愛奴

愛奴(あいど)  広島で高校生バンドを結成していた町支寛二(ちょうしかんじ、g)、山崎貴生(やまざきたかお、kb)、高橋信彦(はたかはしのぶひこ、b)が大学進学して東京で再会。広島時代の友人、青山徹(あおやまとおる、g)、浜田省吾(はまだしょうご、d)と72年に結成。74年、吉田拓郎のツアーバンドに抜擢され、75年にシングル「二人の夏」とアルバム『愛奴』でレコードデビューしました。しかしこの年の秋、浜田省吾がグループを脱退、愛奴はその後も活動をつづけましたが、76年末に解散しています。

安部恭弘

1956年1月13日、東京都生まれ。シンガー。早稲田大学理工学部在学中より慶應大学の杉真理や竹内まりやらと出会い、杉真理のバンド「リアルマッコイズ」に参加。大手ゼネコンに就職するも音楽の道を選び、82年にシングル『We Got It !/裸足のバレリーナ』でデビュー。83年には1stアルバム『Hold Me Tight』を発表。“シティ・ポップ”の旗手として、メロウでソフトなポップスを歌い、80年代の日本のAORシーンを彩った。

あみん

あみん 岡村孝子(おかむらたかこ 1962.1.29生まれ。愛知県出身)と加藤晴子(かとうはるこ 1963.1.2生まれ。愛知県出身)によるデュオグループ。81年10月の第22回ポピュラーソングコンテストに出場。この時は入賞しませんでしたが、翌82年5月の第23回ポピュラーソングコンテストでは「待つわ」でグランプリを獲得。この年7月に「待つわ」でレコードデビューし、ミリオンセラーを記録。透明感のある女性デュオグループとして人気を集めましたが、83年に活動を休止。その後、岡村孝子はソロ活動を続けていましたが、2007年に本格的にあみんとしての活動を再開しました。

亜蘭知子

1958年1月14日青森県弘前市生まれ。作詞家、歌手。TUBU、織田哲郎、南野陽子など数多くのアーティストに作品を提供し、三原順子に提供した「セクシーナイト」「ドラム」で注目を集める。1981年に『神経衰弱』で自らもアルバム・デビュー。また、TUBUに提供した「シーズン・イン・ザ・サン」「サマー・ドリーム」は大ヒットを記録し、作詞家として活躍。

アレキサンダー・ラグタイム・バンド(ARB)

ARB<アレキサンダー・ラグタイム・バンド>(えーあーるびー<あれきさんだーらぐたいむばんど>) 1977年、石橋凌(いしばしりょう vo)、田中一郎(たなかいちろう g)、KEITH(きーす d)、エンマ(えんま kb)、宮城伸一郎(みやぎしんいちろう b)によって、アレキサンダー・ラグタイム・バンドが結成されました。78年シングル「野良犬」でデビューしましたが、方向性の違いもあって翌年、所属事務所から独立。この時、エンマ、宮城がグループを脱退します。その後、メンバーチェンジを繰り返しながらもロック・バンドとして精力的に活動を展開し、81年のアルバム『BOYS & GIRLS』リリースを期に正式バンド名をARBとしました。ARBは、90年に解散しましたが、98年に石橋、KEITH、EBI(えび b)、内藤幸也(ないとうこうや g)で活動を再開。2006年、石橋の脱退により活動を停止しています。

あんべ光俊

あんべ光俊(あんべみつとし) 1953.9.16生まれ。岩手県出身。大学生時代に萩原茂(b はぎわらしげる)、小野寺進(kb おのでらすすむ)、小島光浩(d こじまみつひろ)によりグループ飛行船を結成。シングル「しょうよう歌」を自主制作。これがきっかけで、75年に「しょうよう歌」でメジャーデビューします。飛行船は77年に解散しますが、あんべ光俊は78年に「風は知っている」でシンガー・ソングライターとしてソロデビュー。約10年間でアルバム8枚をリリースするなどコンスタントに活動していきますが、87年に創作活動を休止。その後、故郷である岩手に視点を置いて活動を再開。93年には、元オフコースの大間ジロー、松尾一彦らも参加するバンド、あんべ光俊音楽旅団を率いて活動を行っています。

