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アーティスト・アーカイヴ

ARTIST ARCHIVES

DREAMS COME TRUE

ドリームズカムtゥルー

Dreams Come True(どりーむず かむ とぅるー) 1988年結成。89年にシングル「あなたに会いたくて」とアルバム『Dreams Come True』でメジャーデビューし、92年に発表した5作目のアルバム『The Swinging Star』が300万枚を超えるセールスを記録します。その後も、「晴れたらいいね」「LOVE LOVE LOVE」「朝がまた来る」「何度でも」など多くの名曲を生み出し、稀代のヒットメーカーとなりました。91年からは、ファン投票を基に選曲される4年に一度の大規模ライヴイベント「史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND」を開催し、多くのファンを魅了しています。

DREAMS COME TRUE

仲井戸麗市

ナカイドレイイチ

1950年10月9日生まれ、東京都新宿区出身のロック・ギタリスト。愛称は“チャボ(CHABO)”。“麗市”は敬愛するフォーク・シンガー、ドノヴァン・フィリップ・レイチが由来。高校時代にロック・バンド“古井戸”を結成。72年に『古井戸の世界』でデビューを果たす。79年の解散後、RCサクセションに正式加入。忌野清志郎とともに時代を代表するロック・ギタリストとしてシーンに君臨。以降、85年には初のソロ・アルバム『THE 仲井戸麗市 BOOK』を発表。91年には土屋公平とのユニット“麗蘭”を結成するなど、多岐に渡って活動を展開。自身のライヴのほか、ゲストとして数多くのアーティストのステージで活躍中。

仲井戸麗市

中川五郎

ナカガワゴロウ

中川五郎(なかがわ ごろう) 1949.7.25.大阪府出身。67年に岡林信康と出会い、フォークシンガーとしての活動を開始。68年、中川五郎が作詞した「受験生ブルース」を高石ともやが歌ってヒットさせたことで注目を集めました。69年、六文銭とのカップリングアルバム『六文銭・中川五郎』でレコードデビューしますが、70年に歌手活動をストップ。その後、文筆活動を主体として活動していきます。76年にアルバム『25年目のおっぱい』、78年に『また恋をしてしまったぼく』をリリースしていますが、その後のアルバムリリースは、26年後の2004年となりました。

中川五郎

中島みゆき

ナカジマミユキ

1952年2月23日生まれ。北海道出身。高校生の頃からオリジナル曲を歌い、大学生時代には多くのコンテストにも出場するなど、活発なアマチュア活動をしていました。75年、「第9回ポピュラーソング・コンテスト(ポプコン)」に「傷ついた翼」で入賞し、9月に「アザミ嬢のララバイ」でレコードデビュー。同年の「第10回ポプコン」では「時代」でグランプリ獲得。「第6回世界歌謡祭」でもグランプリを得ました。その後、シンガー・ソングライターとして、心の内面をえぐる豊かな情感をたたえた曲を数多く発表し、根強い支持を得ていきました。「わかれうた」「悪女」「空と君のあいだに」など多くのヒット曲を送り出している他、89年にスタートさせた『夜会』では、革新的な舞台音楽表現にアプローチしています。

�中島みゆき

中西圭三

ナカニシケイゾウ

中西圭三(なかにしけいぞう) 1964.11.11生まれ、岡山県出身。ソングライターとしてキャリアをスタートさせ、中山美穂、Winkなどに楽曲を提供していましたが、91年に「タンジェリン・アイズ」で歌手デビュー。92年に「Woman」がヒットして脚光を浴びました。豊かな表現力で歌手活動をする一方、作曲家としてもZOOの「Choo Choo TRAIN」(後にEXILEがカヴァー)、ブラックビスケッツの「Timing」などをヒットさせています。2000年代には、NHK「おかあさんといっしょ」の「ぽよよん行進曲」「まんまるスマイル」などの話題曲も手掛けています。

中西圭三

中村あゆみ

ナカムラアユミ

中村あゆみ(なかむらあゆみ) 1966.6.28生まれ、福岡県出身。福岡でプロデューサー高橋研に見出されて84年にシングル「MIDNIGHT KIDS」でレコードデビュー。せつなさを込めたシャウトヴォーカルで歌い上げるスタイルが注目を集め、85年の「翼の折れたエンジェル」の大ヒットでブレイクしました。デビュー当初の楽曲は高橋研が手掛けていましたが、その後、自らソングライティングやプロデュースも行うなど、アーティストとしての成長を見せていきます。90年代以降、結婚・出産などでアーティスト活動をセーブしていましたが、04年の「湯沢フィールド音楽祭」出演をきっかけに、本格的な活動を再開しています。

