アーティスト・アーカイヴ
ARTIST ARCHIVES
紫
ムラサキ
紫(むらさき) 沖縄のロックシーンで活躍するジョージ紫(むらさき)が1970年に結成したグループ。メンバーチェンジを経て、ジョージ紫(kb)、宮永英一(みやなが えいいち d、vo)、城間正男(しろま まさお vo)、城間俊雄(しろま としお b)、比嘉清正(ひが きよまさ g)、下地行男(しもじ ゆきお g)となり、76年にアルバム『MURASAKI』をリリース。そのハードでソウルフルな演奏は、本土のロックシーンに衝撃を与え、彼らの登場によって、沖縄ロックシーンが一気に脚光を浴びることになりました。しかし、78年にジョージ紫ら主要メンバーが脱退してしまい、81年に解散しますが、その後何度か復活しています。
村松邦男
ムラマツクニオ
村松邦男(むらまつくにお) 1952.3.17、東京生まれ。72,年、シュガー・ベイブ結成に参加し、76,年に解散するまでギタリストとして活動しました。シュガー・ベイブ解散後は大瀧詠一のアルバム『多羅尾伴内楽団vol.2』にギタリストとしてフィーチャリングされるなど、ギタリストとして活動するとともに、アレンジャー、プロデューサーとしてもシャネルズ 、スクーターズなど多くのアーティストを手掛けています。ソロアーティストとしても83年の『GREEN WATER』をはじめ4枚のアルバムと4枚のシングルをリリース。現在は、元KODOMO BANDの安部”ohji”隆雄(あべおうじたかお b)らとユニット、R・O・M・Aを結成し、ライヴ活動やCDリリースもしています。
ムーンライダーズ
ムーンライダーズ
鈴木博文(すずき ひろふみ 1954年5月19日、東京都出身)、山本博美(やまもと ひろみ)らを中心に1972年に結成されたムーンライダーズというグループがありました。73年、このグループに松本隆(まつもと たかし)と矢野誠(やの まこと)が参加してはっぴいえんど解散コンサートに出演。この演奏はアルバム『素晴しき船出』に収録されましたが翌年解散。75年、はちみつぱいを解散した鈴木慶一(すずき けいいち 鈴木博文の実兄)が新たなグループを結成する際にムーンライダーズの名を引き継ぎました。初期メンバーは、鈴木慶一(g)、鈴木博文(b)、椎名和夫(しいな かずお g)、武川雅寛(たけかわ まさひろ vi、tp)、岡田 徹(おかだ とおる kb)、かしぶち哲郎(てつろう d)。77年に椎名が脱退し、白井良明(しらい りょうめい)が参加。独自のニューウェイブ感覚を打ち出したサウンドで常にシーンに存在感を打ち出していきますが、2011年11月、無期限の活動停止を発表。鈴木慶一が高橋幸宏とザ・ビートニクスを結成しているように、メンバーのソロ、および個別活動も積極的に展開されています。
メスカリン・ドライヴ
メスカリンドライヴ
メスカリン・ドライヴ(めすかりんどらいぶ) 1984年、伊丹英子(いたみひでこ g)、ケイト(けいと b)、リリー(りりー g)、なっかん(d)によって結成され、その後、内海洋子(うつみようこvo)が加入して関西を中心に活動を始めました。伊丹、内海以外のメンバーは流動的でしたが、本格的女性ロックバンドとして評価されていきます。ニューエストモデルとの関係が深く、メンバー同士の交流も盛んで、88年には共同で「ソウル・フラワー・レコード」を設立しています。89年にはアルバム『スプーニー・セルフィッシュ・アニマルズ』でメジャーデビューし、深いテーマを託した作品をリリースしていきますが、93年にニューエスト・モデルとともに解散。ふたつのバンドのメンバーでソウル・フラワー・ユニオンを結成しました。
THE MODS
モッズ
THE MODS(ざ もっず) 福岡でバンド活動をしていた森山達也(もりやま たつや vo、g) が1973年に結成していたバンド「開戦前夜」を発展させて「THE MODS」を結成。メンバーチェンジを繰り返しますが、森山、苣木寛之(ちさき ひろゆき g、vo)、北里晃一(きたざと こういち b、vo)、梶浦雅裕 (かじうら まさひろ d)となって、81年にシングル「崩れ落ちる前に」、アルバム『FIGHT OR FLIGHT』でデビュー。ワイルドなビートサウンドで人気となり、博多のロックシーン=.めんたいロックのブームを引き寄せました。その後も不動のメンバーで活動を続けてきましたが、2009年にドラマーが佐々木周(ささき しゅう)に替わっています。
モップス
モップス
