アーティスト・アーカイヴ

ARTIST ARCHIVES

赤い鳥

アカイトリ

1969年結成の日本のフォーク・グループ。グループ名は鈴木三重吉主宰の児童雑誌『赤い鳥』が由来。69年11月の第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストに関西・四国地区代表として出場し、フォーク・ミュージック部門1位とグランプリを獲得。70年6月にアルバム『FLY WITH THE RED BIRDS』でメジャー・デビューを果たす。その後、「竹田の子守唄」「翼をください」などがヒットするも、74年9月にメンバー内の路線対立によって解散。その後、紙ふうせん、ハイ・ファイ・セット、ハミング・バードに事実上分割される。83年には再結成コンサートを開催。

赤い鳥

あがた森魚

アガタモリオ

あがた森魚(あがたもりお)1948.9.12、北海道生まれ。上京後、鈴木慶一らとライブ活動を始め、72年、デビュー・シングル「赤色エレジー」が大ヒットして、一躍時代の寵児となりました。漫画雑誌「ガロ」に連載されていた林静一の同名作品を歌ったもので、74年には自ら監督を務めて「赤色エレジー」を原作とした映画『僕は天使ぢゃないよ』も制作しました。その後81年、ニューウェイヴ・バンド「ヴァージンVS」、94年ユニット「雷蔵」と新たな分野に挑戦していきます。しかし、持前の懐古趣味的なロマンチシズム漂う作風は変わることなく、特異な存在感を持ち続け、若い人達の共感も得ています。CDリリースや全国各地でのライブなど精力的な音楽活動と並行して、テレビドラマや映画で俳優としても印象的な役柄で活躍しています。2012年、デビュー40周年を迎えて、記念コンサート『女と男のいる舗道』を全国5都市で開催しました。

あがた森魚

浅川マキ

アサカワマキ

浅川マキ(あさかわまき) 1942.1.27、石川県生まれ。寺山修司(てらやましゅうじ)に見出され、68年、新宿の「アンダーグラウンド・シアター蠍座」でのソロライヴでデビュー。「夜が明けたら」「かもめ」「赤い橋」などがヒットし、当時の新宿文化を代表するアングラの女王と称されました。時代が変化しても確固たるスタイルは変わることなく、シンガーソングライターとして作詞作曲、外国曲も「日本語詩」として自作するなど、独自の世界を作り上げました。ライヴやレコーディングのメンバーも、山下洋輔(やましたようすけ p)、坂本龍一(さかもとりゅういち kb)、つのだ☆ひろ(d)、山内テツ(やまうちてつ b)、近藤等則(こんどうとしのり tp)、本多俊之(ほんだとしゆき sax)、渋谷毅(しぶやたけし p)、川端民生(かわばたたみお b)、向井滋春(むかいしげはる tb)、セシル・モンロー(d)など、一流のミュージシャンが務めました。2010年1月17日、名古屋で3日間ライブの最終日にホテルで倒れ、病院で死亡が確認されました。享年67歳。

浅川マキ

ASIAN KUNG-FU GENERATION

アジアンカンフージェネレーション

ASIAN KUNG-FU GENERATION(あじあん かんふー じぇねれーしょん) 同じ大学に在籍していた4人により、1996年に結成。2002年に初の正式音源となる『崩壊アンプリファー』を発表。翌年、同作がメジャーレーベルから再リリースとなり、デビューを果たします。04年には2作目のアルバムがチャート1位を獲得。同年、初の日本武道館公演を成功させ、バンドの勢いは加速しました。03年からは国内外から多彩なアーティストを招いた「NANO-MUGEN FES」を主催し、多くのファンを魅了しています。

ASIAN KUNG-FU GENERATION

安部恭弘

アベヤスヒロ

1956年1月13日、東京都生まれ。シンガー。早稲田大学理工学部在学中より慶應大学の杉真理や竹内まりやらと出会い、杉真理のバンド「リアルマッコイズ」に参加。大手ゼネコンに就職するも音楽の道を選び、82年にシングル『We Got It !/裸足のバレリーナ』でデビュー。83年には1stアルバム『Hold Me Tight』を発表。“シティ・ポップ”の旗手として、メロウでソフトなポップスを歌い、80年代の日本のAORシーンを彩った。

安部恭弘

荒井由実

アライユミ

荒井由実(あらい ゆみ)
1954年1月19日、東京都出身。早くからソングライターとして注目され、71年に加橋かつみの「愛は突然に」を作曲しています。彼女自身は、72年に「返事はいらない」でレコード・デビュー。73年、キャラメル・ママを全面的に起用したファースト・アルバム『ひこうき雲』をリリース。74年のセカンド・アルバム『ミスリム』、75年の3作目『コバルト・アワー』と、ハイセンスなポップ感覚をもった作品を発表して、日本のミュージックシーンに新風を吹き込みました。76年末に松任谷正隆と結婚、松任谷由実となります。96年、荒井由実の名義でシングル「まちぶせ」をリリースし「荒井由実復活コンサート」を行ないました。

