』をリリースしました。海外での活動も多く、各国のミュージシャンとも積極的に交流していきますが、2006年にライヴのバンドをGANGA ZUMBAと改名し、GANGA ZUMBAとしての活動をスタートさせています。メンバーは宮沢(vo)、宮川 剛(みやがわつよし d)、マルコス・スザーノ(まるこすすざーの perc)、今福”HOOK”健司(いまふくけんじ perc)、tetsu(てつ b)、高野 寛(たかのひろし g)、フェルナンド・モウラ(ふぇるなんどもうら kb)、土屋玲子(つちやれいこ vi、二胡)、ルイス・バジェ(るいすばじぇ tp)、クラウディア大城(くらうでぃあおおしろ vo)。

武蔵野タンポポ団

武蔵野タンポポ団(むさしのたんぽぽだん) 東京・吉祥寺のフォーク喫茶「ぐゎらん堂」に集まっていたフォークミュージシャン達が、高田 渡(たかだ わたる)を中心に結成したジャグ・バンド(フォーク、カントリーの演奏スタイルの一種)。メンバーは、高田 渡、シバ、若林純夫(わかばやし すみお)、村瀬雅美(むらせ まさみ)、山本(やまもと)コウタローが中心でした。中津川の第三回全日本フォークジャンボリーにも出演しましたが、その活動期間は短く、72年には解散しています。

紫(むらさき) 沖縄のロックシーンで活躍するジョージ紫(むらさき)が1970年に結成したグループ。メンバーチェンジを経て、ジョージ紫(kb)、宮永英一(みやなが えいいち d、vo)、城間正男(しろま まさお vo)、城間俊雄(しろま としお b)、比嘉清正(ひが きよまさ g)、下地行男(しもじ ゆきお g)となり、76年にアルバム『MURASAKI』をリリース。そのハードでソウルフルな演奏は、本土のロックシーンに衝撃を与え、彼らの登場によって、沖縄ロックシーンが一気に脚光を浴びることになりました。しかし、78年にジョージ紫ら主要メンバーが脱退してしまい、81年に解散しますが、その後何度か復活しています。

村田和人

村田和人(むらた かずひと) 1954.1.2.東京都出身。早くからバンド活動をしており、大学時代に結成していたALMOND ROCCAはアマチュアコンテストでも評価されるなど、その可能性を認められながらも、なかなかデビューのチャンスに恵まれませんでした。しかし82年、山下達郎のバックアップを得て、シングル「電話しても」とアルバム『また明日』でレコードデビュー。その後も、開放感のあるロックテイストをもったシンガー・ソングライターとして、コンスタントに作品をリリースしています。

村八分

村八分(むらはちぶ) 70年代初頭のロックシーンを彩る幻のバンド。1969年に、チャーボー=柴田和志(しばた かずし vo)と元「ザ・ダイナマイツ」の山口富士夫(やまぐち ふじお g)、浅田 哲夫(あさだ てつお g)、青木真一(あおき しんいち b)、恒田義見(つねだ よしみ d)によって京都で結成されました。そのステージは、パンクの先取りともいえる過激なもので、予定されたステージに現れないこともあるという破天荒さも話題を呼びました。73年に解散。

村松邦男

村松邦男(むらまつくにお)  1952.3.17、東京生まれ。72,年、シュガー・ベイブ結成に参加し、76,年に解散するまでギタリストとして活動しました。シュガー・ベイブ解散後は大瀧詠一のアルバム『多羅尾伴内楽団vol.2』にギタリストとしてフィーチャリングされるなど、ギタリストとして活動するとともに、アレンジャー、プロデューサーとしてもシャネルズ、スクーターズなど多くのアーティストを手掛けています。ソロアーティストとしても83年の『GREEN WATER』をはじめ4枚のアルバムと4枚のシングルをリリース。現在は、元KODOMO BANDの安部”ohji”隆雄(あべおうじたかお b)らとユニット、R・O・M・Aを結成し、ライヴ活動やCDリリースもしています。

メスカリン・ドライヴ

メスカリン・ドライヴ(めすかりんどらいぶ)  1984年、伊丹英子(いたみひでこ g)、ケイト(けいと b)、リリー(りりー g)、なっかん(d)によって結成され、その後、内海洋子(うつみようこvo)が加入して関西を中心に活動を始めました。伊丹、内海以外のメンバーは流動的でしたが、本格的女性ロックバンドとして評価されていきます。ニューエストモデルとの関係が深く、メンバー同士の交流も盛んで、88年には共同で「ソウル・フラワー・レコード」を設立しています。89年にはアルバム『スプーニー・セルフィッシュ・アニマルズ』でメジャーデビューし、深いテーマを託した作品をリリースしていきますが、93年にニューエスト・モデルとともに解散。ふたつのバンドのメンバーでソウル・フラワー・ユニオンを結成しました。

めんたんぴん

めんたんぴん  1969年に石川県で結成された「めんたんぴんブルースバンド」を母体に、72年に結成されました。サザンロックに通じる重量感あふれるサウンドで全国的に知られるようになり、75年にアルバム『MENTANPIN』でメジャーデビューしています。その時のメンバーは、佐々木忠平(ささき ちゅうへい vo、g)、 飛田一男(とびた かずお g)、池田洋一郎(いけだ よういちろう g)、石崎三郎(いしざき さぶろう b)、沖村公平(おきむら こうへい d)。81年に解散しました。

