アーティスト アーカイヴ
タ
高石ともや
高石ともや(たかいしともや) 1941.12.9北海道生まれ。大学入学で上京しましたが、学資を稼ぐため大阪で働くなか、米国のフォークシンガー、ピート・シーガーやボブ・ディランの影響を受けて歌い始めました。1960年後半、各地の労働組合や大学、集会などでメッセージ・フォークを広め、1968年「受験生ブルース」のヒットで日本中に知られるようになりました。高石音楽事務所には、フォーク・クルセイダーズ、岡林信康などが所属し、URCレコードやフォークコンサートを積極的に制作して、それまでになかった音楽シーンをつくり出していきます。関西フォーク、アングラフォークと呼ばれた音楽の先駆的リーダーでした。しかし、フォークが注目を浴びていた1970年、事務所を離れ、渡米して、各地をまわり、原点のフォークソングを体験してきます。帰国後はザ・ナターシャー・セブンなどを結成して、民謡やカントリー、ブルーグラスなどに力を入れて歌い続けてきました。1973年から永六輔らと開催していた京都の「祇園宵々山コンサート」は2011年、第30回目で終了となり、華々しいラストステージは話題になりました。また、マラソンやトライアスロンの選手でもあり、40年以上、国内外のレースに参加し続けています。
高中正義
1953年3月27日生まれ、東京都出身のギタリスト/ミュージシャン/プロデューサー。71年、ロック・バンド“フライド・エッグ”にベーシストとして参加したのを機にプロとしてのキャリアをスタート。翌年、サディスティック・ミカ・バンドにギタリストとして参加。76年7月、アルバム『セイシェルズ』でソロ・デビュー。独特のメロディ・センスが発揮された楽曲はCMやTVで使用され、多くのファンを獲得。81年の『虹伝説 THE RAINBOW GOBLINS』で“高中ブーム”を巻き起こす。サンタナ、リー・リトナー、ナラダ・マイケル・ウォルデンら海外ミュージシャンとの共演も多数。フュージョン界のトップ・ギタリストとして活躍中。
高野寛
高野 寛(たかのひろし) 1964.12.14、静岡県生まれ。86年、高橋幸弘、鈴木慶一が審査員を務めるオーディションに合格し、87年、ザ・ビートニクスのツアーにギタリストとして参加。88年に高橋幸弘プロデュースのシングル「See You Again」でデビュー。90年にはトッド・ラングレンがプロデュースした「虹の都」をヒットさせるなど、注目を集めました。ソロアーティストとしての活動の他に、他のミュージシャンとのコラボレーションにも力を入れており、TOKYO No.1 SOUL SETのBIKKE、斉藤哲也と”Nathalie Wise”、クム本の原田郁子、レピッシュのtatsu、坂田学と”4B”を結成しているほか、細野晴臣の”東京シャイネス”、宮沢和史の”GANGA ZUMBA”、高橋幸宏の”pupa”など、多くのユニットに参加しています。また、2006年以降は、ソロでも高野寛の他にHAASという名前でも活動しています。
高橋幸宏
1972年、Sadistic Mika Bandに参加。1978年、細野晴臣(ほその はるおみ)、坂本龍一(さかもと りゅういち)とともにYellow Magic Orchestra(Y.M.O.)を結成、 国内外に大きな影響を残しましたが、1983年12月をもって「散開」。ソロ活動と併行して鈴木慶一(すずき けいいち ムーンライダーズ)とのTHE BEATNIKSとしても活動。また、2001年には細野晴臣とSKETCH SHOWを結成し、2004年以降は坂本龍一も加わりHAS、HASYMO、Yellow Magic Orchestraとバンド名を使い分け不定期に活動。自身のファッション・ブランドでのデザインや映画出演など多才な活動も展開。
2023年1月、病気静養中に脳腫瘍により発症した誤嚥性肺炎にて死去。70歳没。
大事MANブラザーズバンド