荒井由実

亜蘭知子

アラントモコ

1958年1月14日青森県弘前市生まれ。作詞家、歌手。TUBU、織田哲郎、南野陽子など数多くのアーティストに作品を提供し、三原順子に提供した「セクシーナイト」「ドラム」で注目を集める。1981年に『神経衰弱』で自らもアルバム・デビュー。また、TUBUに提供した「シーズン・イン・ザ・サン」「サマー・ドリーム」は大ヒットを記録し、作詞家として活躍。

亜蘭知子

アリス

アリス

ALICE (アリス) ロック・キャンディーズを解散した谷村新司(たにむら しんじ)が、1971年暮れに堀内孝雄(ほりうち たかお)、矢沢 透(やざわ とおる)と結成したグループですが、当初は谷村と堀内の2人で活動をスタートし、矢沢は72年春に合流しました。ALICEはなかなかヒット曲に恵まれませんでしたが、軽妙なトークを交えたライヴや深夜放送などで次第に人気を集めていきます。そして75年に「今はもうだれも」でブレイク。その後、「帰らざる日々」「冬の稲妻」「チャンピオン」など多くのヒット曲を送り出します。しかし、91年に東京・後楽園球場でのライヴを最後に活動を休止。その後、97年の短期間の活動を経て、2000年には本格的に活動を再開、ツアーも行なっています。

アリス

アルフィー

アルフィー

THE ALFEE(じ・あるふぃー) 1973年、明治学院大学で出会った高見沢俊彦(たかみざわ としひこ)、坂崎幸之助(さかざき こうのすけ)、桜井 賢(さくらい まさる)によって結成されました。74年、シングル「夏しぐれ」でデビュー。ヒット曲には恵まれませんでしたが、積極的なライヴ活動を通じてファンを増やし、83年に「メリーアン」でブレイクしました。その後は、個性的な3人のキャラクターと息の合ったハーモニーを生かしてトップグループとして活躍、86年の夏の野外イベントでは1アーティストで10万人を動員するという記録も残しています。現在もコンスタントに活動を続ける長寿グループです。

アルフィー

安全地帯

アンゼンチタイ

安全地帯(あんぜんちたい) 玉置浩二(たまき こうじ vo、g)、矢萩 渉(やはぎ わたる g)、武沢侑昴(たけざわ ゆたか g)、六土開正(ろくど はるよし b、kb)、田中裕二(たなか ゆうじ d)によって結成されたロックバンド。1982年に「萠黄色のスナップ」でレコードデビューし、翌年リリースした「ワインレッドの心」が大ヒット。その後も玉置浩二の圧倒的な歌唱力を生かして「恋の予感」「悲しみにさよなら」などをヒットさせていきます。その人気は国内に限らずアジア各地にも広がっていきましたが、88年秋に香港公演を行った後、活動休止。その後は、断続的な活動を行っています。

安全地帯

あんぜんバンド

アンゼンバンド

安全バンド(あんぜんばんど) 1970年に、東洋大学音楽部で出会った長沢博行(ながさわひろゆき vo、d)と伊藤純一郎(いとうじゅんいちろう vo、d)を中心に結成され、その後、相沢民男(あいざわたみお vo、g)が参加して本格的にライヴ活動を開始。首都圏を中心としたロックシーンで注目を集め、74年の「郡山ワンステップフェスティバル」をはじめ多くのステージに出演しています。75年、アルバム『アルバムA』、シングル「13階の女」でレコードデビューしましたが、相沢友邦(あいざわともくに vo、g)と中村哲(なかむらさとし kb、sax)の加入、相沢民男の脱退などのメンバーチェンジもありました。76年、アルバム『あんぜんバンドのふしぎなたび』をリリースし高い評価を受けましたが、間もなくバンドは解散。安全バンド、あんぜんバンドなど複数のバンド名表記をされていました。

あんぜんバンド

杏里

アンリ

杏里(あんり) 神奈川県に生まれる。1978年、高校2年生の時に「オリビアを聴きながら」でレコードデビュー。この時は大きな話題にはなりませんでしたが、「オリビアを聴きながら」は名曲としてロングセラーになります。83年には、アニメのテーマ曲となった「CATS EYE」、角松敏生プロデュースの「悲しみが止まらない」が大ヒットしトップ・アーティストに。その後、ウエストコースト・テイストをベースにした洗練された音楽性をもったアーティストとしての存在感を確立、ソングライターとしても注目されていきます。2000年代に入って、ロサンゼルスを生活拠点にして活動を展開しています。