中村あゆみ

中山ラビ

ナカヤマラビ

東京都出身のシンガー・ソングライター。ボブ・ディランや岡林信康らに影響を受ける。大学在学中に詩人の中山容が訳詞したボブ・ディラン「俺じゃだめ」でライヴ・デビューを飾り、“女ボブ・ディラン”の異名をとる。以後、関西に拠点を移す。1972年12月、1stアルバム『私ってこんな』でメジャー・デビュー。ラジオのパーソナリティやシングルがドラマ主題歌に起用されるなどで耳目を集める。その後、演劇や舞踊など他分野とのコラボレーションなど新たな活動に取り組むも、80年代後半に活動停止。97年に活動再開。また、バンド“ラビ組”を結成。東京・国分寺の喫茶店“ほんやら洞”のオーナーを務めながら、ライヴ活動を継続。

中山ラビ

永井真理子

ナガイマリコ

永井真理子(ながいまりこ)  静岡県出身。87年、シングル「OH!ムーンライト」でデビュー。エネルギッシュでキュートなヴォーカル・スタイルで、ライヴや学園祭で人気を集めていき、「ミラクル・ガール」「ZUTTO」などのビッグヒットを連発します。そして、89年に日本武道館2DAYS、翌90年には武道館3DAYSなどアリーナクラスの動員を誇る人気者となりました。その後、歌手活動をセーブする時期も経て、2003年にはオーストラリアに移住。自らのレーベルもつくり、マイペースでの音楽活動を続けています。

永井真理子

長渕剛

ナガブチツヨシ

長渕 剛(ながぶち つよし) 1956.9.7.鹿児島県出身。吉田拓郎の影響を受けてシンガー・ソングライターとしての活動を始めました。76年にポピュラーソングコンテストに九州代表として出場。77年にシングル「雨の嵐山」をリリースしますが、本格的なデビュー曲は78年の「巡恋歌」です。その後「順子」「ろくなもんじゃねえ」「乾杯」「とんぼ」などヒット曲を輩出します。ライヴアーティストとしても定評があり、92年には東京ドームでたった一人のステージをやり遂げました。

長渕剛

なぎら健壱

ナギラケンイチ

なぎら健壱(けんいち)  1952.4.16.東京都出身。70年の第二回全日本フォークジャンボリーに飛び入り出演。そのときに歌った「怪盗ゴールデンバットの歌」がフォークジャンボリーのライヴアルバムに収録されて注目を浴び、72年にアルバム『万年床』でレコードデビューしました。73年には、大相撲をテーマにしたコミカルなシングル「悲惨な戦い」をリリース、歌詞に問題があると放送禁止となりましたがヒットを記録。その後も、カントリーフォーク色の強い曲を中心にしたシンガー・ソングライターとして活躍を続けています。同時に、俳優、エッセイストとしても高い評価を受けています。デビュー当初は「なぎらけんいち」でしたが、現在は「なぎら健壱」と表記しています。

なぎら健壱

NASA

ナサ

NASA ナサ
80年代初頭に活躍した日本のフュージョン系バンド。フュージョンをベースにしたサウンドとはっきりしたメロディを特色とし、楽曲によって日本語と英語の歌詞を歌い分けていたことも。81年にヴォーカル兼ヴァイオリニストとして亀井登志夫が参加。メンバーはほかに、ギターに角田順(元もんた&ブラザーズ)、ベースに渡辺和義(藤丸バンド)、キーボードに大浜和史、ドラムスに三浦晃嗣(SHOGUN、Dr.K)が在籍。アルバム『千夜一夜』とシングル「誘惑ゾーン4425」をリリース。「キリンレモン」CMソング「南十字星(サザン・クロス)を追いかけろ」などを手掛けるも、その後自然消滅。

NASA

西岡恭蔵

ニシオカキョウゾウ

西岡恭蔵(にしおか きょうぞう) 1948.5.7.三重県出身。ビートルズやアメリカのフォークシンガーの影響で、早くから歌を作っていました。1970年頃に大阪で、大塚まさじ、永井洋と「ザ・ディラン」を結成しますが72年に脱退し、ソロアルバム『ディランにて』をリリース。シンガー・ソングライターとしてのセンスは高く評価され、「プカプカ」「春一番」「サーカスにはピエロが」など、多くの名曲を発表しています。99年死去。

西岡恭蔵

ニュー・サディスティック・ピンク(NSP)

ニューサディスティックピンク

NSP(えぬえすぴー)

岩手県一関工業高等専門学校の同級生、天野 滋(あまの しげる vo、g)、中村 貴之(なかむら たかゆき vo、g )、平賀 和人 (ひらが かずと vo、b )が1972年に結成したフォークグループ。73年、ポプコンでニッポン放送賞を受賞したのをきっかけにデビュー。74年、「夕暮れ時はさびしそう」が大ヒットし、同年のアルバム「N.S.P. Ⅲ ひとやすみ」もオリコン4位のヒットを記録し、叙情派フォークを代表するグループとなりました。85年、中村、87年、平賀の脱退でNSPの活動は停止しましたが、2002年にオリジナルメンバーで復活。精力的に活動を再開しましたが、05年、天野の急死で幕を閉じました。

