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アーティスト・アーカイヴ

ARTIST ARCHIVES

ムラサキ

紫(むらさき) 沖縄のロックシーンで活躍するジョージ紫(むらさき)が1970年に結成したグループ。メンバーチェンジを経て、ジョージ紫(kb)、宮永英一(みやなが えいいち d、vo)、城間正男(しろま まさお vo)、城間俊雄(しろま としお b)、比嘉清正(ひが きよまさ g)、下地行男(しもじ ゆきお g)となり、76年にアルバム『MURASAKI』をリリース。そのハードでソウルフルな演奏は、本土のロックシーンに衝撃を与え、彼らの登場によって、沖縄ロックシーンが一気に脚光を浴びることになりました。しかし、78年にジョージ紫ら主要メンバーが脱退してしまい、81年に解散しますが、その後何度か復活しています。

紫

村田和人

ムラタカズヒト

村田和人(むらた かずひと) 1954.1.2.東京都出身。早くからバンド活動をしており、大学時代に結成していたALMOND ROCCAはアマチュアコンテストでも評価されるなど、その可能性を認められながらも、なかなかデビューのチャンスに恵まれませんでした。しかし82年、山下達郎のバックアップを得て、シングル「電話しても」とアルバム『また明日』でレコードデビュー。その後も、開放感のあるロックテイストをもったシンガー・ソングライターとして、コンスタントに作品をリリースしています。

村田和人

村八分

ムラハチブ

村八分(むらはちぶ) 70年代初頭のロックシーンを彩る幻のバンド。1969年に、チャーボー=柴田和志(しばた かずし vo)と元「ザ・ダイナマイツ」の山口富士夫(やまぐち ふじお g)、浅田 哲夫(あさだ てつお g)、青木真一(あおき しんいち b)、恒田義見(つねだ よしみ d)によって京都で結成されました。そのステージは、パンクの先取りともいえる過激なもので、予定されたステージに現れないこともあるという破天荒さも話題を呼びました。73年に解散。

村八分

村松邦男

ムラマツクニオ

村松邦男(むらまつくにお)  1952.3.17、東京生まれ。72,年、シュガー・ベイブ結成に参加し、76,年に解散するまでギタリストとして活動しました。シュガー・ベイブ解散後は大瀧詠一のアルバム『多羅尾伴内楽団vol.2』にギタリストとしてフィーチャリングされるなど、ギタリストとして活動するとともに、アレンジャー、プロデューサーとしてもシャネルズ、スクーターズなど多くのアーティストを手掛けています。ソロアーティストとしても83年の『GREEN WATER』をはじめ4枚のアルバムと4枚のシングルをリリース。現在は、元KODOMO BANDの安部”ohji”隆雄(あべおうじたかお b)らとユニット、R・O・M・Aを結成し、ライヴ活動やCDリリースもしています。

村松邦男

ムーンライダーズ

ムーンライダーズ

鈴木博文(すずき ひろふみ 1954年5月19日、東京都出身)、山本博美(やまもと ひろみ)らを中心に1972年に結成されたムーンライダーズというグループがありました。73年、このグループに松本隆(まつもと たかし)と矢野誠(やの まこと)が参加してはっぴいえんど解散コンサートに出演。この演奏はアルバム『素晴しき船出』に収録されましたが翌年解散。75年、はちみつぱいを解散した鈴木慶一(すずき けいいち 鈴木博文の実兄)が新たなグループを結成する際にムーンライダーズの名を引き継ぎました。初期メンバーは、鈴木慶一(g)、鈴木博文(b)、椎名和夫(しいな かずお g)、武川雅寛(たけかわ まさひろ vi、tp)、岡田 徹(おかだ とおる kb)、かしぶち哲郎(てつろう d)。77年に椎名が脱退し、白井良明(しらい りょうめい)が参加。独自のニューウェイブ感覚を打ち出したサウンドで常にシーンに存在感を打ち出していきますが、2011年11月、無期限の活動停止を発表。鈴木慶一が高橋幸宏とザ・ビートニクスを結成しているように、メンバーのソロ、および個別活動も積極的に展開されています。

ムーンライダーズ

メスカリン・ドライヴ

メスカリンドライヴ

メスカリン・ドライヴ(めすかりんどらいぶ)  1984年、伊丹英子(いたみひでこ g)、ケイト(けいと b)、リリー(りりー g)、なっかん(d)によって結成され、その後、内海洋子(うつみようこvo)が加入して関西を中心に活動を始めました。伊丹、内海以外のメンバーは流動的でしたが、本格的女性ロックバンドとして評価されていきます。ニューエストモデルとの関係が深く、メンバー同士の交流も盛んで、88年には共同で「ソウル・フラワー・レコード」を設立しています。89年にはアルバム『スプーニー・セルフィッシュ・アニマルズ』でメジャーデビューし、深いテーマを託した作品をリリースしていきますが、93年にニューエスト・モデルとともに解散。ふたつのバンドのメンバーでソウル・フラワー・ユニオンを結成しました。