杏里

RCサクセション

アールシーサクセション

RCサクセション 1968年、忌野清志郎(いまわの きよしろう)、小林和生(こばやし かずお)、破廉(はれん)ケンチの3人で結成されました。当初はアコースティック・ギターを中心としたスタイルで、70年にシングル「宝くじは買わない」でデビュー。東京・渋谷のフォーク喫茶「青い森」をホームグラウンドに、古井戸、泉谷しげるらと活動し、72年のシングル「ぼくの好きな先生」で注目されました。その後、78年には脱退した破廉ケンチに替わって、古井戸のメンバーだった仲井戸麗市(なかいど れいいち)、新井田耕造(にいだ こうぞう)が加入、R&B色の強いロックバンド・スタイルになります。その後、「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」などをヒットさせるなどトップグループとして活躍を続けましたが、90年に活動を停止しました。

RCサクセション

イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)

イエローマジックオーケストラ

細野晴臣(ほその はるおみ 1947年7月9日、東京都出身)、坂本龍一(さかもと りゅういち 1952年1月17日、東京都出身)、高橋幸宏(1952年6月6日、東京都出身)によって1978年に結成されました。細野が構想する”イエロー・マジック(黄色魔術)”=東洋的エレクトロニクス・ポップを世界にアピールするというコンセプトにもとづき、78年11月に『イエロー・マジック・オーケストラ』でデビュー。79年、80年とワールドツアーを成功させ、国内でも一世を風靡し、テクノ・ブームを巻き起こしました。彼らは、YMOおよびソロ活動で積極的なサウンドアプローチを重ね、海外のミュージシャンにも影響を与えていきましたが、83年に「散開」。1993年に「再生」し、アルバム『テクノドン』をリリース。その後も時に応じて3人が集まり、YMOとしての活動を行っています。

イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)

THE YELLOW MONKEY

イエローモンキー

THE YELLOW MONKEY(ざ いえろー もんきー) 88年結成。91年にインディーズレーベルから初のアルバム『Bunched Birth』を発表。リリース記念の全国ツアーを実施、東京や大阪ではワンマンライヴを行うなど徐々に動員を増やし、92年にシングル「Romantist Taste」でメジャーデビューしました。95年に発表した4作目のアルバム『smile』がチャート初登場4位を記録。同年には初の武道館ライヴを成功させ、続く5作目の『FOUR SEASONS』が初のチャート1位となります。その後も、「BURN」「JAM」「SPARK」といったヒットを重ねますが、2001年1月の東京ドーム公演を最後に活動休止。04年7月7日をもって解散しました。

THE YELLOW MONKEY

石川セリ

イシカワセリ

石川セリ(いしかわ せり) 1952.12.27.神奈川県出身。高校生の時にコーラスグループ「シング・アウト」に参加していましたが、71年に映画『八月の濡れた砂』の主題歌を歌ってレコードデビュー。井上陽水が手がけた「ダンスはうまく踊れない」など、どこか倦怠感の漂う印象的なヴォーカルで多くの人を魅了。その活動は断続的ですが、90年代には武満徹作品を取り上げるなど、意欲作を数多く発表しています。

石川セリ

泉谷しげる

イズミヤシゲル

泉谷(いずみや)しげる 1948.5.11.青森県出身。漫画家を目指していましたが、岡林信康などのフォークソングに接して自分でも曲をつくり、歌いはじめました。71年ライヴアルバム『泉谷しげる登場』でレコードデビュー、72年に「春夏秋冬」をヒットさせるなどフォークシーンの人気者となります。75年には、吉田拓郎、井上陽水、小室 等とともにフォーライフ・レコード設立に参加しますが、77年には離脱するなど、その活動はあくまでマイペース。北海道・奥尻島津波、長崎・普賢岳噴火などの被災者救済のための、積極的なチャリティ活動も知られています。また、俳優としても高く評価されています。

泉谷しげる

伊勢正三

イセショウゾウ

伊勢正三(いせ しょうぞう) 1951.11.13.大分県出身。高校生の頃から南こうせつとバンドを組んで活動し、71年にかぐや姫に参加。「なごり雪」「22才の別れ」など多くの名曲を生み出しました、かぐや姫が解散した75年には、「猫」のメンバーだった大久保一久とデュオグループ「風」を結成して「海風」「海岸通」などをヒットさせます。79年に「風」が解散した後は、シンガー・ソングライターとしてソロ活動を続けています。

伊勢正三

五つの赤い風船

イツツノアカイフウセン

五つの赤い風船(いつつのあかいふうせん) 1966年頃、西岡(にしおか)たかし、藤原秀子(ふじわら ひでこ)、中川(なかがわ)イサトを中心に活動をスタート。メルヘン的なニュアンスをもった曲で人気を集め、多くのフォークコンサートに出演しました。69年には、URCレコードの第一回新譜として高田 渡とのカップリングアルバム『高田渡/五つの赤い風船』をリリース。関西フォークシーンを代表するグループのひとつとして活躍を続けましたが、72年に解散。75年に西岡たかし、金森幸介(かなもり こうすけ)を中心にしたアルバム『五つの赤い風船’75』がリリースされ、79年にも再結成コンサートが開かれました。2000年からは本格的に活動を再開しています。