日本のロック・バンド。星勝(g&vo)、三幸太郎(g)、村上薫(b)、スズキ幹治(ds)からなるバンド“チェックメイツ”を前身に、スズキの兄の鈴木ヒロミツ(vo)が加わった5人組で活動を開始。67年11月、シングル「朝まで待てない」でメジャー・デビュー。“日本最初のサイケデリック・サウンド”を標榜し、ジャズ喫茶や米軍キャンプなどでの演奏活動などを展開。GSブームの中で異彩を放つ存在に。68年末には本来のシンプルなR&B、ロックンロール志向に回帰。 翌年に村上が脱退。以降、4人で活動を継続。71年に「月光仮面」、72年に「たどりついたらいつも雨ふり」を発表、若者を中心に支持された。74年5月に解散。
森高千里
モリダカチサト
森高千里(もりたかちさと) 1969.4.11生まれ。熊本県出身。86年にタレントとして活動をはじめ、87年5月にシングル「NEW SEASON」でレコードデビュー。その後、作詞を手掛けるようになり、「ミーハー」「ストレス」など個性的な詞が持ち味となっていきます。89年、南沙織のカヴァー「17歳」がヒットしてブレイク。ライヴのコスプレ的ビジュアルとユニークな楽曲で人気を集め、「私がオバサンになっても」(92年)「渡良瀬橋」(93年)なのヒットを飛ばす一方、カーネーションとのコラボレーションや、自らドラムやギターを弾いてレコーディングするなど、音楽的アプローチにも注目すべきものがありました。99年に江口洋介と結婚、一児の母となりましたが、家庭生活、育児を優先しながら音楽活動も続けています。
森山直太朗
モリヤマナオタロウ
森山直太朗(もりやまなおたろう) 1976.4.23、東京生まれ。母は森山良子。サッカー少年でしたが、大学時代に本格的に音楽活動を開始し、2001年にインディーズから直太朗名義でアルバム『直太朗』をリリース。02年にミニアルバム『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』でメジャーデビューし、03年に「さくら(独唱)」を大ヒットさせてブレイクしました。透明感のある声と不思議な情感をもった楽曲で支持を広げ、着実な活動を続けていきます。08年には「生きてることが辛いなら」でレコード大賞作詞賞を受賞。ライヴ活動やCDリリースもコンスタントに行っていますが、10年には、これまでのアルバム収録曲選曲でボツになった曲を集めたアルバム『レア・トラックスVol.1』をリリースするなど、枠に捉われないユニークな面も魅力になっています。
矢井田瞳
ヤイダヒトミ
矢井田 瞳(やいだひとみ) 1978.7.28、大阪府出身。99年にシングル「nothing」をリリースしていますが、この時はSEESEEという名義でした。翌2000年には、インディーズから矢井田瞳としてシングル「Howling」をリリース。同じ年にシングル「B’coz I Love You」でメジャーデビューし、セカンドシングル「my sweet darlin’」を大ヒットさせてブレイクしました。素直な感情を託した飾らない歌で多くの人々を魅了し、積極的に大型コンサートも開催されました。しかし、観客とより密接な音楽空間を作ることを大切にするため、2004年を最後にドームコンサートを行っていません。
八神純子
ヤガミジュンコ
1958年1月5日生まれ、愛知県名古屋市出身のシンガー・ソングライター。“ジューン・スタンレー”名義での活動もあり。74年、第8回ポピュラーソングコンテストで「雨の日のひとりごと」「幸せの時」がともに入賞、翌年の同コンテストでも「幸せの国へ」が優秀曲賞となるなど、デビュー前より高い評価を獲得。78年、シングル「思い出は美しすぎて」でプロ・デビュー。3枚目のシングル「みずいろの雨」が大ヒットし、以降「想い出のスクリーン」「ポーラー・スター」「Mr.ブルー~私の地球~」「パープルタウン」などヒットを連発。87年からはロサンゼルスへ拠点を移して活動。2012年より本格的に日本でのライヴ活動を再開。
矢野顕子
ヤノアキコ
幼少期を青森で過ごし、この頃からピアノを習っていましたが、青山学院高等部に進んだ頃からジャズクラブなどで演奏するようになりました。1972年頃からティン・パン・アレイ系セッションの常連となり、いくつもの作品に参加しています。76年、アルバム『JAPANESE GIRL』でデビューして脚光を浴びますが、ソロ活動だけでなく79-80年のイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)ツアーメンバーとして参加したり、ジャンルを越えた多くのミュージシャンと多彩な交流を展開。さらに、ピアノ弾き語りライヴ『出前コンサート』など、既成の形に捉われない自由な活動スタイルでも注目されています。90年代以降は活動の拠点をニューヨーク州に移し、グローバルなスケールでクリエイティブな活動を展開しています。