メスカリン・ドライヴ

めんたんぴん

メンタンピン

めんたんぴん  1969年に石川県で結成された「めんたんぴんブルースバンド」を母体に、72年に結成されました。サザンロックに通じる重量感あふれるサウンドで全国的に知られるようになり、75年にアルバム『MENTANPIN』でメジャーデビューしています。その時のメンバーは、佐々木忠平(ささき ちゅうへい vo、g)、 飛田一男(とびた かずお g)、池田洋一郎(いけだ よういちろう g)、石崎三郎(いしざき さぶろう b)、沖村公平(おきむら こうへい d)。81年に解散しました。

めんたんぴん

THE MODS

モッズ

THE MODS(ざ もっず) 福岡でバンド活動をしていた森山達也(もりやま たつや vo、g) が1973年に結成していたバンド「開戦前夜」を発展させて「THE MODS」を結成。メンバーチェンジを繰り返しますが、森山、苣木寛之(ちさき ひろゆき g、vo)、北里晃一(きたざと こういち b、vo)、梶浦雅裕 (かじうら まさひろ d)となって、81年にシングル「崩れ落ちる前に」、アルバム『FIGHT OR FLIGHT』でデビュー。ワイルドなビートサウンドで人気となり、博多のロックシーン=.めんたいロックのブームを引き寄せました。その後も不動のメンバーで活動を続けてきましたが、2009年にドラマーが佐々木周(ささき しゅう)に替わっています。 

THE MODS

モップス

モップス

日本のロック・バンド。星勝(g&vo)、三幸太郎(g)、村上薫(b)、スズキ幹治(ds)からなるバンド“チェックメイツ”を前身に、スズキの兄の鈴木ヒロミツ(vo)が加わった5人組で活動を開始。67年11月、シングル「朝まで待てない」でメジャー・デビュー。“日本最初のサイケデリック・サウンド”を標榜し、ジャズ喫茶や米軍キャンプなどでの演奏活動などを展開。GSブームの中で異彩を放つ存在に。68年末には本来のシンプルなR&B、ロックンロール志向に回帰。 翌年に村上が脱退。以降、4人で活動を継続。71年に「月光仮面」、72年に「たどりついたらいつも雨ふり」を発表、若者を中心に支持された。74年5月に解散。

モップス

森田童子

モリタドウジ

森田童子(もりた どうじ) 1952.1.15.東京都出身。75年、「さよならぼくのともだち」でデビューした女性シンガー・ソングライター。友人の死をきっかけに歌い始めたと言われますが、プロフィールは一切明かされていません。83年以降、レコーディングもライヴ活動も行っていませんが、93年のテレビドラマ「高校教師」テーマ曲として「ぼくたちの失敗」が使用され、話題となりました。暗さの中から深い情感が伝わってくる彼女の世界には、今も根強いファンがいます。

森田童子

森高千里

モリダカチサト

森高千里(もりたかちさと) 1969.4.11生まれ。熊本県出身。86年にタレントとして活動をはじめ、87年5月にシングル「NEW SEASON」でレコードデビュー。その後、作詞を手掛けるようになり、「ミーハー」「ストレス」など個性的な詞が持ち味となっていきます。89年、南沙織のカヴァー「17歳」がヒットしてブレイク。ライヴのコスプレ的ビジュアルとユニークな楽曲で人気を集め、「私がオバサンになっても」(92年)「渡良瀬橋」(93年)なのヒットを飛ばす一方、カーネーションとのコラボレーションや、自らドラムやギターを弾いてレコーディングするなど、音楽的アプローチにも注目すべきものがありました。99年に江口洋介と結婚、一児の母となりましたが、家庭生活、育児を優先しながら音楽活動も続けています。

森高千里

森山直太朗

モリヤマナオタロウ

森山直太朗(もりやまなおたろう) 1976.4.23、東京生まれ。母は森山良子。サッカー少年でしたが、大学時代に本格的に音楽活動を開始し、2001年にインディーズから直太朗名義でアルバム『直太朗』をリリース。02年にミニアルバム『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』でメジャーデビューし、03年に「さくら(独唱)」を大ヒットさせてブレイクしました。透明感のある声と不思議な情感をもった楽曲で支持を広げ、着実な活動を続けていきます。08年には「生きてることが辛いなら」でレコード大賞作詞賞を受賞。ライヴ活動やCDリリースもコンスタントに行っていますが、10年には、これまでのアルバム収録曲選曲でボツになった曲を集めたアルバム『レア・トラックスVol.1』をリリースするなど、枠に捉われないユニークな面も魅力になっています。 