五つの赤い風船

五輪真弓

イツワマユミ

五輪真弓(いつわまゆみ) 1951.1.24生まれ。東京都出身。高校生時代にはフォークグループを作ってテレビ番組「ヤング720」にも出演。その後もラジオの「バイタリス・フォーク・ビレッジ」公開録音に参加するなどの活動で注目されました。72年、アメリカ録音のアルバム『少女』でレコードデビュー。その後「煙草のけむり」「さよならだけは言わないで」などをヒットさせています。そして80年、「恋人よ」の大ヒットでレコード大賞金賞を受賞し、より幅の広いシンガーとして認知されました。海外での評価も高く、77年にはフランスをはじめとするヨーロッパでアルバムをリリース、ステージも行っていますし、80~90年代には香港をはじめアジア各地でもコンサートを行っています。96年以降、育児に専念するためコンサート活動を休止しましたが2003年に再開。現在も精力的に活動を続けています。

五輪真弓

伊藤銀次

イトウギンジ

1950年12月24日、大阪府出身。学生時代にバンド、ごまのはえを結成。ごまのはえとしてシングルリリースをしていますが、その活動が大滝詠一の目に止まり上京、ココナツバンクとして活動をスタートします。ココナツ・バンク解散後、アルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』参加をきっかけにソロ活動を展開。ソロ・アーティストとして『DEADLY DRIVE』をはじめ精力的に作品をリリースするとともに、ギタリスト、プロデューサーとしても活躍、佐野元春、ウルフルズなど多くのアーティストを手掛けています。

伊藤銀次

稲垣潤一

イナガキジュンイチ

稲垣潤一(いながきじゅんいち) 1953.7.9生まれ。宮城県出身。中学生時代からバンドを始め、高校卒業後、ライヴハウスや米軍キャンプなどで、ドラマーそしてヴォーカリストとして活動。82年、「雨のリグレット」でレコードデビュー。シンガー・ソングライター全盛の時代に、シンガーに徹して自ら書いた曲は歌わないという姿勢を貫き、卓越した歌唱力で「ドラマティック・レイン」「夏のクラクション」「クリスマスキャロルの頃には」などの、大人のテイストをもったヒット曲を次々に送り出しました。最近では、女性シンガーとのデュエットで名曲をカヴァーした『男と女』シリーズが話題になるなど、今もトップアーティストとして活動を続けています。

稲垣潤一

井上陽水

イノウエヨウスイ

井上陽水(72年~
アンドレ・カンドレ(69年~70年)
1948年8月30日、福岡県出身。彼の曲が福岡のラジオ局で話題になったことから注目され、69年9月、アンドレ・カンドレの名前でデビューしました。しかし、レコードはまったくヒットせずに挫折。72年3月1日、井上陽水名義となり、「人生が二度あれば」で再デビュー。ファースト・アルバム『断絶』に収められた「傘がない」が、虚無的な当時の若者の真情を表現していると注目されました。その音楽は若い世代の指示を得て、73年末から75年までの足掛け3年間、アルバム『氷の世界』『二色の独楽』そして『断絶』がチャートの上位を独占するベストセラーとなり、それまでシングル盤が中心とされていた日本の音楽シーンが、アルバム中心の時代へと変わる先駆けとなりました。その後も、優れたソングライティングの才能と存在感のある声でトップアーティストとして活躍中です。

井上陽水

今井美樹

イマイミキ

今井美樹(いまい みき) 1963年、宮崎県出身。1983年頃からモデルとしてファッション雑誌、CM、女優としてドラマに出演するなどしていましたが、86年5月に「黄昏のモノローグ」で歌手デビュー。透明感のある歌声で数多くのヒット曲を生み出し、トップシンガーとして脚光を浴びました。とくに「PRIDE」(96年)は160万枚以上のビッグセールスを記録しています。その後もフェミニンな大人の魅力をもったアーティストとしてコンスタントに活動を続けています。

今井美樹

忌野清志郎

イマワノキヨシロウ

忌野清志郎(いまわの きよしろう) 1951.4.2.東京都出身。15歳の時に結成したバンドを発展させてRCサクセションを結成、中心メンバーとして活躍しました。バンドの活動中も、82年には坂本龍一との共作で「い・け・な・いルージュマジック」をヒットさせたり、87年にソロアルバム『RAZOR SHARP』をリリースするなどしていましたが、RCサクセションの活動停止後は覆面バンドのザ・タイマーズ、細野晴臣・坂本冬美とのユニット「HIS」などを含む多彩な活動を展開していきます。また、メーカーの自主規制で発売中止となった作品をリリースするためにインディーズレーベル「SWIM RECORDS」を設立するなど、圧力に屈しない姿勢を最後まで貫き通しました。2009年5月2日、ガンにより死去。

