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アーティスト・アーカイヴ

ARTIST ARCHIVES

ピチカート・ファイヴ

ピチカートファイヴ

1984年、小西康陽(こにし やすはる、b、kb)を中心に、高浪:慶太郎(たかなみ けいたろう。後に高浪敬太郎と表記、g、kb)、鴨宮 諒(かもみや りょう、kb)、佐々木麻美子(ささき まみこ、vo)によって結成されました。85年、細野晴臣プロデュースの「オードリー・ヘプバーン・コンプレックス」でデビュー。87年、鴨宮 諒、佐々木麻美子が脱退し、田島貴男(たじま たかおvo)が参加。1990年からは田島貴男に替わって野宮真貴(のみや まき、vo)が参加しています。90年代に入ってピチカート・ファイヴは大きく脚光を浴び、海外でも注目されましたが、94年に高浪敬太郎が脱退。その後、2001年に解散するまでは、小西康陽と野宮真貴のデュオグループとして活躍を続けました。

ピチカート・ファイヴ

the pillows

ピロウズ

the pillows(ざ ぴろうず) 1989年結成、91年にシングル「雨にうたえば」でメジャーデビュー。メンバーの脱退や活動休止などを経験しつつも地道なライヴ活動を続けた結果、根強いファンを得ていきます。2004年に発表したトリビュートアルバムには、Mr.ChildrenやBUMP OF CHICKENなど彼らを支持する豪華アーティストが集結。また、05年にはアメリカ、06年にはアメリカとメキシコでツアーを行い、全会場をソールドアウトさせ、海外での人気も獲得しました。09年には結成20周年を記念した初の日本武道館公演を開催。現在もツアー動員記録を塗り替え続ける、日本のロックシーンに欠かせないアーティストです。

the pillows

PINK

ピンク

PINK(ぴんく) 1983年結成。「近田春夫&ビブラトーンズ」に在籍していた福岡ユタカ、矢壁アツノブ、ホッピー神山を中心に、「東京ブラボー」の岡野ハジメ、「爆風銃」のスティーヴ衛藤、「ショコラータ」の渋谷ヒデヒロを加えたラインナップでデビュー。結成時、すでにそれぞれがスタジオ・ミュージシャンとして第一線で活躍しており、圧倒的な演奏力とパフォーマンスを見せるライヴで国内外から人気を得ます。89年に活動を“凍結”したあとも、日本のミュージシャンに大きな影響を与え続けています。

PINK

PINK CLOUD

ピンククラウド

PINK CLOUD(ぴんくくらうど) 1978年、「スモーキー・メディスン」を解散してソロ活動を行っていたChar(g)、元「ザ・ゴールデンカップス」のルイズルイス加部(るいずるいす かべ b)、元「イエロー」のジョニー吉長(じょにー よしなが d)がバンド「JOHNNY ,LOUIS & CHAR」を結成。79年にアルバム『FREE SPIRIT』をリリース。ブルースをベースにした緊張感のあるアンサンブルで人気となります。82年にグループ名を「PINK CLOUD」と改めましたが、グループとしてのセッションとメンバーのソロを織り交ぜつつ、94年頃まで活動を続けました。

PINK CLOUD

ファニー・カンパニー

ファニーカンパニー

ファニー・カンパニー 1971年、桑名正博(くわな まさひろ vo、g)、栄 孝志(さかえ たかし g)、古宇田 優(こうだ まさる kb)、横井 康和(よこい やすかず b)が結成したロックバンド。72年、シングル「スイートホーム大阪」でレコードデビュー。ヒットこそしませんでしたが、大阪弁による本格的ロックナンバーとして注目されました。その後、ベーシストが辻 宗一郎(つじ そういちろう)に替わり、サポートメンバーだった西 哲也(にし てつや d)が正式メンバーになるなどのメンバーチェンジはありましたが、そのパフォーマンスの格好良さは”東のキャロル、西のファニカン”と並び称されるほどでした。しかし、74年に2枚のアルバムを残してあっさり解散してしまいます。

ファニー・カンパニー

フィッシュマンズ

フィッシュマンズ

フィッシュマンズ(ふいっしゅまんず) 1987年、大学の音楽サークルメンバーだった佐藤伸治(さとうしんじ vo、b)、小嶋謙介(こじまけんすけ g)、茂木欣一(もてぎきんいち d)によって結成されました。その後、柏原譲(かしわばらゆずる b)、ハカセ(はかせ kb)が参加し、91年にシングル「ひこうき」でメジャーデビュー。初期は小玉和文、窪田晴男らにプロデュースをゆだねていましたが、その後セルフプロデュースにより、レゲエから発展させた独自の音楽を追求し、根強い支持を得ていきました。しかし、99年、佐藤伸治の死去によりバンドも活動を停止。2005年、RISING SUNROCK FESTIVAL in EZOで、茂木、柏原を中心とする復活ステージが行われ、ゲストヴォーカルとして忌野清志郎、UAらが参加しました。

