坂本龍一
坂本龍一(さかもと りゅういち) 1952.1.17.東京都出身。東京藝術大学作曲科で学ぶ一方、友部正人のアルバム『誰もぼくの絵を描けないだろう』への参加を皮切りにスタジオミュージシャンとして活動。山下達郎、大滝詠一、大貫妙子らのレコーディングにも参加します。78年に細野晴臣、高橋幸宏と「YMO」を結成し、同年、ソロアルバム『千のナイフ』を発表。その後も、YMOの活動と並行して、忌野清志郎とのシングル「い・け・な・いルージュマジック」の制作、大島渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』への出演と音楽担当など、幅広いフィールドでの活動を展開。YMO「散開」後も国際的スケールでクリエイティブな活躍を続けています。
サザンオールスターズ
サザンオールスターズ 青山学院大学の音楽サークルのなかで生まれたバンド。メンバーは桑田佳祐(くわた けいすけ vo、g)、原 由子(はら ゆうこ vo、kb)、大森隆志(おおもり たかし g)、関口和之(せきぐち かずゆき b)、松田 弘(まつだ ひろし d)、野沢秀行(のざわ ひでゆき perc)。78年にオリジナリティあふれる「勝手にシンドバッド」でセンセーショナルにデビューし、79年のバラード「いとしのエリー」の大ヒットで人気を確立しました。その後も「チャコの海岸物語」「涙のキッス」など多くのヒット曲、そしてクオリティの高いアルバムを世に送り出し、日本を代表するバンドとして存在感を発揮し続けましたが、2009年から無期限活動休止に入っています。
サディスティック・ミカ・バンド
ザ・フォーク・クルセダーズ解散後ソロ活動を行っていた加藤和彦(かとう かずひこ)が、当時のロンドンを中心としたポップ・ムーブメントの刺激を受けて結成したバンド。ファッショナブルで洗練された音楽性とビジュアルで注目されました。1972年6月、加藤が設立したドーナツ・レーベルからファースト・シングル「サイクリング・ブギ」をリリースしましたが、このときのドラムスはつのだひろでした。加藤(vo、g)とミカ(みか vo)を中心に高中正義(たかなか まさよし g)、今井裕(いまい ゆう kb)、小原礼(おはら れい b)、高橋幸宏(たかはし ゆきひろ d)のメンバーが固まったのは同年末といわれます。73年5月にファースト・アルバム『サディスティック・ミカ・バンド』を発表た後、74年にプロデュースにクリス・トーマスを迎えた『黒船』を発表。『黒船』はイギリスでも話題となり、75年にはロキシー・ミュージックとのイギリスツアーを成功させ、国際的評価を得ます。なお、この時にベーシストが後藤次利(ごとう つぐとし)に替わっています。同年、惜しくも解散しました。
佐藤奈々子
東京都中野区出身の日本の女性歌手/写真家。慶應義塾大学卒。1977年、アルバム『ファニーウォーキン』でデビュー。80年にニューウェイヴ・バンド“SPY”を結成。その後、プロカメラマンとして広告・雑誌などで活躍。87年より5年間、パリに在住。93年の帰国後に音楽活動を再開。96年、アルバム『LOVE IS A DRUG』を日・米・英で発表。以降、国内外問わず音楽を発信。ピチカート・ファイヴへ提供した「Twiggy Twiggy」などもその一つ。近年はCocco、細野晴臣らのCDジャケット写真も手掛ける写真家と並行し、nanaco名義での音楽活動を展開。旭化成「ヘーベルハウス」ほかCMナレーションも多い。
サンディー
サンディー(さんでぃー)、Sandii
1976年に世界歌謡祭で最優秀歌唱賞を受賞し、シンガーとしてのキャリアをスタートさせました。80年に、細野晴臣プロデュースのアルバムを日英でリリース後、久保田麻琴が率いるザ・サンセッツのヴォーカルとして活躍、90年、再びソロになってからも歌謡曲やハワイアン、アジアの音楽を融合した独自のスタイルでワールドミュージック・ブームの先駆者となりました。またハワイのフラ・カルチャーの最高位である「ウニキ・クム・フラ」の称号を持ち、自身のフラ・スタジオで門下生を育てています。2009年から、カリンバ奏者のBUNとのユニット、SANDIIBUNBUNとしても活動しています。
椎名林檎