忌野清志郎

イルカ

イルカ

イルカ 1950.12.3.東京都出身。女子美術大学在学中からフォークグループを結成していました。シュリークスに参加してプロデビューしましたが、74年にソロとなって「あの頃ぼくは」をリリース。75年には「なごり雪」が大ヒットし、トップアーティストになりました。その後、シンガー・ソングライターとしてコンサートを中心に活動。絵本作家、エッセイストとしても活躍しています。

イルカ

上田正樹

ウエダマサキ

上田正樹(うえだ まさき) 1949.7.7.京都府出身。72年に「金色の太陽が燃える朝に」でレコードデビューしていますが、バッドクラブ・バンドを経て、74年に「上田正樹とサウス トゥ サウス」を結成。ソウルフルなボーカリストとして脚光を浴びます。その後、ソロシンガーとして活動。83年に「悲しい色やね」をヒットさせました。現在もハートフルなヴォーカリストとして活躍。国内だけでなく、韓国、東南アジアでも多くのファンに支持されています。

上田正樹

上田正樹とサウス トゥ サウス

ウエダマサキトサウストゥサウス

上田正樹とサウス トゥ サウス 関西のソウルシーンで活動する上田正樹を中心に74年に結成されたバンド。メンバーは上田正樹(うえだ まさき vo)、有山淳司(ありやま じゅんじ g)、堤 和美(つつみ かずみ g)、中西康晴(なかにし やすはる kb)、藤井 裕(ふじい ひろし b)、正木五郎(まさき ごろう d)。75年にアルバム『この熱い魂を伝えたいんや』をリリースし、熱狂的なステージでライヴシーンを盛り上げました。また、彼等のライヴのアコースティックパートの空気感を伝えるアルバムとして、上田正樹と有山淳司名義の『ぼちぼちいこか』があります。76年に解散。

上田正樹とサウス トゥ サウス

宇崎竜童(竜童組)

ウザキリュウドウ

宇崎竜童<竜童組>(うざきりゅうどう<りゅうどうぐみ>)  1946.2.23、京都府で生まれる。73年にダウンタウン・ブギウギ・バンドを結成し、リーダーとして活動する一方、作曲家として山口百恵らに楽曲提供したり、映画音楽を手掛けるなどしていました。81年末にダウンタウン・ブギウギ・バンド解散ソロ活動を行っていましたが、84年、ロックと日本の伝統音楽を融合させる試みとして竜堂組を結成。当初のメンバーは、宇崎竜堂、川崎真弘(かわさきまさひろ per)、ロミー木下(ろみーきのした b)、樋口晶之(ひぐちまさゆき d)、永井充男(ながいみつお g)、小針克之助(こばりかつのすけ g)、柳沼寛(やぎぬまひろし sax)など。和太鼓の林英哲がゲストプレイヤーとして参加。竜童組は精力的な活動を展開し90年まで活動。93年には宇崎、井上堯之(いのうえたかゆき g)、琢磨仁(たくまじん b)、そうる透(そうるとおる d)、関谷聡(せきやあきら kb)でRU CONNECTION with 井上堯之を結成し、大人のロックを追求しました。その後も、ソロ活動を続ける一方、演出家蜷川幸雄の舞台への音楽提供など多彩なフィールドで活躍中。

宇崎竜童(竜童組)

宇多田ヒカル

ウタダヒカル

宇多田ヒカル(うただ ひかる) 1983年1月19日アメリカ・ニューヨーク州生まれ。アメリカでCubic U名義でレコーディングしていましたが、日本デビューが決まって、1998年にCubic U名義のアルバム『Precious』をリリース後、ソロシングル「Automatic」でレコードデビュー。卓越した歌唱力とグルーヴ感で音楽ファンの話題となり大ヒットとなり、一気にトップアーティストとなります。その後も、「First Love」「For You」「traveling」などビッグヒットを連発、シンガーとしてだけでなく、ソングライターとしても高く評価されました。2004年にはUtada名義で全米デビューも果たしています。しかし、2010年いっぱいで、一時アーティスト活動を休止しています。

宇多田ヒカル

ウルフルズ

ウルフルズ

ウルフルズ(うるふるず) 1988年、大阪の喫茶店でアルバイトをしていたウルフルケイスケ(うるふるけいすけ g)、トータス松本(とーたすまつもと vo)、ジョン・B・チョッパー(じょんびーちょっぱー b)らによって結成されました。89年、サンコンJr(さんこんじゅにあ d)が加入して関西のライヴシーンを中心に活動していましたが、92年にシングル「やぶれかぶれ」でメジャーデビュー。95年に「ガッツだぜ!!」「バンザイ~好きでよかった~」などヒットを連発。大阪のソウルが匂うパワフルなバンドとして人気を集めました。一時、ジョン・B・チョッパーがバンドを離れましたが、2002年に復帰。その後も「ええねん」などヒット曲を輩出しましたが、2009年に活動休止。