ニュー・サディスティック・ピンク(NSP)

ネコ

猫(ねこ) 1971年、カレッジフォークの人気グル―プだったザ・リガニーズの常富喜雄(つねとみ のぶお)、内山 修(うちやま おさむ)と、ジ・アマリーズの田口 清
(たぐち きよし)が結成したグループが「猫」です。当初は吉田拓郎のバックバンドもし
ていましたが、72年に「人生なんてそんなものさ」でレコードデビュー。同年、吉田拓郎が作詞・作
曲した「雪」「地下鉄に乗って」がヒットして、人気グループの仲間入りをしまし
た。その後、石山恵三(いしやま けいぞう)、西木栄二(にしき えいじ)が参加します
が、西木は短期間でグループを離れ、御守孝明(おんもり たかあき)が短期間在籍し
た後、大久保一久(おおくぼ かずひさ)に替わりました。しかし、75年に大久保は伊
勢正三と「風」を結成するためにグループを離れ、その後まもなく「猫」も解散となりまし
た。

猫

野宮真貴

ノミヤマキ

野宮真貴(のみや まき) 1981年、ムーンライダーズの鈴木慶一プロデュースによる『ピンクの心』でデビュー。その後、「ポータブル・ロック」のヴォーカリストとして活躍。東京ニューウェイヴ・シーンの歌姫として愛されます。90年、ピチカート・ファイヴに3代目ヴォーカリストとして参加。渋谷系文化のアイコンとして、日本及び海外の熱狂的な人気を集めました。現在は、独創的な存在感と歌声で、音楽に加え、カルチャーやアート、ファッションなど多方面で活躍中。そのエッセンスを凝縮したシアトリカルなライヴパフォーマンスが近年の白眉として、注目を集めています。2020年は還暦イヤーを迎え、音楽、ファッションやヘルス&ビューティーのプロデュース、エッセイストなど多方面で活躍している。

野宮真貴

HI-STANDARD

ハイスタンダード

Hi-STANDARD(はい すたんだーど) 難波章浩(なんば あきひろ vo、b)、横山健(よこやま けん g、vo)、恒岡章(つねおか あきら d)の3人によるハードコア・パンクバンド。1991年に結成し、都内を中心に活動を始めました。動員とセールスを着実に伸ばし、99年発表のアルバム『MAKING THE ROAD』はインディーズとしては異例のミリオンセールスを記録。THE OFFSPRINGやGREEN DAYなど海外のビッグアーティストとも共演し、確かな人気を得ますが、2000年の「AIR JAM」出演を最後に活動を休止し、メンバーはそれぞれの活動へと進みます。しかし、11年4月にバンドのリスタートを宣言。同年9月の「AIR JAM 2011」に3万5000人を動員し、活動を再開しました。

HI-STANDARD

ハイファイセット

ハイファイセット

ハイファイセット コーラスグループ「赤い鳥のメンバーだった大川 茂(おおかわ しげる)、山本潤子(やまもと じゅんこ)、山本俊彦(やまもと としひこ)の3人が1974年に結成したコーラスグループで、グループ名の名付け親は細野晴臣。75年に荒井由実作の「卒業写真」でデビューしています。初期のハイファイセットは「中央フリーウェイ」「冷たい雨」など荒井由実の曲を数多くレパートリーにしていました。77年に「フィーリング」の大ヒット以来、洗練された大人の感覚を持ったグループとして活動を続けていきますが、94年に解散。

ハイファイセット

THE HIGH-LOWS

ハイロウズ

THE HIGH-LOWS(ざ はいろうず)  「THE BLUE HAERTS」を解散した甲本ヒロト(こうもと ひろと vo)と真島昌利(ましま まさとし g)に、調先人(しらべ さきと b)、大島賢治(おおしま けんじ d)、白井幹夫(しらい みきお kb)が加わり結成、1995年にメジャーデビュー。イベントや学園祭などにも参加し、精力的なライヴ活動を中心にファンを増やしていきます。96年のSEX PISTOLS初来日公演ではオープニングアクトを務め、2005年に活動を休止。その後、ヒロトとマーシー(真島)は「ザ・クロマニヨンズ」を結成し、現在も活動中です。