大事MANブラザーズバンド(だいじまんぶらざーずばんど) 高校生だった立川俊之(たちかわとしゆき vo、g)が、戸村公彦(とむらきみひこ b)、田岡広宣(たおかひろのぶ d)とバンドを結成。さらに山田哲生(やまだてつお g)、吉田理恵(よしだりえ kb)が加わり、1986年に結成されました。91年1月、シングル「MO-RIO」、アルバム『大事な気持』でデビュー。同年8月にリリースした「それが大事」は、テレビ番組のテーマ曲ともなって大ヒット。その後、テレビアニメ「クレヨンしんちゃん」のエンディングテーマ曲となった「うたをうたおう」などをリリースしていきます。94年に山田、田岡が脱退。中尾秀行(なかおひでゆき g)、平山牧伸(ひらやままきのぶ d)が加入して活動を続けますが、1996年解散。しかし、2009年に大事MANブラザーズオーケストラとして活動を再開しています。
チェッカーズ(THE CHECKERS)
チェッカーズ 1980年に福岡県久留米市で結成され、83年にシングル「ギザギザハートの子守唄」でメジャーデビュー。翌84年発表の「涙のリクエスト」がヒットすると、アイドル的ルックスから絶大な人気を得ます。その一方で、コーラスとサックスをメンバーに含めたバンドとしての実力を発揮し、86年からはオリジナル曲を発表。「ONE NIGHT GIGOLO」「素直にI’m Sorry」「夜明けのブレス」など多くのヒット曲を生み出しました。アーティストとしての地位を確立し、デビュー10周年を迎えた92年に突然の解散宣言。大晦日の紅白歌合戦出場を最後に、その活動の歴史に幕を下ろしました。
チカブーン
チカ・ブーン(ちかぶーん) 女性だけによるサルサバンド。森村あずさ(もりむらあずさ timbales)を中心に、サルサ好きの女性が公園で始めたセッションをきっかけに結成され、85年に原宿クロコダイルで初ステージをおこないました。その後、数度に渡ってキューバ政府の公式招待を受け、キューバで人気を博し、日本でも92年にアルバム『Chica Boom』でメジャーデビューしました。この時のメンバーは、森村あずさ、志村享子(しむらあつこvo)、小野かほり(おのかほり bongo)、石田みき(いしだみき conga)、鈴木典子(すずきのりこ kb)、坂口かおる(さかぐちかおる b)、山本聡子(やまもとさとこ tron)、芝井律子(しばいりつこ sax)の8人。その後、メンバーチェンジをしながら活動を続けていきましたが、現在は活動休止しています。
Chara
chara(ちゃら) 1968.1.13.埼玉県出身。4歳ごろからピアノを弾き始め、小学生時代には作曲を行っていました。その後、アルバイトをしながらライヴ活動を続け、デモテープをきっかけに、91年にシングル「Heaven」でメジャーデビューします。96年には岩井俊二監督作品『スワロウテイル』に出演、劇中に登場するバンド「YEN TOWN BAND」として主題歌を担当し、チャート1位を獲得。同作で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞するなど、新しい一面を見せました。また、土屋公平やYUKI、東京スカパラダイスオーケストラといった様々なアーティストとのコラボレーションにも積極的で、ソロだけにとどまらない活躍をしています。
チューリップ
チューリップ 福岡の大学生だった財津和夫(ざいつ かずお)を中心に結成されたバンド。1972年に「魔法の黄色い靴」でデビューしますが、この時のメンバーは財津和夫(vo、g、kb)、姫野達也(ひめの たつや vo、g、kb)、安部俊幸(あべ としゆき g)、吉田 彰(よしだ あきら b)、上田雅利(うえだ まさとし d)。73年に「心の旅」をヒットさせてブレイク。その後もポップ感覚あふれるバンドとして「青春の影」「虹とスニーカーの頃」などのヒットを送り出していきます。80年代に入りメンバーチェンジが増え、最終的にオリジナルメンバーは財津だけとなります。89年に解散しますが、その後数回の再結成を行っています。
つじあやの
つじあやの 1978.1.6、京都生まれ。高校のフォークソング部でウクレレを弾いて音楽活動を始めます。98年、インディーズからミニアルバム『うららか』をリリースし、翌99年、ミニアルバム『君への気持ち』でシンガー・ソングライターとしてメジャーデビューしました。2002年にリリースしたシングル「風になる」が、アニメ映画『猫の恩返し』主題歌となってヒット。この頃から夏フェスなどにも出演するようになります。やわらかな世界を感じさせる自作曲を中心にリリースしていますが、03年に山下達郎の「パレード」をカヴァーしてシングルリリースし、翌年、カヴァー・アルバム『COVER GIRL』をリリースしました。また、08年にはBEAT CRUSADERSと共演するシングル「ありえないくらい奇跡」をリリースしています。