森山直太朗

森山良子

モリヤマリョウコ

森山良子(もりやま りょうこ) 1948.1.18.東京都出身。高校生の頃からキャンパスフォークシーンで活動し、美しい歌声で人気を集めました。1967年、「この広い野原いっぱい」でレコードデビュー。その後、「今日の日はさようなら」「愛する人に歌わせないで」などをヒットさせます。その後はフォークに限らず、卓越した歌唱力を生かした幅広いジャンルの歌をレパートリーにしていきます。

森山良子

MONGOL800

モンゴルハッピャク

MONGOL800(もんごるはっぴゃく) 上江洌清作(うえず きよさく vo、b)、儀間崇(ぎま たかし g)、髙里悟(たかざと さとし d)の3人が高校在学中の1998年に沖縄で結成。2001年、「あなたに」がCM曲に起用されると、同曲を収録した2作目のアルバム『MESSAGE』が注目を浴び、インディーズアルバムとしては史上初となるミリオンセラーを達成します。04年には初の全国47都道府県ツアーを開催、地元沖縄で行われた野外フリーライヴには約2万人を動員しました。明るくキャッチーなメロディと心に響く力強い詞で幅広い世代のファンを魅了しています。

MONGOL800

矢井田瞳

ヤイダヒトミ

矢井田 瞳(やいだひとみ) 1978.7.28、大阪府出身。99年にシングル「nothing」をリリースしていますが、この時はSEESEEという名義でした。翌2000年には、インディーズから矢井田瞳としてシングル「Howling」をリリース。同じ年にシングル「B’coz I Love You」でメジャーデビューし、セカンドシングル「my sweet darlin’」を大ヒットさせてブレイクしました。素直な感情を託した飾らない歌で多くの人々を魅了し、積極的に大型コンサートも開催されました。しかし、観客とより密接な音楽空間を作ることを大切にするため、2004年を最後にドームコンサートを行っていません。

矢井田瞳

八神純子

ヤガミジュンコ

1958年1月5日生まれ、愛知県名古屋市出身のシンガー・ソングライター。“ジューン・スタンレー”名義での活動もあり。74年、第8回ポピュラーソングコンテストで「雨の日のひとりごと」「幸せの時」がともに入賞、翌年の同コンテストでも「幸せの国へ」が優秀曲賞となるなど、デビュー前より高い評価を獲得。78年、シングル「思い出は美しすぎて」でプロ・デビュー。3枚目のシングル「みずいろの雨」が大ヒットし、以降「想い出のスクリーン」「ポーラー・スター」「Mr.ブルー~私の地球~」「パープルタウン」などヒットを連発。87年からはロサンゼルスへ拠点を移して活動。2012年より本格的に日本でのライヴ活動を再開。

八神純子

矢沢永吉

ヤザワエイキチ

矢沢永吉(やざわ えいきち) 1949.9.14.広島県出身。72年に「キャロル」を結成して中心メンバーとして活動。75年にキャロルを解散し、アルバム『アイ・ラヴ・ユー, OK』でソロデビュー。「時間よ止まれ」などのキャッチーなヒット曲を送り出すと共に、セクシーでエネルギッシュなライヴパフォーマンスでカリスマ的人気を確立。今も、そのカリスマ性をキープしたままアーティストとして成熟した活動を続けています。

矢沢永吉

柳ジョージ & レイニーウッド

ヤナギジョージアンドレイニーウッド

柳ジョージ(やなぎ じょーじ)&レイニーウッド 「ザ・ゴールデンカップス」解散後、ロンドンでロックを体感してきた柳ジョージが1975年に結成したグループ。メンバーは、柳ジョージ(vo、g)、ミッキー・ヤマモト(b)、上綱克彦(かみつな かつひこ kb)、石井清登(いしい きよと g)、四ツ田ヨシヒロ(よつた よしひろ d)、鈴木明男(すずき あきお sax)。77年、シングル「祭ばやしが聞こえるのテーマ」でレコードデビュー。「酔って候」「雨に泣いてる」などのヒット曲を生み出しますが、81年に解散。