ウルフルズ

UA

ウーア

UA(うーあ) 1972.3.11.大阪府出身。1995年にシングル「HORIZON」でメジャーデビュー。96年発表の3作目シングル「太陽手に月は心の両手に」がCMソングに起用されると、圧倒的な歌唱力が話題を呼びました。続く4作目の「情熱」でブレイクし、同年リリースのアルバム『11』は90万枚を超えるセールスとなります。ソウルフルな歌声でトップ女性アーティストとしての位置を築く一方で、『水の女』『大日本人』などの映画作品や「私立探偵 濱マイク」などのドラマにも出演し、女優としても活躍しています。

UA

EGO-WRAPPIN'

エゴラッピン

大阪府出身の音楽ユニット。メンバーは中納良恵(vo)森雅樹(g)。1996年に結成し、関西を中心に活動を展開。その後、拠点を東京へ移す。98年に『BLUE SPEAKER』でアルバム・デビュー。2000年の「色彩のブルース」がキャバレー音楽や昭和歌謡をルーツにした独自の世界観として話題を呼び、ロングヒット。2002年にはドラマ主題歌となった「くちばしにチェリー」でも脚光を浴びる。以降、作品ごとに斬新な音楽性を発揮、国内外のライブで活躍を続ける。

EGO-WRAPPIN'

EPO

エポ

EPO(えぽ) 1960.5.12.東京都出身。セッション・ヴォーカリストなどを経て、80年にシュガーベイブのカバー「DOWN TOWN」でレコードデビュー。この曲はテレビの人気番組『オレたちひょうきん族』のエンディングテーマ曲としてオンエアされました。引き続き同番組のエンディングテーマ曲となった「土曜の夜はパラダイス」、CMに使用された「う、ふ、ふ、ふ、」などをヒットさせます。その後、自分の音楽性の深化をめざして87年から91年までイギリスに住み、Virginレコードからレコードをリリース。その後も、ワールドミュージック的な視点と豊かな人間性を感じさせる作品をコンスタントに発表しています。

EPO

エレファントカシマシ

エレファントカシマシ

エレファントカシマシ(えれふぁんとかしまし) 東京の中学校で出会った宮本浩次(みやもとひろじ vo、g)、石森敏行(いしもりとしゆき g)、富永義之(とみながよしゆき d)を中心に81年に結成されたバンド。86年に高緑成治(たかみどりせいじ b)が参加し、メンバーはこの4人で固定されました。88年、シングル「デーデ」とアルバム『THE ELEPHANT KASHIMASHI』でレコードデビュー。激しいビートの中に深い情念を感じさせるサウンドで独自の存在感を発揮していきますが、97年のシングル「今宵の月のように」、アルバム『明日に向かって走れ―月夜の歌―』の大ヒットでブレイク。その後も自分たちの音楽性をストレートに打ち出して活動を続けています。

エレファントカシマシ

遠藤賢司

エンドウケンジ

遠藤賢司(えんどう けんじ) 1947.1.13.茨城県出身。69年「ほんとだよ」でURCからレコードデビュー。関西勢中心のフォークシーンで脚光を浴び、中津川で行われた全日本フォークジャンボリーにもすべて参加しています。アコースティックギターの繊細な弾き語りから激しいシャウトまでを含むバラエティ豊かな演奏スタイルを「ハードフォーク」と呼び、89年には遠藤賢司バンド(湯川トーベン b、嶋田吉隆 d)を結成するなどそのスタイルをエスカレートさせています。精力的で個性にあふれる音楽表現は、世代を越えて注目されています。

遠藤賢司

及川光博

オイカワミツヒロ

及川光博(おいかわみつひろ) 1969.10.24生まれ、東京出身。演劇の志向ももっていましたが、95年にシングル「S.D.R.」でインディーズデビューし、翌96年にシングル「モラリティー」でメジャーデビュー。王子様的なキャラクター設定で、女性ファンを巻き込んだパフォーマンスを展開するなど、演出と音楽表現を連動させた遊び心のある独創的なエンターテイメント世界をつくりだし、人気を集めています。21世紀に入るころから俳優としての活動にも力を入れ、ドラマや舞台で活躍しています。