山口百恵
ヤマグチモモエ
1959年1月17日生まれ、神奈川県出身の歌手/女優。72年にオーディション番組『スター誕生!』で準優勝し、翌73年に自身出演の映画『としごろ』との同名曲でデビュー。“スタ誕”出身の森昌子、桜田淳子とともに“花の中3トリオ”として注目される。2作目「青い果実」からは“青い性”路線へとイメージチェンジしてブレイク。以降、純朴な少女というルックスとセクシーな楽曲というギャップで人気を獲得し、「ひと夏の経験」ほか数多くのヒットを放つ。また、『伊豆の踊子』『潮騒』などの映画に出演、女優としても存在感を発揮した。80年、三浦友和との婚約を機に引退。22歳を待たない約7年の芸能生活だが、ファンに鮮烈な記憶を残している。
山弦
ヤマゲン
山弦(やまげん) 人気ギタリストの小倉博和(おぐらひろかず 1960.1.28、香川県生まれ)と佐橋佳幸(さはしよしゆき 1961.9.7、東京都生まれ)によるギターデュオグループ。1991年の原由子のアルバム『MOTHER』のセッションをきっかけに、二人がユニットを組んでライヴを中心に活動を開始。<!-- 始め、93年にはアルバム『山弦』をリリースしています。 -->その後、山弦独自の活動を続けるとともに、2001年には大貫妙子とシングル「あなたを思うと」をリリースし、大貫と山弦のツアーも行っています。また、小倉、佐橋に平松八千代(ひらまつやちよ vo)を加えたユニット、SOYとしても活動、98年にアルバム『S・O・Y』をリリースするなどしていますが、現在SOYは活動を休止しています。
山下達郎
ヤマシタタツロウ
1953年2月4日、東京都出身。早くからアメリカン・ポップスの影響を受け、アマチュア・バンドで活動していましたが、バンドの解散記念に自主制作したアルバム『Add Some Music To Your Day』が大滝詠一(おおたき えいいち)の目にとまり、はっぴいえんど解散コンサートにコーラスとして起用されます。しかし、この時すでに大貫妙子(おおぬき たえこ)らとシュガー・ベイブでの活動を開始していたため、シュガー・ベイブとして出演しました。シュガー・ペイブは75年に大滝詠一が設立したナイアガラ・レーベルから『SONGS』でレコードデビューしましたが間もなく解散、山下はソロで活動を続けました。80年、「ライド・オン・タイム」でブレイク。その後トップ・アーティストとしてシーンをリードし続けています。レコーディングとライヴを中心とし、テレビには出ないという姿勢を貫いていますが、クオリティに徹底的にこだわった作品は時代を越えるスタンダード的魅力を持ち、世代を越えて親しまれている曲が数多くあります。
吉田拓郎
ヨシダタクロウ
(デビューから1975年までは、よしだたくろうと表記)
1947年4月5日、鹿児島県出身。広島商科大学在学中にバンドを結成するなど積極的に音楽活動を展開。後に広島フォーク村のメンバーとなります。広島フォーク村のオムニバスアルバム 『古い船をいま、動かせるのは古い水夫じゃないだろう』に参加したことがきっかけになり、70年6月に「イメージの詩」でデビュー。71年の第3回全日本フォークジャンボリーでの「人間なんて」の熱唱が伝説となり、新しいフォークの旗手として脚光を浴びます。さらに、72年に「結婚しようよ」のヒットで、新世代を代表するアーティストとして高い人気を獲得。その後も、75年のフォーライフ・レコード設立、「つま恋」「篠島」などでの野外オールナイト・コンサートなど、それまで前例のない活動にも積極的に取り組み、新たな可能性を切り開きながら、自分の想いを歌い続けています。
ラストショウ
ラストショウ
ラストショウ(らすとしょう) 1974 年、泉谷しげるのバックバンドとして結成されました。メンバーは松田幸一(まつだこういち harp、他)、村上律(むらかみりつ g)、徳武弘文(とくたけひろふみ g)、河合徹三(かわいてつぞう b)、島村英二(しまむらえいじ d)。泉谷しげるだけでなく、さまざまなシンガーをバックアップするとともに、77年にアルバム『アリ ゲーター・ラジオ・ステーション』をリリースするなど、バンド単独でも活動。日本では珍しい、カントリー・ロックのテイストをもったグループして脚光を浴びました。ラストショウ解散後も、メンバーはそれぞれセッション等で活躍していましたが、2008年に再結成しています。
L'Arc~en~Ciel
ラルクアンシエール
