アーティスト アーカイヴ

はちみつぱい

はちみつぱい

鈴木慶一(すずき けいいち 1951年8月28日、東京都出身)、鈴木博文(すずき ひろふみ 実弟)、藤井盛雄(ふじい もりお)といったメンバーで1970年からあがた森魚らと活動し、71年頃から蜂蜜ぱいと名乗っていました。メンバーは流動的でしたが、72年頃には鈴木慶一(vo、g)、渡辺勝(わたなべ まさるvo、g)、本多信介(ほんだ しんすけ g)、武川雅寛(たけかわ まさひろ g、vi)、和田博美(わだ ひろみ b)、かしぶち哲郎(てつろう d)という編成になり、はっぴいえんどなどとともに、東京のロック・シーンを代表するグループとして活動していました。その後、渡辺に替わって駒沢裕城(こまざわ ひろき psg)、岡田徹(おかだ とおる kb)が参加して74年まで活動。その間、アルバム『センチメンタル通り』(73年)をリリースしています。グループ解散後、メンバーの多くはムーンライダーズに参加しました。

はっぴいえんど

はっぴいえんど

1969年秋、細野晴臣(ほその はるおみ b)、大瀧詠一(おおたき えいいち g)、鈴木茂(すずき しげる g)、松本隆(まつもと たかし d)によって東京で結成されました。70年8月、アルバム『はっぴいえんど』でデビュー。ウエストコースト的なサウンドに、日本語による独自の抒情を込めた詞を乗せたサウンドで異色のグループとして注目されます。70年の春から秋まで岡林信康のバック・バンドをつとめる他、メンバーはURC系フォークシンガーたちのレコーディングにも参加します。71年に名作『風街ろまん』を発表しますが、72年にアメリカ録音の『HAPPYEND』を発表後に解散。メンバーはそれぞれ活動を展開、その後の日本のシーンを牽引する存在となります。

広瀬香美

広瀬香美

広瀬香美(ひろせこおみ) 福岡県出身。早くから音楽教育を受け、国立音楽大学作曲科を卒業。また、渡米してマイケル・ジャクソンのヴォイストレーナー、セス・リックスの薫陶を受けました。1992年、アルバム『Bingo!』でデビュー。同年、シングル「愛があれば大丈夫」のヒットで注目され、93年には「ロマンスの神様」をメガヒットさせるなど大活躍。冬場のヒットが多いことから、冬の女王とも呼ばれました。アーティスト活動と並行して、他のシンガーへの楽曲提供、ドラマや舞台の音楽制作、後進の育成などにも力を注いています。2000年代に入り、オーケストラとの共演やツイッターコンサートなど、さまざまな形でのライヴ表現にもチャレンジしています。

BEGIN

BEGIN

BEGIN(びぎん) 石垣島出身の幼なじみである比嘉栄昇(ひが えいしょう vo)、島袋優(しまぶくろ まさる g)、上地等(うえち ひとし pf)からなるアコースティックバンド。1989年にテレビ番組「平成名物TV いかすバンド天国」に出演し、2代目グランドイカ天キングに輝きます。翌90年にシングル「恋しくて」でメジャーデビュー。「声のおまもりください」「涙そうそう」「島人ぬ宝」などヒット曲を生み、2005年にはデビュー15周年の記念公演を日本武道館と大阪城ホールで開催しました。ハートウォームな歌声と演奏で、幅広い層のファンから支持されています。

ビリー・バンバン

ビリー・バンバン

東京都国立市出身の菅原孝、進による兄弟フォーク・ユニット。1969年のデビュー曲「白いブランコ」がいきなりヒットを記録。「ミドリーヌ」「れんげ草」「さよならをするために」とヒットが続き、NHK『紅白歌合戦』にも出場。代表的なフォーク・グループとしてコンサートを中心に活動。76年より一時活動を休止。兄・孝は司会など、弟・進はソロやCM音楽などを手掛けて活動。81年12月に「誓います」で復活。以降はマイペースながらも個人の活動と並行してユニット活動を展開。CMソングも多く、特に「いいちこ」のCMソングは幅広い世代で人気を博している。2014年10月、『愛という名の、自由と不自由』をリリース。