及川光博

大江千里

オオエセンリ

大江千里(おおえせんり) 1960.9.6東京生まれ。生後間もなく大阪に転居。早くからピアノを習い、中学生時代には作曲も始めていました。大学時代に結成していたバンドがレコード会社の目に留まりましたが、シンガーソングライターとしてデビューすることになり、83年にシングル「ワラビーぬぎすてて」、アルバム『WAKU WAKU』をリリース。その後、ポップな音楽センスと親しみやすいキャラクターで人気者となり「十人十色」「格好悪いふられ方」などのヒット曲を送り出すとともに、ソングライターとしての楽曲提供や俳優などとしても活躍しました。また、95年の阪神淡路大震災に際しては、積極的にチャリティ活動を行っています。2007年、これまでの音楽活動に区切りをつけ、ジャズピアニストを目指してニューヨークに渡り、2012年、ジャズピアニストとして初のアルバム『Boys Mature Slow』をアメリカと日本でリリース。

大江千里

大黒摩季

オオグロマキ

大黒摩季(おおぐろ まき) 12月31日、北海道生まれ。プロの歌手を目指して単身で状況し、オーディションを経て、コーラスを中心に活動を始めます。1992年、優れた歌唱力が評価されて「STOP MOTION」でデビュー。セカンドシングル「DA・KA・RA」が大ヒットし、この年のレコード大賞新人賞を受賞します。その後、「チョット」「夏が来る」など大ヒットを次々と送り出しました。初期はレコーディング活動が先行していましたが、97年から本格的なライヴ活動もスタートさせました。2000年は充電期間として活動を休止、2001年に活動を再開、それまでより幅広いスタンスで活動を展開していきましたが、現在は病気治療のため活動を休止しています。

大黒摩季

大澤誉志幸

オオサワヨシユキ

大澤誉志幸(おおさわよしゆき) 1957.10.3東京都に生まれる。高校生時代からバンド活動をしていましたが、大学生の時に結成したバンド、クラウディ・スカイのヴォーカリストとして、81年にレコードデビュー。同年末にクラウディ・スカイが解散すると、単身ニューヨークに渡り約一年滞在しました。帰国後、作曲家として沢田研二の「おまえにチェックイン」「晴れのちBlue Boy」、中森明菜の「1/2の神話」、山下久美子の「こっちをお向きよソフィア」、吉川晃司の「ラ・ヴィアンローズ」らのヒット曲を手掛けるとともに、自らも83年にシングル「彼女には判らない」でアーティストデビュー。84年には「そして僕は途方に暮れる」をヒットさせました。<!-- 98年、作家、プロデュース活動に専念するためにアーティスト活動を休止しましたが、2002年に活動を再開。その時に大沢誉志幸から大澤誉志幸と表記を変えています。 -->

大澤誉志幸

太田裕美

オオタヒロミ

太田裕美(おおた ひろみ) 1955.1.20.東京都出身。早くから音楽学校に通いながらスクールメイツのメンバーとして活動。73年にはNHKの「ステージ101」にヤング101のメンバーとして出演していました。74年、シングル「雨だれ」でレコードデビュー。アイドルでありながら、フォーク的な匂いを感じさせるピアノの弾き語りというスタイルで注目されました。75年には松本 隆が作詞を手がけた「木綿のハンカチーフ」のヒットで、歌謡曲とニューミュージックのかけ橋的な存在として認知されることになります。太田裕美自身も、シンガー・ソングライター色を深めるとともに、さまざまなミュージシャンとのコラボレーションなど積極的なアプローチを展開していきました。現在も、母親としてのスタンスを軸にしながらマイペースで音楽活動を続けています。

太田裕美

大塚博堂

オオツカハクドウ

1944年3月22日生まれ、大分県別府市出身のシンガー・ソングライター。当初ジャズ・シンガーとして活動し、72年に“大塚たけし”名義で歌手デビュー。不遇な時を過ごすものの、クラブでの弾き語りの活動などが評判になり、32歳となった76年6月に『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』で再デビュー。これが評価され、“愛を唄う吟遊詩人”として徐々に人気を高めていく。代表作は「めぐり逢い紡いで」「過ぎ去りし想い出は」「季節の中に埋もれて」など。81年5月18日に脳内出血のため37歳で急逝。

大塚博堂

大塚まさじ

オオツカマサジ

大塚まさじ オオツカ・マサジ
1950年3月18日生まれ、大阪府茨木市出身のフォーク・シンガー。69年、19歳の時に大阪・難波元町の喫茶店“ディラン”を開店。西岡恭蔵、中川イサト、友部正人、加川良らと出会う。70年に西岡恭蔵、永井洋らと“ザ・ディラン”、71年に永井ようと“ザ・ディランII”を結成。「男らしいって解かるかい/プカプカ」でデビューを果たす。74年の解散までにアルバム5枚を発表。76年、「遠い昔ぼくは…」でソロ・デビュー。以降、関西を中心に活動を展開。85年からは全国一周ひとり旅ツアーを開始。また、俳優や著述、ラジオパーソナリティとしても活躍。