柳ジョージ & レイニーウッド

矢野顕子

ヤノアキコ

幼少期を青森で過ごし、この頃からピアノを習っていましたが、青山学院高等部に進んだ頃からジャズクラブなどで演奏するようになりました。1972年頃からティン・パン・アレイ系セッションの常連となり、いくつもの作品に参加しています。76年、アルバム『JAPANESE GIRL』でデビューして脚光を浴びますが、ソロ活動だけでなく79-80年のイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)ツアーメンバーとして参加したり、ジャンルを越えた多くのミュージシャンと多彩な交流を展開。さらに、ピアノ弾き語りライヴ『出前コンサート』など、既成の形に捉われない自由な活動スタイルでも注目されています。90年代以降は活動の拠点をニューヨーク州に移し、グローバルなスケールでクリエイティブな活動を展開しています。

矢野顕子

山口百恵

ヤマグチモモエ

1959年1月17日生まれ、神奈川県出身の歌手/女優。72年にオーディション番組『スター誕生!』で準優勝し、翌73年に自身出演の映画『としごろ』との同名曲でデビュー。“スタ誕”出身の森昌子、桜田淳子とともに“花の中3トリオ”として注目される。2作目「青い果実」からは“青い性”路線へとイメージチェンジしてブレイク。以降、純朴な少女というルックスとセクシーな楽曲というギャップで人気を獲得し、「ひと夏の経験」ほか数多くのヒットを放つ。また、『伊豆の踊子』『潮騒』などの映画に出演、女優としても存在感を発揮した。80年、三浦友和との婚約を機に引退。22歳を待たない約7年の芸能生活だが、ファンに鮮烈な記憶を残している。

山口百恵

山弦

ヤマゲン

山弦(やまげん) 人気ギタリストの小倉博和(おぐらひろかず 1960.1.28、香川県生まれ)と佐橋佳幸(さはしよしゆき 1961.9.7、東京都生まれ)によるギターデュオグループ。1991年の原由子のアルバム『MOTHER』のセッションをきっかけに、二人がユニットを組んでライヴを中心に活動を開始。<!-- 始め、93年にはアルバム『山弦』をリリースしています。 -->その後、山弦独自の活動を続けるとともに、2001年には大貫妙子とシングル「あなたを思うと」をリリースし、大貫と山弦のツアーも行っています。また、小倉、佐橋に平松八千代(ひらまつやちよ vo)を加えたユニット、SOYとしても活動、98年にアルバム『S・O・Y』をリリースするなどしていますが、現在SOYは活動を休止しています。

山弦

山崎ハコ

ヤマザキハコ

山崎ハコ(やまざき はこ) 1957.5.18.大分県出身。中学生の頃から作曲をはじめ、横浜に移った高校生時代にはさまざまなアマチュアコンテストで好成績を収めました。75年、アルバム『飛・び・ま・す』でレコードデビュー。当時、あまり歌のテーマとして取り上げられることのなかった女性の心の奥にある情念を感じさせる作品は、多くの人の共感を得ました。ストレートに感情を歌うそのスタイルは、やがて豊かな音楽性の中に情感を表現するものになっていきます。

山崎ハコ

山崎まさよし

ヤマザキマサヨシ

山崎まさよし(やまざき まさよし) 1971.12.23.滋賀県生まれ、山口県育ち。1993年からライヴ活動やレコーディングセッション、CM音楽制作などでミュージシャンとしての腕を磨き、95年にシングル「月明かりに照らされて」でメジャーデビューしました。97年には主演映画「月とキャベツ」が公開され、主題歌となった「One more time,One more chance」が大ヒット。その後も、「僕はここにいる」「全部、君だった」などヒット曲を生み出し、ブルースの要素を取り入れた新しいタイプのシンガーソングライターとして不動のポジションを確立しています。

山崎まさよし

山下久美子

ヤマシタクミコ

山下久美子(やました くみこ) 1959.1.26.大分県出身。1980年にシングル「バスルームから愛をこめて」でレコードデビュー。当初は歌謡ポップ的ニュアンスもありましたが、ライヴに力を入れるなかでロック色を強めていきます。彼女の熱く盛り上がるパフォーマンスは圧倒的な人気を集め、“総立ちの久美子”と呼ばれるようになります。レコードでも「赤道小町ドキッ」「こっちをお向きよソフィア」などをヒットさせ、その後もヴォーカリストとして活躍していきます。