フィッシュマンズ

the FIELD OF VIEW

フィールドオブビュー

the FIELD OF VIEW(ざ ふぃーるど おぶ びゅー) 1994年に「view」を結成、シングル2枚をリリース。翌年「FIELD OF VIEW」に改名し、再デビューシングルとなった「君がいたから」はチャート3位に輝きます。その後も、「突然」「Last Good-bye」「DAN DAN 心魅かれてく」などヒットを続け、幅広いファン層に支持されますが、2002年に解散しました。その後、ヴォーカルの浅岡雄也(あさおか ゆうや)はソロアーティストとして精力的に活動を続けています。

the FIELD OF VIEW

FAIRCHILD

フェアチャイルド

FAIRCHILD(ふぇあちゃいるど) 「SHI-SHONEN」として活動していた戸田誠司(とだ せいじ b、pro)とYOU(ゆう vo)、ギタリストの川口浩和(かわぐち ひろかず)により1988年に結成。同年、シングル「おまかせピタゴラス」でメジャーデビューしました。ドラマ主題歌やCM曲への起用により順調にファンを増やし、90年発表の7作目のシングル「探してるのにぃ」でブレイク。93年の解散後、YOUはモデルや女優へと活躍の場を広げ、戸田は作曲家、プロデューサーとして活動するかたわら、戸川純率いる「ヤプーズ」にも参加しています。

FAIRCHILD

ザ・フォーク・クルセダーズ

フォーククルセダーズ

加藤和彦(かとう かずひこ)、北山 修(きたやま おさむ)らによって京都で結成された学生アマチュア・グループでしたが、1967年10月に解散記念LP『ハレンチ』を自主制作。アルバム中で唯一のオリジナル曲「帰ってきたヨッパライ」がラジオの深夜放送を通じて話題となり、急きょシングル・カットして発売され、280万枚という大ヒットとなりました。その結果、メンバーの加藤と北山は解散を延期し、アマチュア仲間だった端田宣彦(はしだ のりひこ)を加えて活動を再開。「悲しくてやりきれない」「青年は荒野をめざす」そして覆面バンドのズートルビー名義の「水虫の唄」などのヒットを飛ばします。ザ・フォーク・クルセダーズは68年10月に解散しましたが、2002年、加藤、北山にフルフィーの坂崎幸之助(さかざき こうのすけ)を加えてザ・フォーク・クルセダーズとしてCDリリースやステージも行うなど、単発的な再結成は何度か行っています。

�ザ・フォーク・クルセダーズ

44 MAGNUM

フォーティーフォーマグナム

44 MAGNUM(ふぉーてぃーふぉーまぐなむ) 1977年、PAUL=梅原達也(うめはらたつや vo)を中心に結成されたヘヴィーメタル・バンド。79年にJIMMY=広瀬さとし(ひろせ さとし g)が参加し、その後、BAN=吉川裕規(よしかわ ひろのり b)、JOE=宮脇知史(みやわき さとし d)という編成になります。精力的にライヴを展開しながら、83年にアルバム『DANGER』でレコードデビュー。迫力ある演奏とステージングで日本のヘヴィーメタル、ハードロックシーンに大きな影響を与えています。1989年に解散しましたが、2009年に復活。

44 MAGNUM

ふきのとう

フキノトウ

ふきのとう 山木康世(やまき やすよ)と細坪基佳(ほそつぼ もとよし)によって北海道で結成されたフォークデュオグループ。1973年の全国フォーク音楽祭で作曲賞を受賞したのがきっかけになり、74年に「白い冬」でレコードデビュー。その後も「街はひたすら」「流星ワルツ」などのヒット曲を送り出します。しかし、彼らはトップアーティストになっても上京せずに、北海道を拠点として活動することにこだわり続けました。92年に解散。