ティン・パン・アレイ
はっぴいえんどが解散した1973年、細野晴臣(ほその はるおみ)のソロ・アルバム『HOSONO HOUSE』レコーディングのために集まった、鈴木 茂(すずき しげる、g)、松任谷正隆(まつとうや まさたか、kb)、林 立夫(はやし たつお、d)と細野が、レコーディング・セッションに特化したグループ、キャラメル・ママを結成。荒井由実、吉田美奈子、雪村いずみなど多くのアーティストにサウンドを提供しました。このキャラメル・ママを、より柔軟なミュージシャン・グループとして発展させたのが(TIN PAN ALLEYティン・バン・アレイ)です。ティン・バン・アレイのセッションには、佐藤 博(さとう ひろし、kb)、矢野顕子(やの あきこ、kb、vo)、斉藤ノブ(さいとう のぶ、perc)など、多くのミュージシャンが参加しています。シンガーへのサウンド提供のほか、ティン・バン・アレーとして2枚のアルバムを発表、ライヴツアーも行いましたが、78年頃には自然消滅しています。
TM NETWORK
TM NETWORK(てぃーえむ ねっとわーく) 1983年に宇都宮隆(うつのみや たかし vo)、木根尚登(きね なおと g)、小室哲哉(こむろ てつや kb)により結成されました。84年にシングル「金曜日のライオン」とアルバム『RAINBOW RAINBOW』でメジャーデビュー。デジタルサウンドを取り入れた独自のスタイルを確立します。87年には、シングル「Get Wild」がテレビアニメのエンディングテーマに起用され、大ヒットとなりました。90年にユニット名を「TMN」に変更し、「TIME TO COUNT DOWN」や「Love Train」などのシングル作品をリリース、セールスを伸ばしていきますが、デビュー10年目となる94年に東京ドームでのライヴを最後に活動を終了します。しかし、99年に「TM NETWORK」としての再始動を発表。2012年には約5年ぶりとなるシングル「I am」をリリースしました。
T.M.Revolution
T.M.Revolution(てぃー えむ れぼりゅーしょん) 1970.9.19.滋賀県出身。西川貴教(にしかわ たかのり)によるソロプロジェクト。1995年「access」のメンバー・浅倉大介(あさくら だいすけ)のソロシングルに参加。翌96年に「T.M.Revolution」としてシングル「独裁 -monopolize-」でメジャーデビューしました。圧倒的な歌唱力と完成度の高い楽曲で人気を集め、「HIGH PRESSURE」「HOT LIMIT」「WHITE BREATH」などビッグヒットを重ねます。地元・滋賀での野外イベント「イナズマロックフェス」の主催やミュージカル出演、西川貴教としてのバンド「abingdon boys school」の結成など、活躍の場は多岐に渡っています。
T-SQUARE
T-SQUARE(てぃーすくえあ) 1976年、安藤正容(あんどうまさひろ g)を中心としてThe Square(ザ・スクエア)として結成し、翌77年、伊東たけし(いとうたけし sax)が参加。78年にアルバム『Lucky Summer Lady』でレコードデビューしました。優れた演奏力を買われて、79年には松任谷由実の「マジカル・パンブキン・ツアー」、81年にはタモリの「ラジカル・ヒステリー・ツアー」でも演奏を担当。その後も本格派フュージョンバンドとして人気を高め、87年にはテレビのF1中継番組のテーマ曲「TRUTH」も手掛けていますが、89年にグループ名をT-SQUARE(T・スクエア)と改めました。結成当時からメンバーチェンジが多く、2000年からしばらくは、安藤と伊東のデュオグループとして活動していた時期もありました。しかし、04年末に安藤、伊東に加えて、河野啓三(かわのけいぞう kb)、坂東慧(ばんどうさとし d)が正式メンバーとなり、4人編成のバンドとして活動を続けています。
