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浅川マキ
浅川マキ(あさかわまき) 1942.1.27、石川県生まれ。寺山修司(てらやましゅうじ)に見出され、68年、新宿の「アンダーグラウンド・シアター蠍座」でのソロライヴでデビュー。「夜が明けたら」「かもめ」「赤い橋」などがヒットし、当時の新宿文化を代表するアングラの女王と称されました。時代が変化しても確固たるスタイルは変わることなく、シンガーソングライターとして作詞作曲、外国曲も「日本語詩」として自作するなど、独自の世界を作り上げました。ライヴやレコーディングのメンバーも、山下洋輔(やましたようすけ p)、坂本龍一(さかもとりゅういち kb)、つのだ☆ひろ(d)、山内テツ(やまうちてつ b)、近藤等則(こんどうとしのり tp)、本多俊之(ほんだとしゆき sax)、渋谷毅(しぶやたけし p)、川端民生(かわばたたみお b)、向井滋春(むかいしげはる tb)、セシル・モンロー(d)など、一流のミュージシャンが務めました。2010年1月17日、名古屋で3日間ライブの最終日にホテルで倒れ、病院で死亡が確認されました。享年67歳。