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アーティスト・アーカイヴ

ARTIST ARCHIVES

サディスティック・ミカ・バンド

サディスティックミカバンド

ザ・フォーク・クルセダーズ解散後ソロ活動を行っていた加藤和彦(かとう かずひこ)が、当時のロンドンを中心としたポップ・ムーブメントの刺激を受けて結成したバンド。ファッショナブルで洗練された音楽性とビジュアルで注目されました。1972年6月、加藤が設立したドーナツ・レーベルからファースト・シングル「サイクリング・ブギ」をリリースしましたが、このときのドラムスはつのだひろでした。加藤(vo、g)とミカ(みか vo)を中心に高中正義(たかなか まさよし g)、今井裕(いまい ゆう kb)、小原礼(おはら れい b)、高橋幸宏(たかはし ゆきひろ d)のメンバーが固まったのは同年末といわれます。73年5月にファースト・アルバム『サディスティック・ミカ・バンド』を発表た後、74年にプロデュースにクリス・トーマスを迎えた『黒船』を発表。『黒船』はイギリスでも話題となり、75年にはロキシー・ミュージックとのイギリスツアーを成功させ、国際的評価を得ます。なお、この時にベーシストが後藤次利(ごとう つぐとし)に替わっています。同年、惜しくも解散しました。

サディスティック・ミカ・バンド

佐藤奈々子

サトウナナコ

東京都中野区出身の日本の女性歌手/写真家。慶應義塾大学卒。1977年、アルバム『ファニーウォーキン』でデビュー。80年にニューウェイヴ・バンド“SPY”を結成。その後、プロカメラマンとして広告・雑誌などで活躍。87年より5年間、パリに在住。93年の帰国後に音楽活動を再開。96年、アルバム『LOVE IS A DRUG』を日・米・英で発表。以降、国内外問わず音楽を発信。ピチカート・ファイヴへ提供した「Twiggy Twiggy」などもその一つ。近年はCocco、細野晴臣らのCDジャケット写真も手掛ける写真家と並行し、nanaco名義での音楽活動を展開。旭化成「ヘーベルハウス」ほかCMナレーションも多い。

佐藤奈々子

佐藤博

サトウヒロシ

佐藤 博(さとう ひろし) 1947.6.3.鹿児島県出身、2歳で京都へ。中学生の頃から音楽に熱中し、20歳でピアノを独学でマスター。その後、上田正樹らとバッドクラブ・バンド結成、オリジナル・ザ・ディランへの参加などを経て、75年に鈴木茂とハックルバックを結成。同時にティン・パン・アレイのセッションメンバーとしても活動。76年、ソロ・アルバム『SUPER MARKET』をリリース。79年に渡米しトップ・ミュージシャンと交流。82年の帰国後も、マイペースでオリジナリティあふれるハイクオリティな音楽をつくり続けています。

佐藤博

サニーデイ・サービス

サニーデイサービス

サニーディ・サービス(さにいでいさあびす) 1992年、大学生だった曽我部恵一(そかべけいいち vo、g)を中心に結成されました。インディーズで活動した後、94年7月にシングル「星空のドライブ」でメジャーデビューし、デビュー後に現在の編成―曽我部、田中貴 たなかたかし b)、丸山晴茂(まるやまはるしげ d)―となりました。曽我部の豊かな情感に満ちた詞や70年代のフォーク・ロックに通じる独自なサウンドが注目され、精力的に活動を展開していきましたが、2000年12月に解、突然解散。08年に同じメンバーで再結成しています。

サニーデイ・サービス

佐野元春

サノモトハル

佐野元春(さの もとはる) 1956.3.13.東京都出身。さまざまなバンドを経て、ロックテイストのシンガー・ソングライターとして、80年にシングル「アンジェリーナ」でレコードデビュー。81年に「SOMEDAY」がヒット。また82年には、大滝詠一、杉 真理とのジョイントアルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』でも話題となりました。83年にはニューヨークに移り、ヒップホップなどのムーブメントを吸収し、自らの音楽生をブラッシュアップするなど、時代と対峙しながら研ぎ澄まされたストリート感覚をもった作品をつくり続けています。

佐野元春

サンディー&ザ・サンセッツ

サンディアンドザサンセッツ

“久保田麻琴と夕焼け楽団”として70年代から活動していた久保田麻琴が、80年代初頭、夕焼け楽団を“サンセッツ”に改名して活動を再開。バック・ヴォーカルとして参加したサンディーをメイン・ヴォーカリストに迎えてグループを再編し“サンディー&ザ・サンセッツ”となった。82年にファースト・アルバム『イミグランツ』を発表。アジア、オーストラリアなどで活動を展開し、オーストラリアでは「スティッキー・ミュージック」がヒット。