大塚まさじ

大貫妙子

オオヌキタエコ

1953年11月28日、東京都出身。高校生時代からアマチュアで活動を始めました。セッションを通じて山下達郎と出会い、73年にシュガー・ベイブを結成。75年に『SONGS』でレコード・デビュー。76年、シュガー・ベイブの解散によってシンガー・ソングライターとしてソロ活動に入り、同年ソロ・アルバム『Gray Skys』を発表。その後、コンスタントに作品を発表していきますが、80年代初期、ヨーロッパ的ロマンティシズムの感覚を取り入れた作品で独自の世界を確立。その後も高い音楽性に裏打ちされた透明感あふれる作品をクリエイトし続けています。

大貫妙子

大村憲司

オオムラケンジ

大村憲司 オオムラ・ケンジ
1949年5月5日生まれ、兵庫県神戸市出身のギタリスト/作曲家/アレンジャー。69年にコンテストのロック部門で優勝。渡米を経て、“赤い鳥”に参加するも73年に脱退。その後、エントランス、バンブー、カミーノとバンドを結成。80年にはYMOのツアーに参加。以降、80年代はアレンジャーとしても活躍。山下久美子、大江千里、本田美奈子らの楽曲を手掛ける。80年代後半から90年代前半にはギタリストとして後藤次利作品を中心に参加。“ミュージシャンズ・ミュージシャン”として名を馳せたが、98年11月18日に49歳で死去。

大村憲司

岡林信康

オカバヤシノブヤス

岡林信康(おかばやし のぶやす) 1946.7.22.滋賀県出身。67年、滋賀のキリスト教教会で行なわれたフォーク集会で高石ともやと出会い、自作の曲を歌うようになります。68年に「山谷ブルース」でレコードデビュー。社会的タブーにも鋭く踏み込んだメッセージ色の強い曲を発表し、多くのミュージシャンに影響を与え、フォークシーンをリードする存在になります。70年には、はっぴいえんどをバックバンドに起用してロック色を打ち出すなど、次第にその音楽の幅を広げていき、演歌、ポップス、民謡などを消化しながら自分ならではの表現を模索しつつ、現在も活動を続けています。

岡林信康

岡村孝子

オカムラタカコ

岡村孝子(おかむら たかこ) 1962.1.29、愛知県生まれ。大学の同級生だった加藤晴子(かとう はるこ)とデュオグループ、あみんを結成し、82年に「待つわ」(作詞作曲:岡村孝子)でレコードデビューしました。あみんは83年いっぱいで活動休止となりましたが、85年10月にシングル「風は海から」、アルバム『夢の樹』でソロデビュー。87年にリリースした「夢をあきらめないで」が多くの人に愛され、音楽教科書にも掲載されるなど、シンガーソングライターとして活躍。07年からはあみんとしての活動も再開しています。

岡村孝子

岡村靖幸

オカムラヤスユキ

岡村靖幸(おかむら やすゆき) 1965.8.14.兵庫県出身。高校生の頃から音楽に取り組み、ソングライターとして渡辺美里、吉川晃司らに楽曲を提供していきます。86年、自らもシングル「OUT OF BLUE」でアーティストとしての活動をスタート。優れた楽曲とアクティブなパフォーマンスで人気を集め、「だいすき」「どぉなっちゃってんだよ」などをヒットさせていきます。90年代半ばからは、他のシンガーへの楽曲提供やプロデュースを中心としていますが、アーティストとしての活動も断続的に行っています。

岡村靖幸

岡本真夜

オカモトマヨ

岡本真夜(おかもと まよ) 高知県出身。1月9日、高知県生まれ。高校卒業後、音楽家を目指して上京、曲作りを中心に活動し、1995年に自作曲「TOMORROW」でデビュー。「TOMORROW」は大ヒットし、この年のNHK「紅白歌合戦」に出場。これが初のテレビ出演でした。その後も「FOREVER」「そのままの君でいて」などのヒット曲を送り出す一方、ソングライターとしても活躍し、石井聖子、広末涼子、岩崎宏美など、多くの歌手に楽曲を提供、プロデューサーとしても活躍していきます。テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」のエンディングテーマ「アララの呪文」の作曲も手がけています。

岡本真夜

奥田民生

オクダタミオ

奥田民生(おくだ たみお) 1965.5.12.広島県出身。1986年、UNICORNにヴォーカリストとして加入し、87年レコードデビュー。バンド在籍中にも、ソロシングル「休日/健康」をリリースしたり、JUN SKY WALKER(S)の寺岡呼人とユニットを組んだりしていましたが、93年にUNICORNが解散すると、94年のシングル「愛のために」をきっかけに本格的なソロ活動をスタート。さらに96年にはプロデューサーとして女性デュオグルーフPUFFYを手がけたり、97年には井上陽水とのユニット「井上陽水奥田民生」を結成し、アルバム『ショッピング』をリリースするなど、多彩な活動を展開しています。

奥田民生

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