山下久美子

山下達郎

ヤマシタタツロウ

1953年2月4日、東京都出身。早くからアメリカン・ポップスの影響を受け、アマチュア・バンドで活動していましたが、バンドの解散記念に自主制作したアルバム『Add Some Music To Your Day』が大滝詠一(おおたき えいいち)の目にとまり、はっぴいえんど解散コンサートにコーラスとして起用されます。しかし、この時すでに大貫妙子(おおぬき たえこ)らとシュガー・ベイブでの活動を開始していたため、シュガー・ベイブとして出演しました。シュガー・ペイブは75年に大滝詠一が設立したナイアガラ・レーベルから『SONGS』でレコードデビューしましたが間もなく解散、山下はソロで活動を続けました。80年、「ライド・オン・タイム」でブレイク。その後トップ・アーティストとしてシーンをリードし続けています。レコーディングとライヴを中心とし、テレビには出ないという姿勢を貫いていますが、クオリティに徹底的にこだわった作品は時代を越えるスタンダード的魅力を持ち、世代を越えて親しまれている曲が数多くあります。

山下達郎

山田パンダ

ヤマダパンダ

山田パンダ(やまだ ぱんだ) 1945.5.13.佐賀県出身。大学生時代にカレッジフォークグループ「シュリークス」を結成し、1969年に「君よ! 人生は」でレコードデビューしました。71年に「かぐや姫」に参加。かぐや姫解散後ソロアーティストとして活動し、「風の街」などをヒットさせました。また、82年には山本コ―タローとデュオグループ「山本山田」を結成し「旧友再会フォーエバーヤング」をリリースしました。90年代には、主夫として子育てに取り組み、その経験をもとにした執筆活動も行っています。

山田パンダ

憂歌団

ユウカダン

憂歌団(ゆうかだん)  1970年頃、同じ高校に通っていた木村充揮(きむら あつき vo、g)と内田勘太郎(うちだ かんたろう g、vo)がバンドを組み、ライヴ活動をスタート。その後、花岡献治(はなおか けんじ b)、島田和夫(しまだ かずお d)が参加して、関西ブルースシーンの中心的存在として活躍します。75年、デビューアルバム『憂歌団』を発表、大きな反響を得ますが、シングルカットされた「おそうじオバチャン」が放送禁止となりました。その後も、深い味わいのある木村のヴォーカルと内田のギターを軸にいくつもの名曲を送り出してきましたが、98年にバンドとしての活動を停止しました。

憂歌団

遊佐未森

ユサミモリ

遊佐未森(ゆさみもり) 1964.2.20生まれ、宮城県出身。音楽学校に進みクラシックを学びますが、ポップスにも興味を持ち、88年シングル「瞳水晶」、アルバム『瞳水晶』でレコードデビューしました。ポップさの中に透明感あふれるファンタジックな世界を展開して「地図をください」などのヒット曲を生み出しています。個性に満ちた彼女ならではの存在感を発揮していくとともに、2002年には対象・昭和の日本の名曲を取り上げたアルバム『檸檬』をリリースして大きな話題となるなど、音楽表現の可能性を広げるアプローチを積極的に続けています。

遊佐未森

UNICORN

ユニコーン

UNICORN(ユニコーン) 1986年、広島で結成されたバンド。メンバーは奥田民生(おくだ たみお vo、g)、手島いさむ(てしま いさむ g)、阿部義晴(あべ よしはる kb)、EBI=堀内一史(うちぼり かずし b)、川西幸一(かわにし こういち d)。レコード会社のオーディションに合格し、87年にアルバム『BOOM』でレコードデビュー。ジャンルや既成概念にこだわらない大胆な楽曲やサウンドづくりで独自の世界をつくりあげ、90年にはアルバム『ケダモノの嵐』で日本レコード大賞アルバム賞を受賞しています。93年に解散しましたが、2009年に再結成。

UNICORN

吉田拓郎

ヨシダタクロウ

(デビューから1975年までは、よしだたくろうと表記)

1947年4月5日、鹿児島県出身。広島商科大学在学中にバンドを結成するなど積極的に音楽活動を展開。後に広島フォーク村のメンバーとなります。広島フォーク村のオムニバスアルバム『古い船をいま、動かせるのは古い水夫じゃないだろう』に参加したことがきっかけになり、70年6月に「イメージの詩」でデビュー。71年の第3回全日本フォークジャンボリーでの「人間なんて」の熱唱が伝説となり、新しいフォークの旗手として脚光を浴びます。さらに、72年に「結婚しようよ」のヒットで、新世代を代表するアーティストとして高い人気を獲得。その後も、75年のフォーライフ・レコード設立、「つま恋」「篠島」などでの野外オールナイト・コンサートなど、それまで前例のない活動にも積極的に取り組み、新たな可能性を切り開きながら、自分の想いを歌い続けています。