ザ・ビートニクス

ザ・ビートニクス

1981年に、YMOで活躍中の高橋幸宏(たかはし ゆきひろ)とムーンライダーズの鈴木慶一(すずき :けいいち)が結成したユニット。この時にはアルバム『出口主義』をリリースした他は目立った活動はありませんでしたが、1987年にアルバム『EXITENTIALIST A GO GO-ビートで行こう-』、シングル「ちょっとツラインダ」をリリースするなど、不定期に活動するユニットとして現在まで活動を続けています。

ピチカート・ファイヴ

ピチカート・ファイヴ

1984年、小西康陽(こにし やすはる、b、kb)を中心に、高浪:慶太郎(たかなみ けいたろう。後に高浪敬太郎と表記、g、kb)、鴨宮 諒(かもみや りょう、kb)、佐々木麻美子(ささき まみこ、vo)によって結成されました。85年、細野晴臣プロデュースの「オードリー・ヘプバーン・コンプレックス」でデビュー。87年、鴨宮 諒、佐々木麻美子が脱退し、田島貴男(たじま たかおvo)が参加。1990年からは田島貴男に替わって野宮真貴(のみや まき、vo)が参加しています。90年代に入ってピチカート・ファイヴは大きく脚光を浴び、海外でも注目されましたが、94年に高浪敬太郎が脱退。その後、2001年に解散するまでは、小西康陽と野宮真貴のデュオグループとして活躍を続けました。

PINK

PINK

PINK(ぴんく) 1983年結成。「近田春夫&ビブラトーンズ」に在籍していた福岡ユタカ、矢壁アツノブ、ホッピー神山を中心に、「東京ブラボー」の岡野ハジメ、「爆風銃」のスティーヴ衛藤、「ショコラータ」の渋谷ヒデヒロを加えたラインナップでデビュー。結成時、すでにそれぞれがスタジオ・ミュージシャンとして第一線で活躍しており、圧倒的な演奏力とパフォーマンスを見せるライヴで国内外から人気を得ます。89年に活動を“凍結”したあとも、日本のミュージシャンに大きな影響を与え続けています。

フィッシュマンズ

フィッシュマンズ

フィッシュマンズ(ふいっしゅまんず) 1987年、大学の音楽サークルメンバーだった佐藤伸治(さとうしんじ vo、b)、小嶋謙介(こじまけんすけ g)、茂木欣一(もてぎきんいち d)によって結成されました。その後、柏原譲(かしわばらゆずる b)、ハカセ(はかせ kb)が参加し、91年にシングル「ひこうき」でメジャーデビュー。初期は小玉和文、窪田晴男らにプロデュースをゆだねていましたが、その後セルフプロデュースにより、レゲエから発展させた独自の音楽を追求し、根強い支持を得ていきました。しかし、99年、佐藤伸治の死去によりバンドも活動を停止。2005年、RISING SUNROCK FESTIVAL in EZOで、茂木、柏原を中心とする復活ステージが行われ、ゲストヴォーカルとして忌野清志郎、UAらが参加しました。

ザ・フォーク・クルセダーズ

ザ・フォーク・クルセダーズ

加藤和彦(かとう かずひこ)、北山 修(きたやま おさむ)らによって京都で結成された学生アマチュア・グループでしたが、1967年10月に解散記念LP『ハレンチ』を自主制作。アルバム中で唯一のオリジナル曲「帰ってきたヨッパライ」がラジオの深夜放送を通じて話題となり、急きょシングル・カットして発売され、280万枚という大ヒットとなりました。その結果、メンバーの加藤と北山は解散を延期し、アマチュア仲間だった端田宣彦(はしだ のりひこ)を加えて活動を再開。「悲しくてやりきれない」「青年は荒野をめざす」そして覆面バンドのズートルビー名義の「水虫の唄」などのヒットを飛ばします。ザ・フォーク・クルセダーズは68年10月に解散しましたが、2002年、加藤、北山にフルフィーの坂崎幸之助(さかざき こうのすけ)を加えてザ・フォーク・クルセダーズとしてCDリリースやステージも行うなど、単発的な再結成は何度か行っています。