ザ・ディランⅡ
ザ・ディランⅡ(ざ でぃらん せかんど) 1960年頃、大阪のフォーク喫茶「ディラン」に集まっていた大塚(おおつか)まさじ、西岡恭蔵(にしおか きょうぞう)、永井 洋(ながい よう)によって、「ザ・ディラン」が結成されました。ザ・ディランはフォーク・キャンプをはじめとする関西のフォークイベント出演などの活動をしていましたが、71年に西岡が脱退したことで、大塚と永井の2人は「ザ・ディランⅡ」として活動を続けることになりました。そしてこの年、ボブ・ティランの曲をカバーしたシングル「男らしいってわかるかい」でレコードデビューし、関西のフォークシーンに新風を吹き込む存在として注目を集めました。74年、西岡恭蔵を加えた「オリジナル・ザ・ディラン」としてレコードリリースやツアーも行いましたが、同年11月に解散。メンバーはソロ活動に入っていきました。
東京事変
東京事変(とうきょうじへん) 2003年に、椎名林檎(しいなりんご vo)、晝海幹音(ひらまみきお g)、H是都M(えいちぜっとえむ kb)、亀田誠治(かめだせいじ b)、刄田綴色(はたとしき d)によって結成。最初は椎名林檎のバックバンドでしが、バンドとして本格的に活動することになり、04年、シングル「群青日和」でデビューします。05年、晝海幹音、H是都Mが脱退し、井澤一葉(いざわいちよう kb)と浮雲(うきぐも g)が参加。06年リリースのセカンドアルバム『大人(アダルト)』が「オリコン」初登場1位を獲得するなど、高い評価を受けていきますが、12年2月29日のステージを最後に解散。
東京スカパラダイスオーケストラ
東京スカパラダイスオーケストラ(とうきょう すかぱらだいすおーけすとら) 1985年にASA-CHANG(現「ASA-CHANG&巡礼」)を中心に結成。ストリートやクラブでライヴ活動を重ねながら圧倒的なパフォーマンスで動員を増やし、90年に『スカパラ登場』でメジャーデビューを果たします。その後もコンスタントに作品を発表し、ホーンセクションを中心とした強力なサウンドは幅広い層に受け入れられました。デビュー20周年を迎えた2009年には、世界一流のスカバンドを招いての主催フェス「トーキョースカジャンボリー」を初めて開催し、大成功を収めました。なじみの薄かった“SKA”というジャンルを日常的に楽しめる音楽として浸透させた彼らの活躍の場は、現在ヨーロッパ各国へと広がっています。
戸川 純
戸川 純 (とがわじゅん) 1961.3.31、東京出身。子役経験もあり、80年にテレビドラマ「しあわせ戦争」で女優としてデビューしています。音楽活動では、81年に上野耕路らとゲルニカを結成してデビューしますが、83年に戸川(vo)、比賀江隆男(ひがえたかおg)、里美智子(さとみともこ kb)、立川芳雄(たちかわよしお kb)、石原智広(いしはらともひろ b)、和泉敏郎(せんすいとしろう d)によって戸川純 & ヤプーズを結成。84年、ソロアルバム『玉姫様』をリリースするなど、ソロ活動に力を入れていきます。戸川純 & ヤプーズはメンバーチェンジもありましたが、87年にヤプーズと改名してライヴアルバム『ヤプーズ計画』をリリースし、その後もライヴを中心に活動を展開。その他にも多彩な活動を展開しています。
徳永英明
徳永英明(とくながひであき) 1961.2.27、福岡県生まれ。中学・高校時代は兵庫県で過ごしましたが、その後上京。ミュージシャンを目指して85年に鎌倉で行われた「マリンブルー音楽祭」に出場し、グランプリを獲得。同年10月には東京・原宿で行われたミュージカル「はらじゅくグラフィティ」に出演しました。86年、シングル「レイニー ブルー」、アルバム『GIRL』でレコードデビュー。87年、シングル「輝きながら…」のヒットで、優れた歌唱力と声の魅力が広く注目され、90年には「夢を信じて」「壊れかけのRadio」をヒットさせてトップアーティストとなりました。2005年、女性シンガーの作品をカヴァーしたアルバム『VOCALIST』をリリースして話題を呼び、06年にリリースされた『VOCALIST 2』はレコード大賞企画賞を受賞するなど、大人のヴォーカリストとして幅広く支持されています。