椎名林檎(しいな りんご) 1978.11.25.埼玉県出身。中学生時代からバンド活動を行い、1996年には第5回ヤマハミュージッククエストに出場し、優秀賞を受賞。98年にシングル「幸福論」でデビューしました。“新宿系自作自演屋”を自称し、シングル「歌舞伎町の女王」で注目を集めます。「ここでキスして。」「本能」「ギブス」などヒットを重ねますが、2003年にはソロ活動を一時封印し、バンド「東京事変」を結成。『教育』『大人(アダルト)』といった作品を発表しました。2012年2月のバンド解散後も、新曲「自由へ道連れ」をリリース。配信限定ながらビルボードのエアプレイチャートで2位になるなど、ひとつの型にはまらない精力的な活動が続いています。
下田逸郎
1948年生まれ、宮崎県出身のシンガー・ソングライター。68年、浜口庫之助ミュージック・カレッジ同期の斉藤ノブと“シモンサイ”を結成。同年12月に東京キッドブラザースの旗揚げに参加。70年、シモンサイとしてデビュー。翌年にはソロ1stアルバム『遺言状』を発表。その後、ニューヨークへ渡り、帰国後の73年にアルバム『飛べない鳥,飛ばない鳥』発表。日米混血のアシッド・フォークといえる独自のスタイルでその後「セクシー」「踊り子」などのヒットを放つ。30代後半からの放浪生活を経て、40代に活動再開。以降、自分の物語としての唄やラヴ・ソング、遺言歌の制作へとのめり込む。現在『ひとひらあわせ』シリーズを制作中。
シャネルズ → ラッツ & スター
CHANELS、後にSHANELS(しゃねるず) 1975年、ドゥーワップに熱中していた鈴木雅之(すずき まさゆき)が、中学生時代の仲間だった田代(たしろ)まさし、佐藤善雄(さとう よしお)、久保木博之(くぼき ひろゆき)らとシャネルズを結成。その後、メンバーの入れ替わりがあり、桑野信義(くわの のぶよし)らが加入します。78年頃から、顔を黒く塗って舞台に立つなど、ショーアップされたステージが話題となり、80年にレコードデビュー。デビュー曲「ランナウェイ」が大ヒットし、たちまち人気グループになります。しかし、83年にシャネルズとしての活動をストップ。後に「ラッツ&スター」として再出発します。
シャ乱Q
シャ乱Q(しゃらんきゅう) 1988年、大阪の3つのインディーズバンドから、つんく(vo)、はたけ(g)、まこと(d)、しゅう(b)、たいせー(kb)が集まって結成されました。91年、アマチュアバンドコンテストなどでチャンスを掴み、翌92年に「18ケ月」でデビュー。「上・京・物・語」「シングルベッド」「ズルい女」などをヒットさせてブレイク。キャッチ―な親しみやすさを持ったポップバンドとして人気を集め、96年には「いいわけ」でレコード大賞優秀作品賞、編曲賞を受賞しました。98年、しゅうが脱退。バンドは4人で活動を続けましたが、2000年に活動休止しメンバーはソロ活動を展開していきます。06年、活動を再開し、08年には日本武道館でシャ乱Q結成20周年ライヴを行いました。
SHOW-YA
SHOW-YA(しょうや) 1981年に結成されたガールズ・バンド。メンバーは寺田恵子(てらだけいこ vo)、中村美紀(なかむらみき kb)、角田美喜(つのだみき d)、仙波さとみ(せんばさとみ b)、五十嵐美貴(いがらしみき g)。82年、ヤマハLight Music Contest’82レディース部門で優秀賞、および寺田がベストヴォーカリスト賞を受賞しました。85年、シングル「素敵にダンシング」でレコードデビュー。国内外でのライヴを積極的に行い、本格派ロック・バンドとしての力量を示していくとともに、イベント「NAONのYAON」を開催するなど、女性ロッカーのシーンを広げていくための活動も積極的に行っていきました。91年、寺田が脱退し、SHOW-YAはヴォーカリストを替えて活動を続けましたが98年に解散。しかし、2005年にオリジナルメンバーで活動を再開させています。
SING LIKE TALKING