サンディー&ザ・サンセッツ

サンディー

サンディー

サンディー(さんでぃー)、Sandii

1976年に世界歌謡祭で最優秀歌唱賞を受賞し、シンガーとしてのキャリアをスタートさせました。80年に、細野晴臣プロデュースのアルバムを日英でリリース後、久保田麻琴が率いるザ・サンセッツのヴォーカルとして活躍、90年、再びソロになってからも歌謡曲やハワイアン、アジアの音楽を融合した独自のスタイルでワールドミュージック・ブームの先駆者となりました。またハワイのフラ・カルチャーの最高位である「ウニキ・クム・フラ」の称号を持ち、自身のフラ・スタジオで門下生を育てています。2009年から、カリンバ奏者のBUNとのユニット、SANDIIBUNBUNとしても活動しています。

サンディー

サンハウス

サンハウス

サンハウス 柴山俊之(vo)と鮎川誠(g)を中心に結成された日本のブルース・ロック・バンド。バンド名は米ブルース歌手、サン・ハウスが由来。1975年に1stアルバム『有頂天』でメジャー・デビュー。日比谷野外音楽堂でのデビュー・ライヴ後は、ゴダイゴやcharとともに全国ツアーを開催。78年3月、3rdアルバム『ドライヴ・サンハウス』リリース同日に解散を発表。解散後は各自活動を続け、83年に再結成し、東京、福岡、仙台でライヴを開催。2010年にも再結成を果たし、結成35周年記念となる全国ツアーを行なった。

サンハウス

サーカス

サーカス

サーカス 1978年に「Mr.サマータイム」でデビューしたコーラスグループ。メンバーは、叶 高(かのう たかし)、叶 正子(かのう まさこ)、卯月節子(うずき せつこ)、叶 央介(かのう おうすけ)。男女2人ずつ、しかも三人姉弟と従姉というユニークな構成で、息の合ったコーラスを聞かせています。84年、結婚のためグループを離れた卯月の替わりに原 順子(はら じゅんこ)が加入、その後、叶 央介と結婚し、ファミリー・グループというスタイルは維持されています。現在も、洗練された大人のコーラスグループとして活動を続けています。

サーカス

財津和夫

ザイツカズオ

財津和夫(ざいつ かずお) 1948.2.19.福岡県出身。チューリップを結成し、1972年「魔法の黄色い靴」でデビューしました。89年の解散まで中心メンバーとして活動。チューリップと並行したソロ・アーティストとして、80年には「WAKE UP」をヒットさせたほか、93年にチューリップ時代の曲のセルフカバー「サボテンの花」が、テレビドラマ『ひとつ屋根の下』のテーマ曲となり大ヒット。シンガー・ソングライターの他、俳優としても活躍しています。

財津和夫

ZARD

ザード

ZARD(ざーど) ヴォーカルの坂井泉水(さかい いずみ)を中心にして結成されたユニット。1992年にシングル「Good-bye My Loneliness」でメジャーデビューしました。93年発表の6作目となるシングル「負けないで」がミリオンセールスを記録、翌年の春の選抜高校野球入場行進曲に選ばれ、幅広い層のファンを獲得します。メディアにほとんど出演しないスタンスでしたが、「揺れる想い」「マイフレンド」などヒット曲を連発し、絶大な支持を集めます。しかし、2007年5月に坂井泉水が急逝。透明感のある歌声は、現在もなお多くのファンを魅了し続けています。

ZARD

椎名林檎

シイナリンゴ

椎名林檎(しいな りんご) 1978.11.25.埼玉県出身。中学生時代からバンド活動を行い、1996年には第5回ヤマハミュージッククエストに出場し、優秀賞を受賞。98年にシングル「幸福論」でデビューしました。“新宿系自作自演屋”を自称し、シングル「歌舞伎町の女王」で注目を集めます。「ここでキスして。」「本能」「ギブス」などヒットを重ねますが、2003年にはソロ活動を一時封印し、バンド「東京事変」を結成。『教育』『大人(アダルト)』といった作品を発表しました。2012年2月のバンド解散後も、新曲「自由へ道連れ」をリリース。配信限定ながらビルボードのエアプレイチャートで2位になるなど、ひとつの型にはまらない精力的な活動が続いています。