ふきのとう

福山雅治

フクヤママサハル

福山雅治(ふくやままさはる) 1969.2.6生まれ。長崎県出身。中学・高校時代はバンドを結成していました。高校卒業後、地元企業に就職しますが、音楽を捨てられずに上京。オーディションを経て、俳優・歌手として活動をはじめます。90年3月シングル「追憶の雨の中」でレコードデビュー。『ホームワーク』(92年)『ひとつ屋根の下』(93年)などで俳優として人気を得る一方、精力的にシンガー・ソングライターとしての活動をつづけ、「MELODY」「All My Loving」(92年)「IT’S ONLY LOVE」(93年)などのヒットでトップアーティストになります。その後も、「桜坂」(00年)、「東京」(05年)などをコンスタントにヒットさせるとともに、松本英子、前川清、柴崎コウらの楽曲をプロデュースしたり、写真家としても活動するなど、マルチな才能を発揮しています。

福山雅治

藤井フミヤ

フジイフミヤ

1962年7月11日、福岡県久留米市生まれ。83年にチェッカーズのヴォーカリストとしてデビュー。92年のチェッカーズ解散後、“藤井郁弥”から“藤井フミヤ”へと改め、翌年よりソロ活動を開始。「TRUE LOVE」「Another Orion」などの大ヒットを放つ。2013年にデビュー30周年&ソロ・デビュー20周年を迎え、ライヴも精力的に開催。弟・藤井尚之とのユニット“F-BLOOD”や俳優、ヴィジュアル・アーティストとしても活躍。

藤井フミヤ

FLYING KIDS

フライングキッズ

FLYING KIDS(ふらいんぐ きっず) 1988年に結成されたファンクバンド。翌89年にオーディション番組「平成名物TV いかすバンド天国」に出場、初代グランドキングとなります。90年にシングル「幸せであるように」でメジャーデビュー。「風の吹き抜ける場所へ」「ディスカバリー」などのヒットを生み出しますが、98年の渋谷公会堂でのライヴを最後に解散しました。しかし、2007年の「RISING SUN ROCK FESTIVAL」でオリジナルメンバー6人が再集結。09年には12年ぶりとなるフルアルバムを発表しました。

FLYING KIDS

フラワー・トラべリン・バンド

フラワートラべリンバンド

フラワー・トラベリン・バンド それまでGS系バンドなどのメンバーだったジョー中山(じょー なかやま vo)、石間秀機(いしま ひでき g)、上月ジュン(こうづき じゅん b)、和田ジョージ(わだ じょーじ d)が、1970年に結成したロックバンド。同年、アルバム『Anywhere』でレコードデビュー。その後、メンバーはカナダに渡り、71年にアメリカでアルバム『SATORI』をリリース。カナダ、アメリカの第一線ロック・ミュージシャンたちと交流して72年に帰国しましたが、73年に解散。

フラワー・トラべリン・バンド

フリッパーズ・ギター

フリッパーズギター

小山田圭吾(おやまだ けいご 1969年1月27日、東京出身)が、87年に井上由紀子(いのうえ ゆきこ)らと結成したバンドが母胎。同年末バンドは消滅しましたが、小山田(g)、井上(kb)の二人でロリポップ・ソニックとして活動を続けます。88年春、小沢健二(おざわ けんじ g)、吉田秀作(よしだ しゅうさく b)、荒川康伸(あらかわ やすのぶ d)が参加し、ロリポップ・ソニックは5人編成に。89年、フリッパーズ・ギターと改名して、アルバム『three cheers for our side〜海へ行くつもりじゃなかった』でメジヤー・デビューしましたが、その直後に3人のメンバーが脱退し、小山田と小沢健二(1968年4月14日、神奈川県出身)の二人で活動を続けます。コンテンポラリーなギター・ポップ・サウンドとスタイリッシュなセンスでシーンに大きな影響を与えましたが、91年に解散。二人はそれぞれ、コーネリアス(小山田圭吾)、小沢健二として活動を続けました。

フリッパーズ・ギター

古井戸

フルイド

古井戸(ふるいど) 加奈崎芳太郎(かなざき よしたろう)と仲井戸麗市(なかいど れいいち)によってつくられたフォークデュオ。1970年頃から、渋谷をホームグラウンドに泉谷しげる、RCサクセションとともに活動。72年にアルバム『古井戸の世界』でレコードデビュー。「さなえちゃん」「インスタントラーメン」などをヒットさせますが、79年に解散。加奈崎はソロに、仲井戸はRCサクセションに参加しました。

古井戸

BLANKEY JET CITY

ブランキージェットシティ

BLANKEY JET CITY(ぶらんきー じぇっと してぃ) 1990年に結成。都内のライヴハウスを中心に活動しながら、オーディション番組「平成名物TV いかすバンド天国」に出場し、圧倒的な存在感で6代目グランドキングとなります。91年発表の『Red Guitar And The Truth』はメジャーデビューアルバムながらもチャート8位に輝きました。全国規模の精力的なライヴや各メンバーのソロプロジェクトなど多彩な活躍を見せますが、2000年のFUJI ROCK FESTIVALでのステージを最後に解散しました。