SING LIKE TALKING(しんぐ らいく とーきんぐ) 佐藤竹善(さとうちくぜん vo、kb、g)を中心に1985年に前身となるバンドを結成。87年に佐藤、藤田千章(ふじたちあき syn、kb)、西村智彦(にしむらともひこ g)の3人編成となり、翌年シングル「Dancin' With Your Lies」でメジャーデビューしました。2003年以降は一時バンド活動を休止し、それぞれのソロ活動や他アーティストのサポート、プロデュースなど多方面で活躍。11年に約8年ぶりの『Empowerment』を発表し、本格復帰となりました。13年にはデビュー25周年を迎え、記念アルバムのリリースやライヴ開催など意欲的な活動を見せています。
ジャックス
ジャックス 1965年頃、早川義夫(はやかわ よしお)を中心に結成されたバンドが発展してジャックスとなりました。本格的に活動を始めた時のメンバーは、早川義夫(vo、g)、水橋春夫(みずはし はるお g)、谷野ひとし(たにの ひとし b)、木田高介(きだ たかすけ d)。67年、第一回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストのフォーク部門で2位となり、翌年シングル「からっぽの世界」でレコードデビュー。異色のロックバンドとして注目を集めました。しかし、この年ファーストアルバム『ジャックスの世界』のリリース後、水橋春夫が脱退。水橋の替わりに角田ヒロ(つのだ ひろ d)が加入し、69年にセカンドアルバム『ジャックスの奇蹟』を発表しましたが、同年、中津川で行なわれた全日本フォークジャンボリーへの出演を最後に解散しました。
JUDY AND MARY
JUDY AND MARY(じゅでぃ あんど まりー) 「Jacks'n Joker」に在籍していた恩田快人(おんだ よしひと b)がYUKI(ゆき vo)と出会い、1992年に結成。後に五十嵐公太(いがらし こうた d)、TAKUYA(たくや g)が加入し、93年にシングル「POWER OF LOVE」でメジャーデビューしました。96年発表の9作目のシングル「そばかす」がミリオンセールスとなり、初のオリコンチャート1位を記録。日本武道館公演チケットが即日完売するなど、人気バンドへと成長します。2001年、ファンに惜しまれながらも解散。これ以降、4人そろってのメディア登場などはなく、現在でも「復活してほしいバンド」ランキングの上位となる人気バンドです。
JUN SKY WALKER(S)
JUN SKY WALKER(S) (ジュン・スカイ・ウォーカーズ) 1980年、宮田和弥(みやた かずや vo)、森 純太(もり じゅんた g)、伊藤 毅(いとう つよし b)、小林雅之(こばやし まさゆき d)によって結成されました。その後、ベーシストは寺岡呼人(てらおか よひと)に替わり、88年、アルバム『全部このままで』でレコードデビュー。エネルギッシュでてらいのない演奏でファンを獲得していきます。93年、寺岡がグループを離れてオリジナルメンバーの伊藤が再加入、日本のロックシーンを代表するバンドとして活動を続けていきますが、97年に解散。しかし、2011年に復活しました。
ジョニー、ルイス & チャー
ジョニー・ルイス&チャー 1978年、「スモーキー・メディスン」を解散してソロ活動をしていたチャー(g、vo)が元「ゴールデン・カップス」のルイズ・ルイス加部(るいずるいす かべ b)と元「イエロー」のジョニー吉長(じょにーよしながd)に呼びかけて結成したスーパー・グループ。1979年、日比谷野外音楽堂で無料のデビュー・ライヴを開催、このライヴ音源をアルバム『FREE SPIRIT』としてリリースしました。ブルースをベースにした緊張感のあるアンサンブルで人気となります。82年に「PINK CLOUD」と改名。グループとしてのセッションとメンバーのソロを織り交ぜつつ活動を続けましたが、94年9月に解散しました。2007年ごろより再結成して活動を開始しましたが、2012年6月4日、ジョニー吉長が肺炎のため死去し、3人のセッションは叶わぬものとなりました。
スキマスイッチ
スキマスイッチ(すきますいっち) 大橋卓弥(おおはしたくや 1978.5.9愛知県生まれ)と常田真太郎(ときたしんたろう 1978.2.25 愛知県生まれ)によるユニット。大橋が、自作曲の編曲を常田に依頼したことがきっかけで結成されました。インディーズでの活動を経て2003年にシングル「view」でメジャーデビュー。05年にリリースした「全力少年」が大ヒットしてブレイク。曲作りから編曲、プロデュースまですべて自分たちで行うというスタイルでアーティスト活動を行うとともに、06年に福耳のシングル「惑星タイマー」の作詞・作曲・プロデュースを行うなど、他のシンガーへの作品提供も行っています。