THE HIGH-LOWS

HOUND DOG

ハウンドドッグ

HOUND DOG(はうんどどっぐ) 1976年、大友康平(おおとも こうへい)を中心に結成されたロックバンド。80年にシングル「嵐の金曜日」でデビューしましたが、この時のメンバーは、大友康平(vo)、八島順一(やしま じゅんいち g)、箕輪単志(みのわ ひとし kb)、海藤節生(かいとう せつお b)、高橋良秀(たかはし よしひで g)、藤村一清(ふじむら かずきよ d)。熱気あふれるライヴで人気を集め、「ff(フォルティシモ)」「Rocks」などのヒット曲を生み出しています。

HOUND DOG

元 ちとせ

ハジメチトセ

元ちとせ(はじめちとせ) 1979.1.5、鹿児島県奄美大島生まれ。早くから三線を習い、島唄を歌うようになります。高校3年生の時に、「奄美民謡大賞」の「民謡大賞」を史上最年少で受賞。98年、歌手を目指して上京し、2001年にカヴァー曲を集めたミニアルバム『Hajime Chitose』をインディーズからリリースしています。02年、メジャーデビュー曲となった「ワダツミの木」が大ヒット、続いてリリースしたアルバム『ハイヌミカゼ』,もロングセラーとなり、アーティストとしての評価を獲得。その後、マイペースながらも、ジャンルに捉われないハイクオリティの作品を発表し、ライヴも展開しています。11年には中孝介とのユニットお中元でシングル「春の行人」をリリース。

元 ちとせ

はちみつぱい

ハチミツパイ

鈴木慶一(すずき けいいち 1951年8月28日、東京都出身)、鈴木博文(すずき ひろふみ 実弟)、藤井盛雄(ふじい もりお)といったメンバーで1970年からあがた森魚らと活動し、71年頃から蜂蜜ぱいと名乗っていました。メンバーは流動的でしたが、72年頃には鈴木慶一(vo、g)、渡辺勝(わたなべ まさるvo、g)、本多信介(ほんだ しんすけ g)、武川雅寛(たけかわ まさひろ g、vi)、和田博美(わだ ひろみ b)、かしぶち哲郎(てつろう d)という編成になり、はっぴいえんどなどとともに、東京のロック・シーンを代表するグループとして活動していました。その後、渡辺に替わって駒沢裕城(こまざわ ひろき psg)、岡田徹(おかだ とおる kb)が参加して74年まで活動。その間、アルバム『センチメンタル通り』(73年)をリリースしています。グループ解散後、メンバーの多くはムーンライダーズに参加しました。

はちみつぱい

はっぴいえんど

ハッピーエンド

1969年秋、細野晴臣(ほその はるおみ b)、大瀧詠一(おおたき えいいち g)、鈴木茂(すずき しげる g)、松本隆(まつもと たかし d)によって東京で結成されました。70年8月、アルバム『はっぴいえんど』でデビュー。ウエストコースト的なサウンドに、日本語による独自の抒情を込めた詞を乗せたサウンドで異色のグループとして注目されます。70年の春から秋まで岡林信康のバック・バンドをつとめる他、メンバーはURC系フォークシンガーたちのレコーディングにも参加します。71年に名作『風街ろまん』を発表しますが、72年にアメリカ録音の『HAPPYEND』を発表後に解散。メンバーはそれぞれ活動を展開、その後の日本のシーンを牽引する存在となります。

はっぴいえんど

浜崎貴司

ハマザキタカシ

浜崎貴司(はまざきたかし) 1965.6.11生まれ、栃木県出身。1988年にFLYING KIDSを結成してデビュー。98年に解散するまで中心メンバーとして活躍しました。98年12月、シングル「ココロの底」でソロデビュー。ソウルをベースにしながら独自の世界を切り開き続けているアーティストです。MCUとのプロジェクト、マツリルカをはじめ、さまざまなミュージシャンとのコラボレーションも展開しています。2007年にFLYING KIDSとしての活動も再開しています。

浜崎貴司

浜田省吾

ハマダショウゴ

浜田省吾(はまだ しょうご) 1952.12.29.広島県出身。広島でアマチュア活動を行っていましたが、一時、吉田拓郎がいた広島フォーク村にも在籍していました。大学進学のため上京しますが、73年に広島に戻り愛奴を結成してドラマ―になり、再び上京。75年、愛奴を脱退してソロ活動を開始、76年にシングル「路地裏の少年」、アルバム『生まれたところを遠く離れて』をリリース。しばらく試行錯誤を続けますが、79年にシングル「風を感じて」がヒット。ライヴを中心にした地道な活動が支持されて人気を拡大、83年には福岡の海の中道公園で2万5000人、88年には静岡の浜名湖畔・渚園で5万2000人を集めた野外ライヴを成功させるなど、ライヴアーティストとしての着実な実績をいまも刻み続けています。