吉田拓郎

吉田美奈子

ヨシダミナコ

1953年4月7日、埼玉県出身。高校生の頃から東京の音楽シーンで活動を始め、71年にデュオグループ、ぱふを結成しますが、その後ソロとなります。72年、大瀧詠一のソロアルバム『大瀧詠一』にフルートで参加。73年、細野晴臣プロデュースによるファースト・アルバム『扉の冬』を発表。その後、圧倒的な歌唱力を発揮して、ソウルフルでスピリチュアルな作品をマイペースでリリースするとともに、多くのシンガーにコーラスや楽曲を提供するなど、多彩なフィールドで活動しています。

吉田美奈子

四人囃子

ヨニンバヤシ

四人囃子(よにんばやし) 1969年、高校生だった森園勝敏(もりぞの かつとし vo)、岡井大二(おかい だいじ d)が出会い、その後、中村真一(なかむら しんいち b)、坂下秀実(さかした ひでみ kb)を加えて結成されました。高い演奏力で東京のロックシーンで注目され、74年にアルバム『一触即発』でレコードデビュー。その後、『ゴールデン・ピクニックス』など緻密に構成されたスケールの大きな作品を発表、プログレッシヴロックの代表的なバンドとして評価されます。その後、メンバーチェンジを繰り返しながら活動を続けましたが、79年に活動停止。何度か再結成が行われています。

四人囃子

LOUDNESS

ラウドネス

LOUDNESS(ラウドネス) 元レイジーの高崎晃(たかさき あきら g)と樋口宗孝(ひぐち むねたか d)を中心に結成。81年にアルバム『THE BIRTHDAY EVE~誕生前夜~』でメジャーデビュー。アメリカやヨーロッパなどでもツアーを行い、海外でも高い人気を獲得、85年には日本人として初めてマディソン・スクエア・ガーデンのステージに立ちます。数回のメンバーチェンジを経て、2000年からはオリジナルメンバーでの活動を続けていましたが、08年に樋口が他界。09年に後任ドラマーとして鈴木政行を迎え、現在も精力的な活動を続けています。

LOUDNESS

ラストショウ

ラストショウ

ラストショウ(らすとしょう) 1974 年、泉谷しげるのバックバンドとして結成されました。メンバーは松田幸一(まつだこういち harp、他)、村上律(むらかみりつ g)、徳武弘文(とくたけひろふみ g)、河合徹三(かわいてつぞう b)、島村英二(しまむらえいじ d)。泉谷しげるだけでなく、さまざまなシンガーをバックアップするとともに、77年にアルバム『アリゲーター・ラジオ・ステーション』をリリースするなど、バンド単独でも活動。日本では珍しい、カントリー・ロックのテイストをもったグループして脚光を浴びました。ラストショウ解散後も、メンバーはそれぞれセッション等で活躍していましたが、2008年に再結成しています。

ラストショウ

L'Arc~en~Ciel

ラルクアンシエール

L’Arc~en~Ciel(らるくあんしえる) 1991年、大阪でtetsuya(てつや b)を中心に結成され、関西を拠点に活動をスタート。オムニバス・アルバムやイベント等への積極的な参加を足がかりに、ライヴ活動の範囲を関東にも広げ、不動の人気を得ます。93年にhyde(はいど vo)、ken(けん g)、tetsuya、sakura(さくら d)というメンバーで、ファーストアルバム『DUNE』を発表。オリコンのインディーズチャート1位を獲得しました。翌94年にはビデオ・シングル「眠りによせて」でメジャーデビュー。sakuraからyukihiro(ゆきひろ)へのドラマー交代を経てからも数多くのヒット曲を生み出し続け、東アジアや欧米でのライヴ開催など、その活動は世界的規模へと広がっています。

L'Arc~en~Ciel

乱魔堂

ランマドウ

乱魔堂(らんまどう) 1972年、元「DEW」の洪栄龍(こう えいりゅう g)が結成したバンド。メンバーは松吉久雄(まつよし ひさお vo)、猿山幸夫(さるやま ゆきお b)、矢島俊郎(やじま としろう d)。72年にアルバム『乱魔堂』をリリースし、カントリーロックとブルースロックを融合させたサウンドにアプローチしていました。ライヴを中心に活動していましたが、73年に解散。

乱魔堂

ザ・リガニーズ

リガニーズ

ザ・リガニーズ 1967年に早稲田大学フォークソングクラブで結成されたカレッジフォーク・グループ。メンバーは新田和長(にった かずなが g)、武藤敏史(むとう としふみ g)、内山 修(うちやま おさむ b)、吉田光夫(よしだ みつお g、banjo)、常富喜雄(つねとみ よしお g)。68年のデビュー曲「海は恋してる」がヒットし、カレッジ・フォーク・ブームの先駆けとなりました。ザ・リガニーズは70年に解散。常富と内山は猫を結成しました。