杉田二郎
1946年11月2日生まれ、京都出身のシンガー・ソングライター。フォーク全盛の67年頃に“ジローズ”を結成。ラジオ『ヤングタウン』にて「あなただけに」が注目され、68年4月にデビュー。2ヵ月後にジローズは解散。同年10月、“はしだのりひことシューベルツ”を結成し、「風」「さすらい人の子守唄」などのヒットを放つ。70年、森下次郎と“(第2次)ジローズ”を結成、「戦争を知らない子供たち」がヒット。72年からはソロ活動を開始。「男どうし」「ANAK(息子)」などのヒット作ほか多くの楽曲制作とコンサート活動を精力的に展開。2014年には堀内孝雄、ばんばひろふみ、高山厳、因幡晃と“ブラザーズ5”を結成。
杉山清貴
杉山清貴(すぎやまきよたか) 1959.7.17生まれ、神奈川県出身。80年、ラテンテイストをもったアメリカン・ロック志向のバンド、きゅうてぃぱんちょすでポピュラーソングコンテスト入賞。83年に杉山清貴&オメガトライブとしてシングル「Summer Suspicion」でデビュー。「ふたりの夏物語」などのヒットで脚光を浴びましたが、85,年にバンドを解散し、シンガー・ソングライターとしてソロ活動をスタートさせます。「水の中のAnswer」「SHADE~夏の翳り~」 など、夏のテイストをもったシンガーとして人気を得ますが、次第により自由なライフスタイルの中で自分を表現するようになっていきます。海岸の美化キャンペーンなどのエコロジカルなイベントなどにも積極的に取り組んでいます。
鈴木さえ子
鈴木さえ子(すずきさえこ) 1957.3.14、東京生まれ。クラシックピアノを学び、音楽学校に進学しますが、ロックにも興味を持ちドラマーとしての活動も始めます。80年、松尾清憲が結成したバンドCINEMAに加入しますが81年に解散。その後、スタジオミュージシャンとしての活動と並行して、FILMS、坂本龍一B2-UNITなどにも参加、泉谷しげるのステージサポートも行っています。83年にアルバム『毎日がクリスマスだったら』でソロデビューして以来、先鋭的で音楽性豊かな音楽を発表し、高い評価を受けました。90年代に入り、活動は単発的になりますが、2004年には『ケロロ軍曹オリジナルサウンドケロック』をリリースするなど、再び活動は活発になります。07年にはCINEMAの再結成にも参加しています。
鈴木康博
鈴木康博(すずきやすひろ) 1948.2.18生まれ。静岡県出身。小学生時代に小田和正と知り合い、オフコースを結成し、中心メンバーとして活動。しかし、82年6月の日本武道館ライヴを最後に脱退。83年にシングル「愛をよろしく」、アルバム『Sincerely』でソロデビューしました。ありのままの自分を写し取っていくような味わいのある作品をコンスタントにリリースするとともに、山本潤子、吉川忠英とPeter,Paul & Maryを歌ったり、山本潤子(赤い鳥、ハイファイ・セット)、細坪基佳(ふきのとう)とユニットSong For Memoriesを結成するなど、フォークソングの原点ともいえる活動も展開しています。
スターキング・デリシャス
スターキングデリシャス(すたーきんぐでりしゃす) 1974年頃、大阪で6人編成のロックバンドとして結成されました。初期のメンバーには、岩本一郎(いわもといちろう d)、角谷安彦(かどややすひこ b)、増田敏郎(ますだとしろう g)、仲 豊夫(なかとよお g)、他がいました。翌75年、大幅なメンバーチェンジを行って、大上留理子(おおがみるりこ)など3人の女性シンガーと3人のホーンセクションが入った大型ソウルバンドととなります。この年の「8.8 Rock Day’75」で優秀バンド賞と大上がベストボーカル賞を受賞し注目を集めます。77年、スターキングデリシャスの唯一のアルバム『スターキングデリシャスライブ』がリリースされますが、この時のメンバーは、大上留理子(vo)、西浦幸子(にしうらゆきこ vo)、北川進太郎(きたがわしんたろう g)、平山国次(ひらやまくにつぐ g)、小島良喜(こじまよしき kb)、東山光良(ひがしやまみつよし b)、岩本一郎(d)、辻川雅治(つじかわまさはる trmp)、池田トール(いけだとーる sax)、三浦束洋司(みうらつよし sax)でした。ライヴバンドとしても高い人気を得ていましたが、このアルバムリリース後に解散しています。