THE MODS

THE MODS(ざ もっず) 福岡でバンド活動をしていた森山達也(もりやま たつや vo、g) が1973年に結成していたバンド「開戦前夜」を発展させて「THE MODS」を結成。メンバーチェンジを繰り返しますが、森山、苣木寛之(ちさき ひろゆき g、vo)、北里晃一(きたざと こういち b、vo)、梶浦雅裕 (かじうら まさひろ d)となって、81年にシングル「崩れ落ちる前に」、アルバム『FIGHT OR FLIGHT』でデビュー。ワイルドなビートサウンドで人気となり、博多のロックシーン=.めんたいロックのブームを引き寄せました。その後も不動のメンバーで活動を続けてきましたが、2009年にドラマーが佐々木周(ささき しゅう)に替わっています。 

モップス

日本のロック・バンド。星勝(g&vo)、三幸太郎(g)、村上薫(b)、スズキ幹治(ds)からなるバンド“チェックメイツ”を前身に、スズキの兄の鈴木ヒロミツ(vo)が加わった5人組で活動を開始。67年11月、シングル「朝まで待てない」でメジャー・デビュー。“日本最初のサイケデリック・サウンド”を標榜し、ジャズ喫茶や米軍キャンプなどでの演奏活動などを展開。GSブームの中で異彩を放つ存在に。68年末には本来のシンプルなR&B、ロックンロール志向に回帰。 翌年に村上が脱退。以降、4人で活動を継続。71年に「月光仮面」、72年に「たどりついたらいつも雨ふり」を発表、若者を中心に支持された。74年5月に解散。

森田童子

森田童子(もりた どうじ) 1952.1.15.東京都出身。75年、「さよならぼくのともだち」でデビューした女性シンガー・ソングライター。友人の死をきっかけに歌い始めたと言われますが、プロフィールは一切明かされていません。83年以降、レコーディングもライヴ活動も行っていませんが、93年のテレビドラマ「高校教師」テーマ曲として「ぼくたちの失敗」が使用され、話題となりました。暗さの中から深い情感が伝わってくる彼女の世界には、今も根強いファンがいます。

森高千里

森高千里(もりたかちさと) 1969.4.11生まれ。熊本県出身。86年にタレントとして活動をはじめ、87年5月にシングル「NEW SEASON」でレコードデビュー。その後、作詞を手掛けるようになり、「ミーハー」「ストレス」など個性的な詞が持ち味となっていきます。89年、南沙織のカヴァー「17歳」がヒットしてブレイク。ライヴのコスプレ的ビジュアルとユニークな楽曲で人気を集め、「私がオバサンになっても」(92年)「渡良瀬橋」(93年)なのヒットを飛ばす一方、カーネーションとのコラボレーションや、自らドラムやギターを弾いてレコーディングするなど、音楽的アプローチにも注目すべきものがありました。99年に江口洋介と結婚、一児の母となりましたが、家庭生活、育児を優先しながら音楽活動も続けています。

森山直太朗

森山直太朗(もりやまなおたろう) 1976.4.23、東京生まれ。母は森山良子。サッカー少年でしたが、大学時代に本格的に音楽活動を開始し、2001年にインディーズから直太朗名義でアルバム『直太朗』をリリース。02年にミニアルバム『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』でメジャーデビューし、03年に「さくら(独唱)」を大ヒットさせてブレイクしました。透明感のある声と不思議な情感をもった楽曲で支持を広げ、着実な活動を続けていきます。08年には「生きてることが辛いなら」でレコード大賞作詞賞を受賞。ライヴ活動やCDリリースもコンスタントに行っていますが、10年には、これまでのアルバム収録曲選曲でボツになった曲を集めたアルバム『レア・トラックスVol.1』をリリースするなど、枠に捉われないユニークな面も魅力になっています。 

森山良子

森山良子(もりやま りょうこ) 1948.1.18.東京都出身。高校生の頃からキャンパスフォークシーンで活動し、美しい歌声で人気を集めました。1967年、「この広い野原いっぱい」でレコードデビュー。その後、「今日の日はさようなら」「愛する人に歌わせないで」などをヒットさせます。その後はフォークに限らず、卓越した歌唱力を生かした幅広いジャンルの歌をレパートリーにしていきます。

MONGOL800

MONGOL800(もんごるはっぴゃく) 上江洌清作(うえず きよさく vo、b)、儀間崇(ぎま たかし g)、髙里悟(たかざと さとし d)の3人が高校在学中の1998年に沖縄で結成。2001年、「あなたに」がCM曲に起用されると、同曲を収録した2作目のアルバム『MESSAGE』が注目を浴び、インディーズアルバムとしては史上初となるミリオンセラーを達成します。04年には初の全国47都道府県ツアーを開催、地元沖縄で行われた野外フリーライヴには約2万人を動員しました。明るくキャッチーなメロディと心に響く力強い詞で幅広い世代のファンを魅了しています。

記憶の記録LIBRARY

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