ザ・リガニーズ

LIZARD

リザード

LIZARD(リザード) 1970年代初期に「紅蜥蜴」として活動開始。同年代後期に「LIZARD」と改名。東京ロッカーズのオムニバスアルバムへの参加で注目をあつめ、アルバム『LIZARD』、シングル「T.V.MAGIC」でメジャーデビューを果たしました。87年から活動を休止していましたが2009年、ドラムに元ARBのキースを迎えた“新生LIZARD”として再始動。同年、22年ぶりとなるスタジオ・レコーディング作品『リザードⅣ』を発表しました。

LIZARD

LITTLE CREATURES

リトルクリーチャーズ

LITTLE CREATURES(りとる くりーちゃーず) 1987年結成。新宿や渋谷を中心にストリートライヴを行いながら人気を集め、90年にシングル「THINGS TO HIDE」でメジャーデビュー。以降、ジャズ、ソウル、ラテン、UKギターポップ、クラブミュージックなど、さまざまな要素を取り入れた多彩な楽曲でファンを獲得していきます。また、メンバーそれぞれが別ユニットとしての活動や他アーティストのプロデュース、映画出演など多岐に渡る活動を展開。2011年にデビュー20周年を迎えました。

LITTLE CREATURES

りりィ

リリィ

りりィ  1952.2.17.福岡県出身。自作の歌をスナックで歌っていたのがきっかけで、72年にアルバム「たまねぎ」でシンガー・ソングライターとしてデビュー。女性としての気持ちを飾らない自分の言葉で描いた楽曲をハスキーなヴォーカルで歌い、『たまねぎ』『ダルシマ』などの佳作をリリース、次第にファンを増やしていきました。代表的なヒット曲としては、74年の「私は泣いています」があります。その後、子育てのため一時音楽活動をストップしていましたが、現在は再開しています。

りりィ

りんけんバンド

リンケンバンド

りんけんバンド 照屋林賢(三線)を中心に1977年に沖縄で結成。87年に沖縄限定のアルバム『ありがとう』を発表。『ありがとう』は90年に全国発売され、りんけんバンドも本格的にデビュー、沖縄民謡や伝統楽器とモダンなサウンドを融合させた「沖縄ポップ」という独特の音楽スタイルを打ち出しました。93年には「ちゅらぢゅら」がNHK大河ドラマ「琉球の風」に使用されるなど全国的に評価され、さらに国内にとどまらず世界的なスケールで活動を続けています。

りんけんバンド

LINDBERG

リンドバーグ

LINDBERG(りんどばーぐ) アイドルとして活動していた渡瀬マキ(わたせ まき vo)と、バックバンドを務めていた平川達也(ひらかわ たつや g)が、川添智久(かわぞえ ともひさ b)と小柳昌法(こやなぎ まさのり d)を誘い結成。1989年にメジャーデビューすると、翌年の2作目となるシングル「今すぐ Kiss Me」がドラマ主題歌となり大ヒット、チャート1位を獲得します。「BELIEVE IN LOVE」「恋をしようよ Yeah!Yeah!」などヒットが続き、紅白歌合戦への出場を果たしますが、2002年に解散。その後、デビュー20周年となる2009年に期間限定で再始動し、多くのファンを喜ばせました。

LINDBERG

LOOK

ルック

LOOK(ルック) メジャーデビューは1985年。デビュー曲となったシングル「シャイニン・オン 君が哀しい」がCMソングに起用されてヒット。ハスキーでいて伸びやかなハイトーン・ヴォーカルと洗練されたメロディで一躍人気アーティストとなります。その後も良質なポップスを生み出しファンを増やしますが、88年に活動を休止。メンバーチェンジを経て、翌89年に「L3C」として活動を再開しました。

LOOK

LUNA SEA

ルナシー

LUNA SEA(るなしー) 1989年結成。「LUNACY」名義で東京・町田PLAY HOUSEを拠点に活動をスタートさせました。実績を積みながら飛躍的に動員数を伸ばし、一躍インディーズシーンの中心となります。92年に「LUNA SEA」としてアルバム『IMAGE』でメジャーデビュー。94年発表のシングル「ROSIER」の大ヒットを皮切りに、ドームやスタジアムクラスのライヴをソールドアウトさせるなど多くのファンを獲得しますが、2000年に“終幕”。その後、各メンバーはソロとしてのキャリアを重ねつつ活動を継続。一夜限りの再結成を経て、2010年にバンドとしての活動を再開しました。