BLANKEY JET CITY

Bridge

ブリッジ

bridge(ぶりっじ) 1989年に結成。海外アーティストのオープニングアクトやコンピレーションアルバムへの参加を経て、小山田圭吾主宰のトラットリアレーベルから92年にメジャーデビューしました。フリッパーズ・ギターに並ぶ日本ネオアコシーンの人気バンドでしたが、95年に解散。カジヒデキや大橋伸行(PATE)、清水弘貴らの元メンバーは、現在の音楽シーンに欠かせないアーティストとして活躍中です。

Bridge

ブルース・クリエイション

ブルースクリエイション

ブルース・クリエイション 1969年に結成されたブルース・ロックバンド。メンバーは布谷文夫(ぬのや ふみお vo)、竹田和夫(たけだ かずお g)、野地義行(のじ よしゆき b)、田代信一(たしろ しんいち d)。69年にリリースされたファーストアルバム『ブルース・クリエイション』はこのメンバーによるブルースのカヴァーアルバムでした。その後、メンバーチェンジを繰り返し、71年に竹田和夫(vo、g)、大沢博美(おおさわ ひろみ vo)、佐伯正志(さえき まさし b)、樋口晶之(ひぐち まさゆき d)のメンバーで、アルバム『悪魔と11人の子供たち』などをリリースしましたが、この年に解散し、竹田は「クリエイション」を結成します。

ブルース・クリエイション

THE BLUE HEARTS

ブルーハーツ

THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)。 1985年、甲本ヒロト(こうもと ひろと vo)、真島昌利(ましま まさとし g)、望月正水(もちづき まさみ b)、英 竜介(はなぶさ りゅうすけ d)によって結成されました。86年には望月と英に替って、河口純之助(かわぐち じゅんのすけ b)と梶原哲也(かじわら てつや d)が参加しました。87年にインディーズからシングル「人にやさしく」を発表したのに続き、「リンダリンダ」でメジャーデビュー。ストレートな3ピースのギターサウンドに、シンプルで味わいのある詞を乗せていく彼らの演奏は多くのリスナーを虜にし、バンドシーンをリードする存在となりましたが、95年に解散。

THE BLUE HEARTS

BREAD & BUTTER

ブレッドアンドバター

神奈川県茅ヶ崎市出身の日本のフォーク・デュオ。岩沢幸矢(vo)と岩沢二弓(ふゆみ:vo/g)の兄弟からなる。1969年、シングル「傷だらけの軽井沢」でデビュー。以来、70年代ウェストコースト・サウンドに影響を受けた良質なポップ・ミュージックをコンスタントに発表。代表曲は「あの頃のまま」「ホテルパシフィック」「湘南ガール」「ピンクシャドウ」「マリエ」「野生の馬」など。ライヴ活動も精力的に行ない、バンド・スタイルのほかアコースティック・ライヴでも高い評価を得ている。スティーヴィー・ワンダー、井上陽水、松任谷由実ら交流も幅広い。2014年には45周年記念となる4枚組ベスト・アルバムを発表。

BREAD & BUTTER

THE BOOM

ブーム

THE BOOM(ザ・ブーム) 1986年に、宮沢和史(みやざわ かずふみ vo)、小林孝至(こばやし たかし g)、山川浩正(やまかわ ひろまさ b)、栃木孝夫(とちぎ たかお d)によって 89年にアルバム『A Peacetime Boom』でレコードデビュー。90年代に入ってワールドミュージック志向を強めるなど、音楽の幅を広げる試みを重ね、その中から世界的大ヒット曲となった「島唄」も生まれています。さらに、南米7ヨーロッパでもツアーを行うなど、ユニークな活動を展開。その後も、グループとメンバーの個人活動を織り交ぜながら活躍を続けています。

THE BOOM

プラスチックス

プラスチックス

プラスチックス 1976年、グラフィック・デザイナーの立花ハジメ(たちばな はじめ g)が、イラストレーターの中西俊夫(なかにし としお g)、スタイリストの佐藤チカ(さとう ちか vo)らと結成したバンド。最初はアマチュアバンドでしたが、78年に「四人囃子」のベーシストだった佐久間正英(さくま まさひで kb)が参加してからテクノバンドとして本格化。作詞家の島武実(しま たけみ r.box)も加入して、80年にアルバム『WELCOME PLASTICS』をリリース。ポップでアート感覚あふれるセンスが世界的な注目を集めましたが、81年に解散。