浜田省吾

早川義夫

ハヤカワヨシオ

早川義夫(はやかわよしお) 1947.12.15.東京都出身。高校の同級生と組んでいたバンドをもとにジャックスを結成してレコード・デビュー。69年にジャックスが解散すると、URCのディレクターとして活動する一方、ソロアルバム『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』をリリースしました。このアルバムに収められていた「サルビアの花」が、女子校生グループ「もとまろ」によってカバーされヒットしましたが、早川義夫は72年に音楽活動を停止し、川崎市に早川書店を開きました。20余年、書店主をしたのち、94年に音楽活動を再開し、アルバム『この世で一番キレイなもの』をリリース。その後、ライヴ活動とレコーディングを中心にした音楽活動を続けています。

早川義夫

原田真二

ハラダシンジ

原田真二(はらだ しんじ) 1958.12.5.広島県出身。12歳でギター、高校生に入ってピアノを始め、1976年にフォーライフ・オーディションに合格。77年、大学入学のため上京すると同時にプロ活動を始めました。この年「てぃーんず ぶるーす」でレコードデビュー。続けて「キャンディ」「シャドーボクサー」と3か月連続してリリースした曲をすべてヒットさせました。デビュー当初はアイドル的人気が先行していましたが、高い音楽性を持った作品をリリースし続け、アーティストとしての評価を確立させていきます。現在も幅広いフィールドで活躍しています。

原田真二

原田知世

ハラダトモヨ

原田知世(はらだ ともよ) 1967.11.28.長崎県出身。1982年に初主演したテレビドラマ『セーラー服と機関銃』の主題歌「悲しいくらいほんとの話」で歌手デビューしました。角川映画のヒロイン女優として活躍する一方で、90年代に入ると鈴木慶一をプロデューサーに迎えた数々の作品を発表。シンガーとしての魅力を発揮し、新たなファンを増やしました。近年は、歌と朗読の会「on-doc.」を開催。シンガー、女優としてのキャリアを生かした独自の活動を続けています。

原田知世

原由子

ハラユウコ

原 由子(はら ゆうこ)  1956.12.11.神奈川県出身。青山学院大学在学中、サザンオールスターズにキーボード奏者として参加。サザンオールスターズでも「私はピアノ」などでリードヴォーカルを担当していますが、81年にソロシングル「I Love Youはひとりごと」とアルバム『はらゆうこが語るひととき』をリリース。その後も寡作ですが、ソロアーティストとしてクオリティの高い作品をリリースしています

原由子

ハルメンズ

ハルメンズ

ハルメンズ(はるめんず) 1979年、佐伯健三(さえきけんぞう vo)、比賀江隆男(ひがえたかお g)らのバンド、少年ホームランズの自主制作レコード「俺はペーペー」を、インディーズバンド、81/2のメンバーだった上野耕路(うえのこうじ kb)、泉水敏郎(せんすいとしろう d)が手伝ったことから、一緒にデモテープを作るようになります。このデモテープがきっかけで、佐伯、比賀江、上野、泉水、石原智広(いしはらともひろ b)のメンバーでデビューが決まり、グループ名をハルメンズと名付けました。80年、ムーンライダーズの鈴木慶一のディレクションでアルバム『ハルメンズの近代体操』を発表、高い評価を受けましたが、上野、泉水が脱退したため、その後はアルバム『ハルメンズの20世紀』をリリースして解散。佐伯はその後パール兄弟を結成しています。

ハルメンズ

BUCK-TICK

バクチク

BUCK-TICK(ばくちく) 1984年に結成。インディーズでの活動期に注目を集め、87年にライヴビデオ「バクチク現象 at LIVE INN」でメジャーデビューしました。88年発表のシングル「JUST ONE MORE KISS」がCM曲に起用されヒット、続く3作目のアルバム『TABOO』が初のチャート1位を獲得し、トップアーティストの仲間入りを果たします。さまざまなアーティストとのコラボレーションや夏フェス出演などを経て、2007年には大型野外ライヴイベント「BUCK-TICK FEST 2007 “ON PARADE”」を主催し、約13000人を動員。独自のスタンスで活動を続けながら、2012年に不動のメンバーでデビュー25周年を迎えました。

BUCK-TICK

爆風スランプ

バクフウスランプ

爆風(ばくふう)スランプ 1981年のアマチュアコンテスト「EAST WEST」の参加がきっかけで結成されたバンド。メンバーはサンプラザ中野(さんぷらざ なかの vo)、パッパラー河合(ぱっぱらー かわい g)、江川ホージン(えがわ ほーじん b)、ファンキー末吉(ふぁんきー すえよし d)。84年にシングル「週刊東京『少女A』」とアルバム『よい』でメジャーデビュー。当初は過激なパフォーマンスが話題となりましたが、次第に実力が評価され88年に「Runner」の大ヒットを出しています。これと前後して、ベーシストが江川からバーベQ佐和田(ばーべきゅう さわだ)へと交替しますが、その後も「リゾ・ラバ」「大きな玉ねぎの下で〜はるかなる想い」などのヒット曲を生み出しています。99年に活動を休止しましたが、何度かグループとして再始動をしています。