LUNA SEA

ザ・ルースターズ

ルースターズ

ザ・ルースターズ 1979年、大江慎也(おおえ しんや vo、g)、花田裕之(はなだ ひろゆき vo、g)、井上富雄(いのうえ とみお b)、池畑潤二(いけはた じゅんじ d)によって北九州市で結成されたロックバンド。80年に「ロージー」でレコードデビュー。初期はブルースやブリティッシュビートに影響されたビート・ロックの匂いが強いバンドでしたが、次第に音楽性を広げ、ルーツミュージックを現代の感覚でとらえたユニークな作品をクリエイトしていきます。その後、数度のメンバーチェンジを経て、88年に解散。

ザ・ルースターズ

麗蘭

レイラン

仲井戸麗市と土屋公平(蘭丸)によって1991年に結成されたロック・ユニット。R&Bやブルースへの深い愛情を感じさせる演奏が高い評価を獲得。当初はライヴツアーのみの予定だったが、ファンの熱望に応えて、ライヴビデオと1stアルバム『麗蘭』を完成させる。その後、仲井戸はソロ活動、土屋はバンド活動を軸にしながら、“麗蘭”でのライヴ活動を継続。93年にはライヴ・アルバム『宴』、2004年には2ndアルバム『SOSが鳴っている』を発表。また、毎年末に京都・磔磔でライヴを開催、その模様を『磔磔ライブ盤』シリーズとして2005年より毎年リリースしている。

麗蘭

RED WARRIORS

レッドウォーリャーズ

RED WARRIARS(レッド・ウォーリアーズ) 1995年、レベッカを脱退した小暮武彦(こぐれ たけひこ g)と小沼達也(こぬま たつや d)が、田所 豊(たどころ ゆたか=ダイアモンド☆ユカイ vo)、小川清史(おがわ きよし b)とともに結成したバンド。86年にアルバム『LESSON 1』でデビュー。カリスマ性のあるダイアモンド☆ユカイのボーカルと熱気のあるサウンドで人気を集め、88年には西武球場でスタジアムライヴを行っています。89年末に解散していますが、その後も断続的に再結成し、活動を続けています。

RED WARRIORS

レベッカ

レベッカ

REBECCA(レベッカ) 1982年、小暮武彦(こぐれ たけひこ)を中心にしたバンド「レベッカ」にヴォーカリストとしてNOKKO(のっこ)が参加。翌83年に、CBSソニーのFITZBEATオーディションに合格し、74年にシングル「WEARHAM BOAT CLUB」でレコードデビューします。この時のメンバーは、NOKKO(vo)、小暮武彦(g)、高橋教之(たかはし のりゆき b)、土橋安騎夫(どばし あきお kb)、小沼達也(こぬま たつや d)。しかし、85年に小暮と小沼が脱退し、替わりに古賀森男(こが もりお g)、小田原 豊(おだわら ゆたか d)が参加しました。そして同じ年のシングル「FRIENDS」でブレイク、レベッカは80年代後期のバンドブームをリードする存在となりました。91年に解散しますが、2000年に復活しています。

レベッカ

レミオロメン

レミオロメン

レミオロメン(れみおろめん) 山梨県の中学・高校で同級生だった藤巻亮太(ふじまきりょうた vo、g)、前田啓介(まえだけいすけ b)、神宮司治(じんぐうじおさむ d)によって2000年に結成されました。リハーサルとライヴを重ねて力をつけ、03年にミニアルバム『フェスタ』をインディーズからリリースし、インディーズ・チャート上位にランクイン。同年シングル「電話」でメジャーデビューし、本格的スリーピースバンドとして高く評価されていきました。05年には「蒼の世界」「粉雪」などを大ヒットさせ、より幅広いファンを獲得していきます。その後、ライヴでもCDでもトップアーティストとして活躍していきますが、12年2月に活動を休止。

レミオロメン

六文銭

ロクモンセン

六文銭(ろくもんせん) 60年代の東京のキャンパス・フォークの中心人物の一人だった小室 等(こむろ ひとし)を中心に、68年に結成されたフォークグループ。当初のメンバーは、小室 等、石川鷹彦(いしかわ たかひこ)、小林雄ニ(こばやし ゆうじ)、入川 捷(いりかわ さとし)でしたが、小室以外はメンバーが固定されず、きわめて流動的なグループでした。それでも、69年に中川五郎とのカップリングアルバム『六文銭/中川五郎』をリリース。71年には上条恒彦をヴォーカルに迎えた「出発(たびだち)の歌」で、合歓ポピュラーフェスティバル71のグランプリを受賞、この曲をヒットさせました。72年には新しいフォーク・レーベル「ベルウッド・レコード」の第一回新譜としてアルバム『キングサーモンのいる島』をリリースしましたが、同年に解散。

六文銭
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