L’Arc~en~Ciel(らるくあんしえる) 1991年、大阪でtetsuya(てつや b)を中心に結成され、関西を拠点に活動をスタート。オムニバス・アルバムやイベント等への積極的な参加を足がかりに、ライヴ活動の範囲を関東にも広げ、不動の人気を得ます。93年にhyde(はいど vo)、ken(けん g)、tetsuya、sakura(さくら d)というメンバーで、ファーストアルバム『DUNE』を発表。オリコンのインディーズチャート1位を獲得しました。翌94年にはビデオ・シングル「眠りによせて」でメジャーデビュー。sakuraからyukihiro(ゆきひろ)へのドラマー交代を経てからも数多くのヒット曲を生み出し続け、東アジアや欧米でのライヴ開催など、その活動は世界的規模へと広がっています。
LINDBERG
リンドバーグ
LINDBERG(りんどばーぐ) アイドルとして活動していた渡瀬マキ(わたせ まき vo)と、バックバンドを務めていた平川達也(ひらかわ たつや g)が、川添智久(かわぞえ ともひさ b)と小柳昌法(こやなぎ まさのり d)を誘い結成。1989年にメジャーデビューすると、翌年の2作目となるシングル「今すぐ Kiss Me」がドラマ主題歌となり大ヒット、チャート1位を獲得します。「BELIEVE IN LOVE」「恋をしようよ Yeah!Yeah!」などヒットが続き、紅白歌合戦への出場を果たしますが、2002年に解散。その後、デビュー20周年となる2009年に期間限定で再始動し、多くのファンを喜ばせました。
LUNA SEA
ルナシー
LUNA SEA(るなしー) 1989年結成。「LUNACY」名義で東京・町田PLAY HOUSEを拠点に活動をスタートさせました。実績を積みながら飛躍的に動員数を伸ばし、一躍インディーズシーンの中心となります。92年に「LUNA SEA」としてアルバム『IMAGE』でメジャーデビュー。94年発表のシングル「ROSIER」の大ヒットを皮切りに、ドームやスタジアムクラスのライヴをソールドアウトさせるなど多くのファンを獲得しますが、2000年に“終幕”。その後、各メンバーはソロとしてのキャリアを重ねつつ活動を継続。一夜限りの再結成を経て、2010年にバンドとしての活動を再開しました。
レベッカ
レベッカ
REBECCA(レベッカ) 1982年、小暮武彦(こぐれ たけひこ)を中心にしたバンド「レベッカ」にヴォーカリストとしてNOKKO(のっこ)が参加。翌83年に、CBSソニーのFITZBEATオーディションに合格し、74年にシングル「WEARHAM BOAT CLUB」でレコードデビューします。この時のメンバーは、NOKKO(vo)、小暮武彦(g)、高橋教之(たかはし のりゆき b)、土橋安騎夫(どばし あきお kb)、小沼達也(こぬま たつや d)。しかし、85年に小暮と小沼が脱退し、替わりに古賀森男(こが もりお g)、小田原 豊(おだわら ゆたか d)が参加しました。そして同じ年のシングル「FRIENDS」でブレイク、レベッカは80年代後期のバンドブームをリードする存在となりました。91年に解散しますが、2000年に復活しています。
レミオロメン
レミオロメン
レミオロメン(れみおろめん) 山梨県の中学・高校で同級生だった藤巻亮太(ふじまきりょうた vo、g)、前田啓介(まえだけいすけ b)、神宮司治(じんぐうじおさむ d)によって2000年に結成されました。リハーサルとライヴを重ねて力をつけ、03年にミニアルバム『フェスタ』をインディーズからリリースし、インディーズ・チャート上位にランクイン。同年シングル「電話」でメジャーデビューし、本格的スリーピースバンドとして高く評価されていきました。05年には「蒼の世界」「粉雪」などを大ヒットさせ、より幅広いファンを獲得していきます。その後、ライヴでもCDでもトップアーティストとして活躍していきますが、12年2月に活動を休止。
六文銭
ロクモンセン
六文銭(ろくもんせん) 60年代の東京のキャンパス・フォークの中心人物の一人だった小室 等(こむろ ひとし)を中心に、68年に結成されたフォークグループ。当初のメンバーは、小室 等、石川鷹彦(いしかわ たかひこ)、小林雄ニ(こばやし ゆうじ)、入川 捷(いりかわ さとし)でしたが、小室以外はメンバーが固定されず、きわめて流動的なグループでした。それでも、69年に中川五郎とのカップリングアルバム『六文銭/中川五郎』をリリース。71年には上条恒彦をヴォーカルに迎えた「出発(たびだち)の歌」で、合歓ポピュラーフェスティバル71のグランプリを受賞、この曲をヒットさせました。72年には新しいフォーク・レーベル「ベルウッド・レコード」の第一回新譜と してアルバム『キングサーモンのいる島』をリリースしましたが、同年に解散。

















