スターダストレビュー
スターダストレビュー 根本 要(ねもと かなめ vo、g)を中心に1979年に結成され、関東のアマチュアシーンで注目されていたバンド「(ジプシーと)アレレのレ」が、81年のレコードデビューに際して「スターダストレビュー」と改名しました。根本以外のメンバーは、三谷泰弘(みたに やすひろ kb)、柿沼青史(かきぬま きよし b)、寺田正美(てらだ まさみ d)、林 紀勝(はやし としかつ perc)。シングル「シュガーはお年頃」、アルバム『STARDUST REVIEW』でデビュー。卓越した演奏力とコーラスワーク、そしてサービス精神あふれるステージングでライヴアーティストとして根強い支持を受けています。
須藤薫
須藤薫(すどう かおる) 1954.5.1.東京都出身。学生時代からシンガーとして活動を行っていましたが、79年に、荒井由実・作詞のシングル「やさしい都会」でレコードデビュー。80年のファースト・アルバム『CHEF’S SPECIAL』でオールディズ・テイストを打ち出し、81年のシングル「あなただけI LOVE YOU」(作詞・作曲:大瀧詠一)、82年の松任谷由実、杉真理とのジョイントコンサート「WONDERFULL MOON」なども話題となりました。
93年、アーティスト活動から引退しましたが、98年に杉真理とのジョイントで活動再開。しかし、2013年3月3日、骨髄異形成症候群のため死去。
SPITZ
スピッツ 1987年に草野マサムネ(くさの まさむね vo)、三輪テツヤ(みわ てつや g)、田村明浩(たむら あきひろ b)、崎山龍男(さきやま たつお d)により結成。新宿や渋谷を中心に活動をスタートさせ、ワンマンライヴで300人を動員するなど、着実に人気を獲得。90年に6曲入りのミニアルバム『ヒバリのこころ』をインディーズレーベルからリリースします。翌91年にはシングル「ヒバリのこころ」とアルバム『スピッツ』でメジャーデビューしました。以来、「ロビンソン」「涙がキラリ☆」などのヒット曲を誕生させ、ドラマの主題歌に起用された「空も飛べるはず」でトップアーティストの座を不動のものとします。97年からは多彩なアーティストを招いてのイベント「ロックロックこんにちは!」を主催しています。
センチメンタル・シティ・ロマンス
センチメンタル・シティ・ロマンス 1973年、中野督夫(なかの とくお vo、g)、細井 豊(ほそい ゆたか kb)、加藤文敏(かとう ふみとし b)、田中 毅(たなか つよし d)というメンバーで活動していた名古屋のロックバンドに、東京で音楽活動をしていた告井延隆(つげい のぶたか vo、g)がリーダーとして参加し、センチメンタル・シティ・ロマンスが誕生しました。ウエストコーストサウンドをベースにした演奏スタイルで人気を集め、75年にアルバム『センチメンタル・シティ・ロマンス』をリリース。同年、田中に替わってシュガーベイブの初代ドラマーだった野口明彦(のぐち あきひこ)が加入しました。現在も、マイペースな活動を続けています。
ソウル・フラワー・ユニオン
ソウル・フラワー・ユニオン(そうるふらわーゆにおん) 1993年、同時に解散したニューエスト・モデルとメスカリン・ドライヴのメンバーにより結成されました。初期のメンバーは、中川 敬(なかがわたかし vo、g)、伊丹英子(いたみひでこ ブズーキ、他)、奥野真哉(おくのしんや kb)、河村博司(かわむらひろし g)、伊藤孝喜(いとうこうき d)、JIGEN(じげん b)。同年12月にシングル「世界市民はすべての旗を降ろす」でデビュー。ロック、ジャズ、民謡、民族音楽など、幅広い音楽性を大胆に取り入れた個性的でインパクトあふれる音楽性で、圧倒的な存在感を示していきます。また、ソウル・フラワー・ユニオンとしての活動と並行して、95年1月の阪神淡路大震災をきっかけに結成されたアコースティック・ユニットのソウル・フラワー・モノノケ・サミットでも、積極的な活動を展開しています。