爆風スランプ

BUZZ

バズ

BUZZ(ばず) 東京のアマチュアシーンで活動していた東郷昌和(とうごう まさかず)と小出博志(こいで ひろし)が結成したフォークデュオグループ。1972年に「ケンとメリー~愛と風のように~」でデビュー。この曲はテレビのCMソングとしてオンエアされてCMタイアップの走りとなりました。その後も「あなたを愛して」などのヒットを出しています。<!-- が、80年に解散。 -->

BUZZ

バンバン

バンバン

バンバン 関西のフォークシーンで活動していたばんばひろふみ、今井(いまい)ひろし、高山弘(たかやまひろし)が1971年に結成したフォークグループ。この年「何もしないで」でデビューしますが、メンバーの変動があり、ばんばと今井のデュオに。75年、荒井由実が作詞・作曲をした「『いちご白書』をもう一度」がヒットして人気グループとなりますが、77年に解散。その後、何回かの再結成を繰り返しています。なお、バンバンを脱退した高山は高山厳(たかやまげん)としてソロ活動を行っています。

バンバン

BUMP OF CHICKEN

バンプオブチキン

BUMP OF CHICKEN(ばんぷ おぶ ちきん) 1994年に幼なじみの4人で結成。地元・千葉や下北沢でライヴ活動を続けながら徐々に動員を増やし、2000年にシングル「ダイヤモンド」でメジャーデビュー。02年発表のファーストアルバム『jupiter』はチャート初登場1位となりました。その後もコンスタントに作品を生み出し、08年には22万人を動員する全国ツアーを成功させます。テレビドラマや映画の主題歌、CMの楽曲などに起用されることも多く、デビュー10年を過ぎた今も新たなファンを増やし続けています。

BUMP OF CHICKEN

バービーボーイズ

バービーボーイズ

BARBEE BOYS(ばーびーぼーいず)  メンバーは、KONTA(こんた vo、s-sax)、杏子(きょうこ vo)、いまみちともたか(g)、ENRIQUE(えんりけ b)、小沼俊昭(こぬまとしあき d)。83年にCBSソニーオーディショングランプリを獲得し、84年にシングル「暗闇でDANCE」でデビューしました。ソリッドなサウンドと、KONTAと杏子のツインヴォーカルは日本のロックシーンでも異彩を放ち、「負けるもんか」「女ぎつね on the Road」「目を閉じておいでよ」などをヒットさせています。92年に解散しましたが2008年に活動を再開、ツアーも行われました。

バービーボーイズ

PUFFY

パフィー

PUFFY(ぱふぃー) 1995年に結成された大貫亜美(おおぬき あみ)と吉村由美(よしむら ゆみ)からなるヴォーカルユニット。96年に奥田民生プロデュースの「アジアの純真」でメジャーデビュー。ファーストシングルながらミリオンヒットとなりました。「これが私の生きる道」「渚にまつわるエトセトラ」「愛のしるし」など、立て続けにヒット曲を生み、99年にはゴールデンディスク大賞を受賞。2002年には北米ツアーを実施し、04年からは2人をモデルにしたアニメ「Hi Hi Puffy AmiYumi」が全米で放送され、国内外のファンを獲得。デビュー16年目を迎えた12年には奥田民生、スピッツ、真心ブラザーズなど豪華なアーティストによるカヴァーアルバム『PUFFY COVERS』がリリースされました。

PUFFY

PANTA

パンタ

PANTA(ぱんた) 1950.2.5.埼玉県出身。1969年にバンド「頭脳警察」を結成して活動。解散後の76年にソロアルバム『PANTAX’S WORLD』を発表。その後バンド「PANTA&HAL」を結成して79年に名作とされる『マラッカ』をリリース。81年にPANTA&HALが解散してからは、再開した頭脳警察とソロ活動を並行させつつ、他のシンガーへの楽曲提供やプロデュースなどを含めて、トータルな世界観を持った作品群を発表し続けています。

PANTA

PERSONZ

パーソンズ

PERSONZ(ぱーそんず) 1983年にJILL(じる vo)と本田毅(ほんだたけし g)を中心に「NOTHING PERSONAL」を結成。翌84年に渡邉貢(わたなべみつぐ b)と藤田勉(ふじたつとむ d)が加入し、「PERSONZ」としての活動がスタートします。87年のメジャーデビュー後は、ドラマ主題歌に起用された「DEAR FRIENDS」がヒットし、続くアルバム『DREAMERS ONLY』がチャート1位に輝きました。一時期、サウンドの要である本田が脱退しますが2002年に復帰。現在はオリジナルメンバーでの活動を続けています。