プラスチックス

プリンセス・プリンセス

プリンセスプリンセス

プリンセス プリンセス 1983年にレコード会社のオーディションで選ばれたメンバー5人によるガールズ・ロックバンド。86年にミニアルバム『Kissで犯罪』でメジャーデビュー。パワフルなステージと本格的な音づくりで人気を集め、女性バンドとしては初となる日本武道館公演を成功させました。その後も「世界でいちばん熱い夏」「Diamonds」「M」などのヒット曲を連発、トップアーティストとしての地位を築きますが、96年に解散。現在でも、ガールズバンドのパイオニアとして多くのファンから支持されており、2012年には一年間の限定で再結成されました。

プリンセス・プリンセス

細野晴臣

ホソノハルオミ

1947年7月9日、東京都出身。早くから音楽活動を始め、大学生の頃にロック・バンド、エイプリルフールのベーシストとしてレコードデビュー。69年、はっぴいえんどを結成し、日本の音楽界に新風を吹き込みます。その後も、キャラメル・ママ、ティン・パン・アレイ、そしてイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)など、それまでの日本になかったコンセプトの画期的なクリエイト・グループを結成して活躍するとともに、ソロ・アーティストとしてもコンスタントに味わい深い作品を発表しています。名実ともに、日本の音楽シーンを牽引するアーティストのひとり。

細野晴臣

布袋寅泰

ホテイトモヤス

布袋寅泰(ほてい ともやす) 1962.2.1.群馬県出身。81年に氷室京介らとBOØWYを結成し、88年に解散するまでギタリストとして活動します。BOØWY解散の年、アルバム『GUITARHYTHM』でソロデビュー。さらに同年、吉川晃司とユニット「COMPLEX」を結成して約2年間活動しました。ソロアーティストとしては、96年のアトランタオリンピック閉幕セレモニー出演、ヨーロッパでのアルバムリリースやツアーなど、国際的なスケールで活動しています。また、プロデューサーとして今井美樹のシングル「PRIDE」を手掛けるなど、ギタリストに留まらない活躍を続けています。

布袋寅泰

BOØWY

ボウイ

BOØWY(ボウイ) 1981年、氷室京介(ひむろ きょうすけ vo)、布袋寅泰(ほてい ともやす g)、松井恒松(まつい つねまつ b)、高橋まこと(たかはし まこと d)らによって結成されたバンドで、82年にアルバム『MORAL』でレコードデビュー。その後、ソリッドなギター・ロック・サウンドやスタイリッシュなステージングなど、オリジナリティあふれる新感覚のロックバンドとして圧倒的な人気を得ていきました。88年に解散。

BOØWY

ボ・ガンボス

ボガンボス

BO GUMBOS(ボ・ガンボス) 1987年、ローザルクセンブルグを解散したどんと(vo、g)と永井利充(ながい としみつ b)が、Kyon(きょん kb)、岡地 明(おかじ あきら d)と結成したバンド。楽しく盛り上がるライヴが人気を集め、89年に「時代を変える旅に出よう」でレコードデビューします。アメリカ南部のブルースやニューオリンズ・サウンドなど、ルーツミュージックに強い影響を受けたサウンドは、日本のロックシーンに新鮮なインパクトを与え、この年の日本レコード大賞アルバムニューアーティスト賞を受賞しています。95年解散。

ボ・ガンボス

BONNIE PINK

ボニーピンク

BONNIE PINK(ぼにー ぴんく) 1973.4.16.京都府出身。1995年にアルバム『Blue Jam』でメジャービュー。続く『Heaven’s Kitchen』『evil and flower』ではトーレ・ヨハンソンをプロデューサーに招き、話題を呼びます。単身渡米やレーベル設立などを経たのち、2006年リリースのシングル「A Perfect Sky」がチャートトップ10入り。その後発表されたベストアルバム『Every Single Day -Complete BONNIE PINK(1995-2006)-』は70万枚を超えるセールスとなりました。08年にはスウェーデンでのCDデビューも果たし、高い楽曲センスを武器に海外での活動も続けています。

BONNIE PINK

ポルノグラフィティ

ポルノグラフィティ

ポルノグラフィティ(ぽるのぐらふぃてぃ)  1990年、広島県因島の高校生だった新藤晴一(しんどうはるいち)を中心にバンドが作られ、岡野昭仁(おかのあきひと)も参加していました。高校卒業後、大阪で再会した新藤、岡野らはバンド活動を再開し、大阪のインディーズシーンで注目されていきます。97年、オーディションに合格して上京。99年にシングル「アポロ」でデビュー。この時のメンバーは、新藤(g)、岡野(vo、g)、Tama(たま b)。2000年の「サウダージ」、01年の「アゲハ蝶」などの大ヒットでトップグループとなりました。04年、Tamaが脱退しますが、二人で活動を継続。09年には東京ドームコンサートも行っています。