アン・ルイス

1956年6月5日神戸市生まれ。米国人の父と日本人の母を持つハーフで、幼少時からモデルとして活動。71年に「白い週末」で歌手デビュー、「グッドバイ・マイ・ラヴ」などのヒット曲を放つ。79年には山下達郎曲編で「恋のブギウギトレイン」を発表。80年にロック歌手の桑名正博と結婚。出産・育児に専念するため休業するが、82年にカムバックしロック志向を強め、85年には「六本木心中」が大ヒット。
2013年に芸能界引退。

石川優子とチャゲ

石川優子とチャゲ(いしかわゆうことちゃげ)  シンガーソングライターの石川優子(1958.10.3生まれ、大阪府出身)とチャゲ&飛鳥のチャゲ(1958.1.6生まれ、福岡県出身、現在はChageと表記)による単発ユニット。ふたりがデュエットした「ふたりの愛ランド」(作詞:チャゲ、松井五郎 作曲:チャゲ)はJAL沖縄キャンペーン曲となって大ヒットし、夏の定番ソングとなりました。その後、石川優子とチャゲとしての活動はありませんでしたが、90年の石川優子引退コンサートにChageが出演して「ふたりの愛ランド」をデュエットしたり、09年のChageのアルバム『Many Happy Returns』の「ふたりの愛ランド2009」で石川優子が久々に歌声を聴かせるなどしています。

忌野清志郎+坂本龍一

忌野清志郎+坂本龍一(いまわのきよしろう・さかもとりゅういち) 1982年、RCサクセションの忌野清志郎とYMOの坂本龍一の異色コラボレーションでシングル「い・け・な・いルージュマジック」を発表しました。テレビCM曲としてヒットし、テレビ音楽番組にも登場して化粧した二人の演奏や一万円札が飛び交う派手なプロモーションビデオが話題を呼びました。82年5月に品川プリンスホテルでの「ヘンタイよいこ白昼堂々秘密の大集会」で「ヘンタイよいこバンド」として、忌野、坂本、CHABO、矢野顕子(やのあきこ)、鈴木さえ子(すずきさえこ)、どんべのメンバーでライブを披露しました。

ウエスト・ロード・ブルース・バンド

ウエスト・ロード・ブルース・バンド 1972年大学のサークルで出会ったメンバーが結成した日本のロック・シーンを代表するバンド。メンバーは、塩次伸二(g)、永井隆(vo)、山岸潤史(g)、小堀正(b)、松本照夫(d)の5人。同年、B.B.キングの大阪公演の前座を務めたのを皮切りに、いわゆる関西ブルース・ムーヴメントの火付け役となりました。東西のライブハウス、学園祭でその名を馳せ、1975年にデビューアルバム「ブルーズパワー」を発表しますが、同年、山岸が脱退して、薩摩光二(sax)と井出隆一(p)が加入、76年、塩次、薩摩が脱退して中島正雄(g)が加入とメンバーが替わり、77年に解散。84年にオリジナル・メンバーで再結成して活動を開始しましたが、2008年、塩次の他界で停止しています。

上田知華 + KARYOBIN

1957年6月10日生まれ。東京都出身。東京音楽大学在学中にピアノの弾き語り+弦楽四重奏というスタイルで“上田知華+KARYOBIN”結成。アルバム・デビューは79年。「パープル・モンスーン」のヒットなどを経て、82年の第6作『ソング』で解散。ソロ・アルバムとして91年『アイ・ウィル』を発表。ソロ活動以外に松田聖子、今井美樹、松たか子ら女性シンガーの曲を多数手がける。

エイプリルフール

フローラルというGS(グループ・サウンズ)のメンバーだった小坂 忠(こさか ちゅう、vo)、菊池英二(きくち えいじ、g)、柳田ヒロ(やなぎだ ひろ、kb)と、柳田ヒロの兄と活動していた細野晴臣(ほその はるおみ、b)、そして細野とバーンズというグループを組んでいた松本 隆(まつもと たかし、d)が1969年に結成したバンド。当時のアメリカのロック・ムーブメントの影響を強く受けながらも、オリジナル曲を中心にしたレパートリーと優れた演奏力で注目され、アメリカのロック誌にも紹介されています。69年9月にアルバム『APRYL FOOL』を発表しましたが、メンバーの方向性の食い違いから同じ月に解散。細野と松本ははっぴいえんどを結成して活動することになります。