44 MAGNUM

44 MAGNUM

44 MAGNUM(ふぉーてぃーふぉーまぐなむ) 1977年、PAUL=梅原達也(うめはらたつや vo)を中心に結成されたヘヴィーメタル・バンド。79年にJIMMY=広瀬さとし(ひろせ さとし g)が参加し、その後、BAN=吉川裕規(よしかわ ひろのり b)、JOE=宮脇知史(みやわき さとし d)という編成になります。精力的にライヴを展開しながら、83年にアルバム『DANGER』でレコードデビュー。迫力ある演奏とステージングで日本のヘヴィーメタル、ハードロックシーンに大きな影響を与えています。1989年に解散しましたが、2009年に復活。

福山雅治

福山雅治

福山雅治(ふくやままさはる) 1969.2.6生まれ。長崎県出身。中学・高校時代はバンドを結成していました。高校卒業後、地元企業に就職しますが、音楽を捨てられずに上京。オーディションを経て、俳優・歌手として活動をはじめます。90年3月シングル「追憶の雨の中」でレコードデビュー。『ホームワーク』(92年)『ひとつ屋根の下』(93年)などで俳優として人気を得る一方、精力的にシンガー・ソングライターとしての活動をつづけ、「MELODY」「All My Loving」(92年)「IT’S ONLY LOVE」(93年)などのヒットでトップアーティストになります。その後も、「桜坂」(00年)、「東京」(05年)などをコンスタントにヒットさせるとともに、松本英子、前川清、柴崎コウらの楽曲をプロデュースしたり、写真家としても活動するなど、マルチな才能を発揮しています。

藤井フミヤ

藤井フミヤ

1962年7月11日、福岡県久留米市生まれ。83年にチェッカーズのヴォーカリストとしてデビュー。92年のチェッカーズ解散後、“藤井郁弥”から“藤井フミヤ”へと改め、翌年よりソロ活動を開始。「TRUE LOVE」「Another Orion」などの大ヒットを放つ。2013年にデビュー30周年&ソロ・デビュー20周年を迎え、ライヴも精力的に開催。弟・藤井尚之とのユニット“F-BLOOD”や俳優、ヴィジュアル・アーティストとしても活躍。

フリッパーズ・ギター

フリッパーズ・ギター

小山田圭吾(おやまだ けいご 1969年1月27日、東京出身)が、87年に井上由紀子(いのうえ ゆきこ)らと結成したバンドが母胎。同年末バンドは消滅しましたが、小山田(g)、井上(kb)の二人でロリポップ・ソニックとして活動を続けます。88年春、小沢健二(おざわ けんじ g)、吉田秀作(よしだ しゅうさく b)、荒川康伸(あらかわ やすのぶ d)が参加し、ロリポップ・ソニックは5人編成に。89年、フリッパーズ・ギターと改名して、アルバム『three cheers for our side〜海へ行くつもりじゃなかった』でメジヤー・デビューしましたが、その直後に3人のメンバーが脱退し、小山田と小沢健二(1968年4月14日、神奈川県出身)の二人で活動を続けます。コンテンポラリーなギター・ポップ・サウンドとスタイリッシュなセンスでシーンに大きな影響を与えましたが、91年に解散。二人はそれぞれ、コーネリアス(小山田圭吾)、小沢健二として活動を続けました。

細野晴臣

細野晴臣

1947年7月9日、東京都出身。早くから音楽活動を始め、大学生の頃にロック・バンド、エイプリルフールのベーシストとしてレコードデビュー。69年、はっぴいえんどを結成し、日本の音楽界に新風を吹き込みます。その後も、キャラメル・ママ、ティン・パン・アレイ、そしてイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)など、それまでの日本になかったコンセプトの画期的なクリエイト・グループを結成して活躍するとともに、ソロ・アーティストとしてもコンスタントに味わい深い作品を発表しています。名実ともに、日本の音楽シーンを牽引するアーティストのひとり。

ポータブルロック

ポータブルロック

ポータブル・ロック 1982年ごろ、野宮真貴(のみや まき vo)、中原信雄(なかはら のぶお b、syn)、鈴木智文(すずき ともふみ g、syn)によって結成。83年、鈴木慶一らが設立した水族館レーベルからリリースされたオムニバス・アルバム『陽気な若き水族館員たち』に「クリケット」「グリーンブックス」で参加。ポータブル・ロックとして、アルバム『Q.T』(85年)、『ダンス・ボランティア』(97年)などをリリースし、東京ニューウェイヴ・シーンで注目されましたが、80年代末に解散。

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