ポルノグラフィティ

ポータブルロック

ポータブルロック

ポータブル・ロック 1982年ごろ、野宮真貴(のみや まき vo)、中原信雄(なかはら のぶお b、syn)、鈴木智文(すずき ともふみ g、syn)によって結成。83年、鈴木慶一らが設立した水族館レーベルからリリースされたオムニバス・アルバム『陽気な若き水族館員たち』に「クリケット」「グリーンブックス」で参加。ポータブル・ロックとして、アルバム『Q.T』(85年)、『ダンス・ボランティア』(97年)などをリリースし、東京ニューウェイヴ・シーンで注目されましたが、80年代末に解散。

ポータブルロック

My Little Lover

マイリトルラヴァー

My Little Lover (まい りとる らゔぁー) 1995年にシングル「Man&Woman」でデビュー。当初のメンバーはakko(あっこ vo)と藤井謙二(ふじい けんじ g)の2人でしたが、後にプロデューサーだった小林武史(こばやし たけし kb)が加入し、3人のユニットとなります。「Hello,Again~昔からある場所~」や「ALICE」など数々のヒットを世に送り出し、ファーストアルバム『evergreen』はミリオンセールスを記録しました。2006年からはakkoのソロプロジェクトとして始動。透明感のあるすがすがしい歌声は、根強いファンを引き付けてやみません。

My Little Lover

槇原敬之

マキハラノリユキ

槇原敬之(まきはら のりゆき) 1969.5.18.大阪府出身。1990年、アマチュアオーディションでグランプリを獲得し、シングル「NG」、アルバム『君が笑うとき君の胸が痛まないように』でデビュー。91年のシングル「どんなときも。」でブレイク、その後「もう恋なんてしない」「SPY」などをヒットさせて、ポップなサウンド感覚の中にシニカルさとナイーヴさを隠し味にした詞を巧みにブレンドした槇原ワールドを展開しています。

槇原敬之

真心ブラザーズ

マゴコロブラザーズ

真心ブラザーズ(まごころぶらざーず) 1989年春、早稲田大学音楽サークルに所属していた桜井秀俊(さくらいひでとし)が、テレビのオーディション番組(『パラダイスGO! GO!』の「勝ち抜きフォーク合戦」に出るため大学の先輩YO-KING(よーきんぐ)を誘って結成。番組で10週勝ち抜き、同年9月にシングル「うみ」でデビュー。ちょっとシニカルな感性とジャンルを超えた音楽性で高い評価を受けていきます。2001年にグループ活動を休止しますが、05年から再開。グループ活動と並行して、メンバーのソロや別プロジェクトでの活動も行われています。

真心ブラザーズ

松 たか子

マツタカコ

松たか子(まつたかこ) 1977.6.10.東京都生まれ。父は歌舞伎俳優の現・松本幸四郎という環境もあって、彼女自身も16歳で歌舞伎座の「人情文七元結」で初舞台を踏み、俳優への道を進みます。その一方、早くからピアノを習うなど音楽への愛着も強く、97年にシングル「明日、春が来たら」でデビューヒットを記録。98年にリリースしたセカンドアルバム『アイノトビラ』で過半数の曲の作詞を手掛けていますが、次第に作詞だけでなく作曲も手がけるようになり、シンガー・ソングライターとして作品を発表していくようになっていきました。

松 たか子

松田聖子

マツダセイコ

松田聖子(まつだ せいこ) 1962.3.10.福岡県出身。1980年に「裸足の季節」でデビュー。同年、3作目のシングル「風は秋色」で初のチャート1位を獲得すると、88年発表の「旅立ちはフリージア」までの24曲が連続1位となる輝かしい記録を達成しました。90年には全米デビューを果たし、海外での活動をスタート。台湾や中国などアジア圏での支持を得ました。デビュー30年を経てからも、初となるバラードコンサートや他アーティストへの楽曲提供・プロデュースなどを行い、ファンを魅了し続けています。