椎名林檎

下田逸郎

シモダイツロウ

1948年生まれ、宮崎県出身のシンガー・ソングライター。68年、浜口庫之助ミュージック・カレッジ同期の斉藤ノブと“シモンサイ”を結成。同年12月に東京キッドブラザースの旗揚げに参加。70年、シモンサイとしてデビュー。翌年にはソロ1stアルバム『遺言状』を発表。その後、ニューヨークへ渡り、帰国後の73年にアルバム『飛べない鳥,飛ばない鳥』発表。日米混血のアシッド・フォークといえる独自のスタイルでその後「セクシー」「踊り子」などのヒットを放つ。30代後半からの放浪生活を経て、40代に活動再開。以降、自分の物語としての唄やラヴ・ソング、遺言歌の制作へとのめり込む。現在『ひとひらあわせ』シリーズを制作中。

下田逸郎

シャネルズ → ラッツ & スター

シャネルズ

CHANELS、後にSHANELS(しゃねるず) 1975年、ドゥーワップに熱中していた鈴木雅之(すずき まさゆき)が、中学生時代の仲間だった田代(たしろ)まさし、佐藤善雄(さとう よしお)、久保木博之(くぼき ひろゆき)らとシャネルズを結成。その後、メンバーの入れ替わりがあり、桑野信義(くわの のぶよし)らが加入します。78年頃から、顔を黒く塗って舞台に立つなど、ショーアップされたステージが話題となり、80年にレコードデビュー。デビュー曲「ランナウェイ」が大ヒットし、たちまち人気グループになります。しかし、83年にシャネルズとしての活動をストップ。後に「ラッツ&スター」として再出発します。

シャネルズ → ラッツ & スター

シャ乱Q

シャランキュー

シャ乱Q(しゃらんきゅう) 1988年、大阪の3つのインディーズバンドから、つんく(vo)、はたけ(g)、まこと(d)、しゅう(b)、たいせー(kb)が集まって結成されました。91年、アマチュアバンドコンテストなどでチャンスを掴み、翌92年に「18ケ月」でデビュー。「上・京・物・語」「シングルベッド」「ズルい女」などをヒットさせてブレイク。キャッチ―な親しみやすさを持ったポップバンドとして人気を集め、96年には「いいわけ」でレコード大賞優秀作品賞、編曲賞を受賞しました。98年、しゅうが脱退。バンドは4人で活動を続けましたが、2000年に活動休止しメンバーはソロ活動を展開していきます。06年、活動を再開し、08年には日本武道館でシャ乱Q結成20周年ライヴを行いました。

シャ乱Q

シュガー・ベイブ

シュガーベイブ

セッションを通じて意気投合した山下達郎(g、vo)、大貫妙子(vo、kb)を中心に1973年に結成されました。他のメンバーは村松邦男(g)、鰐川己久男(b)、野口明彦(d)。ライブハウスを中心にステージ活動を展開するとともに、ハーモニーワークを買われて、大滝詠一、荒井由実らのコーラスも手がけました。その後、鰐川、野口が寺尾次郎(b)、上原 裕(d)にメンバーチェンジとなりましたが、75年に発表されたアルバム『SONGS』では新旧のメンバーが共に参加しています。メンバー・チェンジ後もライヴシーンで人気を高めていきましたが、76年3月に解散しています。

シュガー・ベイブ

少年ナイフ

ショウネンナイフ

少年ナイフ(しょうねんないふ) 1981年にNaoko(なおこ vo、g)を中心に大阪で結成。83年にファーストアルバム『BURNING FARM』を発表します。85年に同作がアメリカでリリースされた後は、ヨーロッパ各地でも注目されるようになり、92年には日本とアメリカ、イギリスの3か国でメジャーデビューを果たしました。2011年には結成30周年記念として初のカヴァーアルバムを発表。現在も世界各国でライヴツアーを行い、国内外の根強いファンから熱い支持を得ています。

少年ナイフ

庄野真代

ショウノマヨ

1954年12月23日生まれ、大阪府大阪市出身のシンガー・ソングライター。76年、『あとりえ』でデビューし、都会派ニューミュージック歌手として注目される。78年に「飛んでイスタンブール」でブレイク。続く、「モンテカルロで乾杯」「マスカレード」もヒットし、同年末のNHK『紅白歌合戦』に初出場。80年には世界中を渡り歩き、歌手活動のほか講演、司会、リポーター、ミュージカルやドラマなど幅広く活動を展開。91年にはシンガポール、マレーシア、香港でCDデビューするなど、国際的に活躍。2000年以降は東南アジアなどでのチャリティーコンサートにも尽力している。