PERSONZ

パール兄弟

パールキョウダイ

パール兄弟(ぱーるきょうだい) 1983年ごろ、ハルメンズのサエキけんぞう(v.)と、窪田晴男(くぼたはるお g.)、中原信男(なかはらのぶお b.)、濱田康史(はまだやすふみ d.)でスタートしたテクノポップユニット。メンバーは、松永俊弥(まつながとしや d)、バカボン鈴木(ばかぼんすずき b)に変わり、1986年、アルバム『未来はパール』でデビューしました。サエキのセンスが光るユニークな歌詞と軽いヴォーカルに、縦横無尽な演奏がからむ新鮮な音づくりで注目を集めました。またパール兄弟のバックダンサーズ「リーマンズ」のプロデュースや、映像作家手塚眞との映像づくりなど、つねに斬新な作品を発表しています。その後、矢代恒彦(やしろつねひこ key)らが加入、元のメンバーが抜けるなどメンバーが変わりますが、2006年からは、デビューメンバーのサエキ、窪田、バカボンを中心にパール兄弟としてライヴ活動を続けています。

パール兄弟

ヒカシュー

ヒカシュー

巻上公一を中心に1978年に結成された日本のノンジャンル音楽ユニット。リズムボックスとメロトロンを使ったバックグラウンドに地下演劇的な内容と軽快で色彩感ある歌声を加味した音楽で活動開始。当初はニューウェイヴやテクノポップ・バンドとして知られるも、81年の3rdアルバム『うわさの人類』以降はテクノポップ的な要素から離れたインプロヴィゼーションによる楽曲へと転換。その後、メンバーチェンジを重ねながら、独自の活動を継続。2013年に結成35周年を迎えて以降も、ゆるめるモ!やチャラン・ポ・ランタンらとの共演など幅広い展開を精力的に行なう。2015年4月、『生きてこい沈黙』をリリース。

ヒカシュー

ヒックスヴィル

ヒックスヴィル

ヒックスヴィル(ひっくすぶぃる) 1994年、ロッテンハッツの解散によって、メンバーだった真城めぐみ(ましろめぐみ vo)、中森泰弘(なかもりやすひろ vo、g)、小暮晋也(こぐれしんや vo、g)が結成。ロッテンハッツの他のメンバーはGreat 3を結成しています。ヒックスヴィルはライヴを中心に活動していきますが、95年にミニアルバム『RIDER』でインディーズデビュー。翌96年にはシングル「バイバイブルース」でメジャーデビューし、この年リリースしたファーストアルバム『トゥデイ』は服部良一音楽祭で優秀アルバム賞を受賞しています。21世紀に入ってからはライヴに重点を置いて精力的に活動を行っています。

ヒックスヴィル

一青窈

ヒトトヨウ

一青窈(ひととよう) 1976.9.20.台湾生まれ。 幼稚園卒園後日本で暮らし、大学時代に音楽活動を始めました。2002年にリリースしたデビューシングル「もらい泣き」のヒットで脚光を浴び、ファーストアルバム『月天心』も大ヒット。独特の透明感をもった歌と豊かな情感をもった詞の魅力で多くの人の心を捉えていき、04年には「ハナミズキ」を大ヒットさせています。05年には「かざぐるま」でレコード大賞作詞賞を受賞していますが、シンガー・ソングライターとしての活動とは別に、04年に映画『珈琲時光』に主演し、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞するなど、女優としても活動しています。

一青窈

氷室京介

ヒムロキョウスケ

氷室京介(ひむろきょうすけ) 1960.10.7.群馬県出身。82年、BOØWYのヴォーカリストとしてレコードデビュー。88年のBOØWY解散後、ファースト・ソロ・シングル「ANGEL」を発表。以来、コンスタントにソロアーティストとしての活動を続けています。東京ドームスケールのライヴを展開するビッグアーティストであると同時に、クリエイターとしてのクオリティをストイックに追求する氷室京介は、満足できる環境を確保するために、94年に活動拠点をロサンゼルスに移し、創作活動を行っています。

氷室京介

平松愛理

ヒラマツエリ

平松愛理(ひらまつ えり) 兵庫県生まれ。18歳の頃、古川昌義(ふるかわまさよし g)、森俊之(もりとしゆき kb)、山下政人(やましたまさと g)とERI & WONDERLASTを結成して活動。1987年、村田和人(むらたかずひと)、西司(にしつかさ)、山本圭右(やまもとけいすけ)とのユニット、Honey & B-Boysでアルバム『Back to Frisco』をリリースし、89年にシングル「青春のアルバム」、アルバム『TREASURE』でソロデビュー。92年に「部屋とyシャツと私」が大ヒットしてブレイク。その後もコンスタントに活躍していきますが、95年、阪神淡路大震災に際して、チャリティソング「美し都~がんばろやWe love KOBE~」をリリースしたほか、97年から毎年1月17日に復興支援ライヴ「KOBE MEETING」を続けています。