エコーズ

ECHOES(えこーず) 辻仁成(つじじんせい Vo、g)と今川勉(いまがわつとむ d)を中心に東京で結成。メンバーチェンジを経て、辻、今川、伊藤浩樹(いとうひろき g)、伊黒俊彦(いぐろとしひこ b)となり、ライヴシーンを中心に精力的に活動。ブリティッシュ・ニューウエイヴ・ロックに通じるサウンドで注目され、85年にシングル「Bad-Morning」、アルバム『WELCOME TO THE LOST CHILD CLUB』でレコードデビューしています。ストレートなビートサウンドと、辻仁成の鋭い詞の感覚で根強い支持を受け、89年には「ZOO」をスマッシュヒットさせています。91年に解散後は単発的な再結成があっただけでしたが、2011年9月、オリジナルメンバーが集まって福島でライヴ、同年12月には東京でもライヴが行われています。

EGO-WRAPPIN'

大阪府出身の音楽ユニット。メンバーは中納良恵(vo)森雅樹(g)。1996年に結成し、関西を中心に活動を展開。その後、拠点を東京へ移す。98年に『BLUE SPEAKER』でアルバム・デビュー。2000年の「色彩のブルース」がキャバレー音楽や昭和歌謡をルーツにした独自の世界観として話題を呼び、ロングヒット。2002年にはドラマ主題歌となった「くちばしにチェリー」でも脚光を浴びる。以降、作品ごとに斬新な音楽性を発揮、国内外のライブで活躍を続ける。

X JAPAN

X JAPAN(えっくす じゃぱん) 1982年にYOSHIKI(よしき d、p)とTOSHI(とし vo)を中心に「X」を結成。インディーズ時代に絶大な人気を獲得し、89年にアルバム『BLUE BLOOD』でメジャーデビュー。きらびやかなルックスと確かな演奏力から生まれるサウンドを魅力に“ヴィジュアル系”バンドの先駆者的な存在となりました。人気の絶頂にあった97年に解散しますが、2007年に活動再開を宣言し、08年に東京ドームで3日間に渡る復活ライヴを開催。アメリカやヨーロッパ、アジアなどでも高い支持を得ています。

L⇔R

L⇔R(える あーる)  黒沢健一(くろさわ けんいち vo、g)、黒沢秀樹(くろさわ ひでき g、vo)の兄弟と木下裕晴(きのした ひろはる b)により1991年に結成。同年、ミニアルバム『L』でメジャーデビューしました。ポップで美しいメロディがファンを魅了し、「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」や「Hello,It’s Me」などのヒットを続けますが、97年に突然の活動休止を発表。各メンバーはソロやプロデュース活動に移行し、意欲的な作品を生み出しています。

大滝詠一

1948年7月28日、岩手県出身。1969年、エイプリルフールを解散した細野晴臣(ほその はるおみ)と松本隆(まつもと たかし)、さらにギタリスト鈴木茂(すずき しげる)とヴァレンタイン・ブルーを結成。その後、ヴァレンタイン・ブルーははっぴいえんどと名を替えました。大滝詠一(当時の表記は大瀧)は、はっぴいえんどの活動中にもソロ名義でレコードを出していましたが、はっぴいえんどの解散後、自らのレーベル、ナイアガラを発足させます。ナイアガラでは大滝詠一の作品だけでなく、シュガー・ベイブをデビューさせるなど、プロデューサーとしても活動。70年代は、趣味性が強いアーティストとされていましたが、81年、『A LONG VACATION』の大ヒットで、そのクオリティの高さが広く知られることとなります。圧倒的な存在感を持つと同時に、きわめて寡作なアーティストとしても有名。

大橋純子

1950年4月26日 北海道生まれ。藤女子短期大学在学中に北海道大学の軽音楽サークルに入り、ロック・バンド“ジェット・マシーン”のリード・ヴォーカルとして活躍。卒業後上京し74年デビュー。77年には美乃家セントラル・ステーション名義でバンド活動。「たそがれマイ・ラブ」のヒットを経て、82年「シルエット・ロマンス」で日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞。

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