松田聖子

松任谷正隆

マツトウヤマサタカ

松任谷正隆(まつとうや まさたか) 1951.11.19.東京都出身。70年頃からプロのレコーディングセッションに参加するようになり、小坂 忠のバックバンドであるフォージョーハーフを経て、キャラメル・ママに参加。その後、プロデューサーとして松任谷由実の音楽に深くかかわることになります。プロデューサー、アレンジャーとしての活動が中心となっていますが、ソロアーティストとしても77年にアルバム『夜の旅人』をリリースしています。

松任谷正隆

松任谷由実

マツトウヤユミ

松任谷由実(まつとうや ゆみ)
(1954年1月19日生れ。東京都出身。)荒井由実は松任谷正隆(まつとうや まさたか)と結婚して、1977年のシングル「潮風にちぎれて」から、松任谷由実名義でアーティスト活動をします。クオリティの高いレコードを次々とりリースするとともに、79年のツアー「OLIVE」でステージに本物の象を登場させるなど、スペクタクルあふれるコンサートでも圧倒的な人気を得、国民的アーティストとして評価を確立しています。

松任谷由実

松原みき

マツバラミキ

1959年11月28日生まれ、大阪府岸和田市出身のシンガー・ソングライター。幼少よりピアノを習い、ジャズに親しむ。バンド活動を経て、77年に上京。高校卒業後、79年にシングル「真夜中のドア~Stay With Me」でデビュー。数々の新人賞を受賞し、90年代初頭まで多くの作品を発表。90年代以降はCMやアニメなどの作曲家として活動。2001年の癌発覚後は闘病生活を余儀なくされ、2004年10月7日に子宮頸癌のため死去。44歳没。
後年、「真夜中のドア~」はYouTubeで海外のシティポップ・ファンを魅了し大きな話題に。

松原みき

松山千春

マツヤマチハル

松山千春(まつやま ちはる) 1955.12.16.北海道出身。岡林信康の影響を受け、自分で曲をつくって歌うようになります。アマチュアコンテスト出場がきっかけでSTVラジオにレギュラー出演するようになり、77年に「旅立ち」でレコードデビュー。生まれ育った北海道にこだわる姿勢を貫きながら、「季節の中で」「長い夜」などのヒット曲を生み出しました。現在も北海道に在住しながら、精力的にレコーディング、そしてライヴ活動を展開しています

松山千春

三上寛

ミカミカン

1950年3月20日生まれ、青森県出身のフォーク・シンガー/俳優。67年に同郷の詩人、寺山修司らの影響を受けて現代詩を書き始める。69年にライヴ活動を開始。71年にレコード・デビュー。中津川フォークジャンボリーに出演して一躍脚光を浴びる。情念的なサウンドと歌詞により独自の世界を構築。タブーな性言語、日本の呪われた風習を題材にした“怨歌”によって、日本を代表するフォーク・シンガーとなる。また、詩集やエッセイなどの著書も多く、俳優やレポーターなどでも活躍。90年より“三上寛・詩学校”を開校するなど活動は多岐にわたる。

三上寛

Mr.Children

ミスターチルドレン

Mr.Children(みすたーちるどれん) 1992年に小林武史プロデュースのミニアルバム『Everything』でメジャーデビューを果たしました。93年に発表した4作目のシングル「CROSS ROAD」がドラマ主題歌に起用されてロングヒットとなり、初のミリオンセラーを記録。その後も、「innocent world」「Tomorrow never knows」「名もなき詩」といったヒットを連発、『Atomic Heart』『BOLERO』など300万枚を超えるセールスのアルバム作品を生み出し、圧倒的な存在感を示しました。デビュー20周年を迎えた2012年にはベストアルバムのリリースと全国7か所のドームツアーを開催。精力的な活動が続いています。

Mr.Children

THEE MICHELLE GUN ELEPHANT

ミッシェルガンエレファント

thee michelle gun elephant(ざ みっしぇる がん えれふぁんと) 1991年にチバユウスケ(vo)を中心に結成。同年に東京・下北沢「屋根裏」にて初ライヴを行い、以降はライヴハウスを中心に活動の幅を広げます。94年にはアベフトシ(g)が加入し、チバ、ウエノコウジ(b)、クハラカズユキ(d)というラインナップとなりました。インディーズ時代にアルバム2作を発表し、96年に「世界の終わり」でメジャーデビュー。ファーストアルバム『cult grass stars』をリリースすると人気はさらに上昇し、ライヴチケットは入手困難な状態に。アリーナクラスでのオールスタンディングライヴや欧米公演など、バンドの勢いは加速し続けますが、2003年、幕張メッセに約4万人を動員したライヴをもって解散しました。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANT

南こうせつ

ミナミコウセツ

南(みなみ) こうせつ 1949.2.13.大分県出身。高校時代からフォークグループをつくり、プロを目指して上京。オーディションに合格し、70年にシングル「最後の世界」でレコードデビューします。同じ年、大島三平(おおしま さんぺい)、森 信一郎(もり しんいちろう)と第一期「かぐや姫」、翌年、伊勢正三(いせ しょうぞう)、山田(やまだ)パンダと第二期「かぐや姫」を結成します。75年に「かぐや姫」を解散するとソロ活動に入り、76年には日本人アーティストとして初の日本武道館コンサートを行いました。81年からは地元九州でオールナイト野外コンサート「サマーピクニック」を10年間に渡って開催するなど、ライヴを中心とした活動が絶大な支持を得ています。広島原爆被災者救済のための「HIROSHIMA PEACE CONCERT」も、86年から毎年10年間行いました。

南こうせつ

南正人

ミナミマサト

1944年3月3日、東京・阿佐ヶ谷生まれのフォーク・シンガー。東京外語大学スペイン語科卒。60年代後半に欧米各地を2年間放浪の後、ベトナム戦争や学園紛争の時代背景のもと、路上や反戦集会で自作のメッセージ・ソングを歌い始める。69年に初シングル「ジャン/青い面影」、71年に初アルバム『回帰線』を発表。その後、都会を離れて山中にて実験的コミューン生活を開始。以降、年間100本を超えるライヴを全国で展開しながら、作品を発表。また、アジア各地へも旅して草の根コンサートなども実現。2008年にはバンド“みどり組”を結成するなど、バンド、ソロともに精力的に活動中。

南正人

南佳孝

ミナミヨシタカ

南 佳孝(みなみ よしたか)  1950.1.8.東京都出身。ジャズ・ギタリストを志していましたが、シンガー・ソングライターとしても注目され、73年にアルバム『摩天楼のヒロイン』でレコードデビューし、洗練された都会感覚のアーティストとして注目されました。79年に「モンロー・ウォーク」を郷 ひろみが「セクシー・ユー」のタイトルでカヴァーしてヒット、81年には南自身の「スローなブギにしてくれ」がヒット。その後、ボサ・ノヴァ、スタンダードなど、アダルトテイストのシンガー・ソングライターとして作品をリリースし続けています。

南佳孝

宮沢和史

ミヤザワカズフミ

宮沢和史(みやざわかずふみ) 1966.1.18、山梨県出身。86年にTHE BOOMを結成して中心メンバーとして活動していますが、90年代からレゲエ歌手ミヤボロとの「神様の宝石でできた島」リリース、矢野顕子との「二人のハーモニー」リリースなど、個人としての活動にも力を入れるようになり、98年にはソロアルバム『Sixteenth Moon』『AFROSICK』をリリースしました。海外での活動も多く、各国のミュージシャンとも積極的に交流していきますが、2006年にライヴのバンドをGANGA ZUMBAと改名し、GANGA ZUMBAとしての活動をスタートさせています。メンバーは宮沢(vo)、宮川 剛(みやがわつよし d)、マルコス・スザーノ(まるこすすざーの perc)、今福”HOOK”健司(いまふくけんじ perc)、tetsu(てつ b)、高野 寛(たかのひろし g)、フェルナンド・モウラ(ふぇるなんどもうら kb)、土屋玲子(つちやれいこ vi、二胡)、ルイス・バジェ(るいすばじぇ tp)、クラウディア大城(くらうでぃあおおしろ vo)。

宮沢和史

MISIA

ミーシャ

1978年7月7日生まれ、長崎県出身のシンガー・ソングライター。98年のシングル「つつみ込むように…」でデビュー。
デビュー早々のホール&アリーナ・ツアーから圧倒的な歌唱力で幅広いファンを獲得し、日本の“R&B”シーンを牽引しつづける。2000年の「Everything」を始め「アイノカタチ」などの大ヒットを数多く放つ。

MISIA

武蔵野タンポポ団

ムサシノタンポポダン

武蔵野タンポポ団(むさしのたんぽぽだん) 東京・吉祥寺のフォーク喫茶「ぐゎらん堂」に集まっていたフォークミュージシャン達が、高田 渡(たかだ わたる)を中心に結成したジャグ・バンド(フォーク、カントリーの演奏スタイルの一種)。メンバーは、高田 渡、シバ、若林純夫(わかばやし すみお)、村瀬雅美(むらせ まさみ)、山本(やまもと)コウタローが中心でした。中津川の第三回全日本フォークジャンボリーにも出演しましたが、その活動期間は短く、72年には解散しています。

武蔵野タンポポ団
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