平松愛理

広瀬香美

ヒロセコウミ

広瀬香美(ひろせこおみ) 福岡県出身。早くから音楽教育を受け、国立音楽大学作曲科を卒業。また、渡米してマイケル・ジャクソンのヴォイストレーナー、セス・リックスの薫陶を受けました。1992年、アルバム『Bingo!』でデビュー。同年、シングル「愛があれば大丈夫」のヒットで注目され、93年には「ロマンスの神様」をメガヒットさせるなど大活躍。冬場のヒットが多いことから、冬の女王とも呼ばれました。アーティスト活動と並行して、他のシンガーへの楽曲提供、ドラマや舞台の音楽制作、後進の育成などにも力を注いています。2000年代に入り、オーケストラとの共演やツイッターコンサートなど、さまざまな形でのライヴ表現にもチャレンジしています。

広瀬香美

B'z

ビイズ

B’z(びぃず) 松本孝弘 [TAK MATSUMOTO] ギター及び作曲、プロデュースを担当。
稲葉浩志 [KOSHI INABA] ボーカル及び作詞を担当。

1988年9月21日、シングル「だからその手を離して」とアルバム「B’z」の同時発売でデビュー。
様々な音楽性を追求したサウンドでミュージックシーンを席巻していくと同時に、“LIVE-GYM”と称したツアーを敢行。その迫力のライブパフォーマンスとエンターテイメント満載のステージで多くの観客を魅了し、絶大な人気を得る。
デビュー以来、数々のヒット作を出し続け、シングル・アルバム総売り上げ枚数は8,000万枚以上にのぼる。名実ともに国内No.1の実績を誇る彼らは、2007年“Hollywood’s RockWalk”にアジア圏のミュージシャンとして初の殿堂入りを果たし、活躍の場を世界へと広げている。

B'z

BEGIN

ビギン

BEGIN(びぎん) 石垣島出身の幼なじみである比嘉栄昇(ひが えいしょう vo)、島袋優(しまぶくろ まさる g)、上地等(うえち ひとし pf)からなるアコースティックバンド。1989年にテレビ番組「平成名物TV いかすバンド天国」に出演し、2代目グランドイカ天キングに輝きます。翌90年にシングル「恋しくて」でメジャーデビュー。「声のおまもりください」「涙そうそう」「島人ぬ宝」などヒット曲を生み、2005年にはデビュー15周年の記念公演を日本武道館と大阪城ホールで開催しました。ハートウォームな歌声と演奏で、幅広い層のファンから支持されています。

BEGIN

ビブラストーン

ビブラストーン

1987年結成の日本のヒップホップ・バンド。日本語によるヒップホップの可能性を追求してきた近田春夫が結成し、当初は“近田春夫&ビブラストーン”名義などで活動。近田の先鋭的な詞とスクラッチやサンプリングも用いた生楽器演奏が特色。89年12月、初音源となる『Vibra is Back』を経て、91年7月に『ENTROPY PRODUCTIONS』でメジャー・デビュー。小泉今日子、電気グルーヴらの楽曲にも参加。96年に活動停止。

ビブラストーン

ビリー・バンバン

ビリーバンバン

東京都国立市出身の菅原孝、進による兄弟フォーク・ユニット。1969年のデビュー曲「白いブランコ」がいきなりヒットを記録。「ミドリーヌ」「れんげ草」「さよならをするために」とヒットが続き、NHK『紅白歌合戦』にも出場。代表的なフォーク・グループとしてコンサートを中心に活動。76年より一時活動を休止。兄・孝は司会など、弟・進はソロやCM音楽などを手掛けて活動。81年12月に「誓います」で復活。以降はマイペースながらも個人の活動と並行してユニット活動を展開。CMソングも多く、特に「いいちこ」のCMソングは幅広い世代で人気を博している。2014年10月、『愛という名の、自由と不自由』をリリース。

ビリー・バンバン

ザ・ビートニクス

ビートニクス

1981年に、YMOで活躍中の高橋幸宏(たかはし ゆきひろ)とムーンライダーズの鈴木慶一(すずき :けいいち)が結成したユニット。この時にはアルバム『出口主義』をリリースした他は目立った活動はありませんでしたが、1987年にアルバム『EXITENTIALIST A GO GO-ビートで行こう-』、シングル「ちょっとツラインダ」をリリースするなど、不定期に活動するユニットとして現在まで活動を続けています。

ザ・ビートニクス
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