庄野真代

SHOW-YA

ショウヤ

SHOW-YA(しょうや) 1981年に結成されたガールズ・バンド。メンバーは寺田恵子(てらだけいこ vo)、中村美紀(なかむらみき kb)、角田美喜(つのだみき d)、仙波さとみ(せんばさとみ b)、五十嵐美貴(いがらしみき g)。82年、ヤマハLight Music Contest’82レディース部門で優秀賞、および寺田がベストヴォーカリスト賞を受賞しました。85年、シングル「素敵にダンシング」でレコードデビュー。国内外でのライヴを積極的に行い、本格派ロック・バンドとしての力量を示していくとともに、イベント「NAONのYAON」を開催するなど、女性ロッカーのシーンを広げていくための活動も積極的に行っていきました。91年、寺田が脱退し、SHOW-YAはヴォーカリストを替えて活動を続けましたが98年に解散。しかし、2005年にオリジナルメンバーで活動を再開させています。

SHOW-YA

SHOGUN

ショーグン

SHŌGUN(ショーグン) ギタリストの芳野藤丸(よしの ふじまる)をはじめ、スタジオミュージシャンによって結成されたバンドで、メンバーは芳野藤丸、大谷和夫(おおたに かずお kb)、ミッチー長岡(ながおか b)、山木秀夫 (やまき ひでお d)、中島 御(なかじま おさむ perc)、ケーシー・ランキン(g、vo)。1979年にテレビドラマ『俺たちは天使だ!』の主題歌「男達のメロディー」でデビューし、ヒットを記録。続いて『探偵物語』の音楽も担当するなど脚光を浴びましたが、80年に活動停止。97年と2001年の短期間活動を経て、2010年に復活しました。

SHOGUN

SING LIKE TALKING

シングライクトーキング

SING LIKE TALKING(しんぐ らいく とーきんぐ) 佐藤竹善(さとうちくぜん vo、kb、g)を中心に1985年に前身となるバンドを結成。87年に佐藤、藤田千章(ふじたちあき syn、kb)、西村智彦(にしむらともひこ g)の3人編成となり、翌年シングル「Dancin' With Your Lies」でメジャーデビューしました。2003年以降は一時バンド活動を休止し、それぞれのソロ活動や他アーティストのサポート、プロデュースなど多方面で活躍。11年に約8年ぶりの『Empowerment』を発表し、本格復帰となりました。13年にはデビュー25周年を迎え、記念アルバムのリリースやライヴ開催など意欲的な活動を見せています。

SING LIKE TALKING

シーナ & ロケッツ

シーナアンドロケッツ

シーナ&ロケッツ サンハウスを解散した鮎川 誠(あゆかわ まこと g)が夫人のシーナ(vo)、奈良敏博(なら としひろ b)、川島一秀(かわしま かずひで d)と結成したバンド。1978年にシングル「涙のハイウェイ」でレコードデビュー。タイトなギター・ロックとシーナのファンキーなヴォーカルで注目され、79年には細野晴臣がプロデュースしたアルバム『真空パック』をリリース。ライブ活動を精力的に継続するも、シーナは2015年に61歳で死去。鮎川誠も2023年1月に膵臓癌のため死去。74歳没。

シーナ & ロケッツ

ZIGGY

ジギー

ZIGGY(じぎー) 1984年に森重樹一(もりしげ じゅいち vo)を中心に結成。87年にメジャーデビューを果たすと、グラマラスなルックスとキャッチーなメロディで注目を集め、89年リリースの「GLORIA」が大ヒット。同年には日本武道館でのライヴを成功させ、高い人気を得ます。しかし91年に活動休止、「SNAKE HIP SHAKES」としての活動を経て、2002年に再始動。メンバーチェンジを重ねながらも、2007年にアルバムを発表しライヴを行いますが、再び無期限の活動休止に。2011年には森重がソロ活動に専念することを発表しました。

ZIGGY

じゃがたら

ジャガタラ

じゃがたら 1979年、江戸アケミを中心に、江戸アケミ&じゃがたらとして活動を開始。ステージごとにグループ名を変えたり、過激なパフォーマンスなどで、ライヴシーンで話題を呼んでいきました。82年、暗黒大陸じゃがたらの名で、ファンク色の強いファーストアルバム『南蛮渡来』をリリース。これをきっかけに、本格的活動を展開していきますが、江戸アケミが療養のため84~86年は活動を休止。彼の復活後、セカンドアルバム『裸の王様』(87年)など、次々に注目作を発表していきましたが、90年に江戸アケミが入浴中に事故死したことでグループは解散しています。

じゃがたら

ジャックス

ジャックス