アーティスト・アーカイヴ
ARTIST ARCHIVES
ピチカート・ファイヴ
ピチカートファイヴ
1984年、小西康陽(こにし やすはる、b、kb)を中心に、高浪:慶太郎(たかなみ けいたろう。後に高浪敬太郎と表記、g、kb)、鴨宮 諒(かもみや りょう、kb)、佐々木麻美子(ささき まみこ、vo)によって結成されました。85年、細野晴臣プロデュースの「オードリー・ヘプバーン・コンプレックス」でデビュー。87年、鴨宮 諒、佐々木麻美子が脱退し、田島貴男(たじま たかおvo)が参加。1990年からは田島貴男に替わって野宮真貴(のみや まき、vo)が参加しています。90年代に入ってピチカート・ファイヴは大きく脚光を浴び、海外でも注目されましたが、94年に高浪敬太郎が脱退。その後、2001年に解散するまでは、小西康陽と野宮真貴のデュオグループとして活躍を続けました。
the pillows
ピロウズ
the pillows(ざ ぴろうず) 1989年結成、91年にシングル「雨にうたえば」でメジャーデビュー。メンバーの脱退や活動休止などを経験しつつも地道なライヴ活動を続けた結果、根強いファンを得ていきます。2004年に発表したトリビュートアルバムには、Mr.ChildrenやBUMP OF CHICKENなど彼らを支持する豪華アーティストが集結。また、05年にはアメリカ、06年にはアメリカとメキシコでツアーを行い、全会場をソールドアウトさせ、海外での人気も獲得しました。09年には結成20周年を記念した初の日本武道館公演を開催。現在もツアー動員記録を塗り替え続ける、日本のロックシーンに欠かせないアーティストです。
PINK CLOUD
ピンククラウド
PINK CLOUD(ぴんくくらうど) 1978年、「スモーキー・メディスン」を解散してソロ活動を行っ ていたChar(g)、元「ザ・ゴールデンカップス」のルイズルイス加部(るいずるいす かべ b)、元「イエロー」のジョニー吉長(じょにー よしなが d)がバンド「JOHNNY ,LOUIS & CHAR」を結成。79年にアルバム『FREE SPIRIT』をリリース。ブルースをベースにした緊張感のあるアンサンブルで人気となります。82年にグループ名を「PINK CLOUD」と改めましたが、グループとしてのセッションとメンバーのソロを織り交ぜつつ、94年頃まで活動を続けました。
ファニー・カンパニー
ファニーカンパニー
ファニー・カンパニー 1971年、桑名正博(くわな まさひろ vo、g)、栄 孝志(さかえ たかし g)、古宇田 優(こうだ まさる kb)、横井 康和(よこい やすかず b)が結成したロックバンド。72年、シングル「スイートホーム大阪」でレコードデビュー。ヒットこそしませんでしたが、大阪弁による本格的ロックナンバーとして注目されました。その後、ベーシストが辻 宗一郎(つじ そういちろう)に替わり、サポートメンバーだった西 哲也(にし てつや d)が正式メンバーになるなどのメンバーチェンジはありましたが、そのパフォーマンスの格好良さは”東のキャロル、西のファニカン”と並び称されるほどでした。しかし、74年に2枚のアルバムを残してあっさり解散してしまいます。
フィッシュマンズ
フィッシュマンズ
フィッシュマンズ(ふいっしゅまんず) 1987年、大学の音楽サークルメンバーだった佐藤伸治(さとうしんじ vo、b)、小嶋謙介(こじまけんすけ g)、茂木欣一(もてぎきんいち d)によって結成されました。その後、柏原譲(かしわばらゆずる b)、ハカセ(はかせ kb)が参加し、91年にシングル「ひこうき」でメジャーデビュー。初期は小玉和文、窪田晴男らにプロデュースをゆだねていましたが、その後セルフプロデュースにより、レゲエから発展させた独自の音楽を追求し、根強い支持を得ていきました。しかし、99年、佐藤伸治の死去によりバンドも活動を停止。2005年、RISING SUNROCK FESTIVAL in EZOで、茂木、柏原を中心とする復活ステージが行われ、ゲストヴォーカルとして忌野清志郎、UAらが参加しました。
ザ・フォーク・クルセダーズ
フォーククルセダーズ
加藤和彦(かとう かずひこ)、北山 修(きたやま おさむ)らによって京都で結成された学生アマチュア・グループでしたが、1967年10月に解散記念LP『ハレンチ』を自主制作。アルバム中で唯一のオリジナル曲「帰ってきたヨッパライ」がラジオの深夜放送を通じて話題となり、急きょシングル・カットして発売され、280万枚という大ヒットとなりました。その結果、メンバーの加藤と北山は解散を延期し、アマチュア仲間だった端田宣彦(はしだ のりひこ)を加えて活動を再開。「悲しくてやりきれない」「青年は荒野をめざす」そして覆面バンドのズートルビー名義の「水虫の唄」などのヒットを飛ばします。ザ・フォーク・クルセダーズは68年10月に解散しましたが、2002年、加藤、北山にフルフィーの坂崎幸之助(さかざき こうのすけ)を加えてザ・フォーク・クルセダーズとしてCDリリースやステージも行うなど、単発的な再結成は何度か行っています。








