海援隊

海援隊(かいえんたい) 1971年に福岡で結成されたフォークグループ。メンバーは武田鉄矢(たけだ てつや)、中牟田俊男(なかむた としお)、千葉和臣(ちば かずおみ)。72年に上京し、アルバム『海援隊がゆく』でレコードデビュー。73年に「母に捧げるバラード」が大ヒット、79年にはテレビドラマ『3年B組金八先生』の主題歌「贈る言葉」でも人気を集めました。82年に解散しましたが、94年に再結成されました。

甲斐バンド

甲斐バンド(かいばんど) 1974年、地元福岡でアマチュア活動をしていた甲斐(かい)よしひろを中心に結成されました。メンバーは甲斐よしひろ(vo)、大森信和(おおもり のぶかず g)、長岡和弘(ながおか かずひろ b)、松藤英男(まつふじ ひでお d)。同年、シングル「バス通り」でレコードデビュー。「裏切りの街角」「HERO(ヒーローになる時、それは今)」などをヒットさせるとともに、箱根・芦ノ湖畔、大阪・花園ラグビー場、東京・新宿西口都有地での野外イベント、両国国技館のこけら落としライヴなど、多彩なステージでのライヴを行い、話題を呼びました。86年、解散。

甲斐よしひろ

甲斐よしひろ(かいよしひろ) 1953.4.7.福岡県出身。早くから福岡を中心に活動し、74年には文化放送主催「第三回ハッピー・フォーク・コンテスト」に「ポップコーンをほおばって」で優勝。同年、甲斐バンドを結成、本格的にバンド活動に入りました。甲斐バンド在籍中の78年、ファースト・ソロ・アルバム『翼あるもの』を発表していますが、86年の甲斐バンド解散後、本格的にソロ活動を開始。87年にはソロ・アルバム『ストレート・ライフ』をリリース。その後、ソロ活動、KAI FIVEとしてのバンド活動、さらに甲斐バンドリユニオンなど多角的な活動を展開しています。

加川良

加川 良(かがわ りょう) 1947.11.21.滋賀県出身。学生時代に、あるGSのボーカリストとしてセミプロ活動。URCレコードを出していたアート音楽出版に就職していた70年、第二回全日本フォークジャンボリーにて自作の「教訓Ⅰ」を飛び入りで歌い、ステージデビュー。翌71年にアルバム『教訓』をリリースしました。76年には東京キッドブラザーズのミュージカル『十月は黄昏の国』に出演し、音楽も担当。その後も、コンスタントにシンガー・ソングライターとしての活動を続けています。

かぐや姫

かぐや姫(かぐやひめ) 1970年に南(みなみ)こうせつ、大島三平(おおしま さんぺい)、森 進一郎(もり しんいちろう)によって第一次かぐや姫を結成。シングル「酔いどれかぐや姫」などをリリースしますが、大きな成功を収めることはできず、71年には南こうせつ、伊勢正三(いせ しょうぞう)、山田パンダ(やまだ ぱんだ)による第二次かぐや姫が誕生しました。第二次かぐや姫は「神田川」「妹」などを大ヒットさせ、フォークシーンをリードする人気グループとなりますが、75年4月に解散。しかし、同年8月には静岡県のつま恋多目的広場で「吉田拓郎・かぐや姫 つま恋コンサート」が開催されました。その後、78年、99年など何度か期間限定で再結成されています。

カシオペア

カシオペア(かしおぺあ)  1976年に、野呂一生(のろいっせい g)、櫻井哲夫(さくらいてつお b)、小池重彦(こいけしげひこ kb)、鈴木 徹(すずきとおる d)でインストゥルメンタル・グループとして結成されました。同年のバンドコンテスト「East West’76」に出場して野呂がベストギタリスト賞を受賞。翌年の「East West’77」では優秀グループ賞と野呂がベストギタリスト賞を受賞しました。その後、79年、小池、鈴木が向谷 実(むかいやみのる kb)、佐々木隆(ささきたかし d)に替わって、79年にアルバム『CASIOPEA』でデビュー。 その後、ドラムが神保 彰(じんぼあきら)となり、日本のフュージョンシーンをリードするグループとして国際的に活躍します。90年代以降メンバー交替をしながら活動が続いていきましたが、2006年に活動休止。しかし、2012年に、野呂、鳴瀬喜博(なるせよしひろ b)、大高清美(おおたかきよみ kb)、さらにサポートメンバーとして神保が加わる形で、カシオペア3rdとして活動を再開しています。

かしぶち哲郎

1950年11月9日生まれ、栃木県出身のミュージシャン。本名は橿渕哲郎。幼少よりクラシックやポップスに親しみ、高校からは楽曲制作やドラマーとしてバンド活動を開始。71年、鈴木慶一らと「はちみつぱい」を結成。75年に「ムーンライダーズ」を結成し、35年にわたって作品制作やライヴ活動を展開。80年代以降は作詞、作曲、アレンジ、プロデュースを中心に活躍。CM、映画の音楽も担当。特に『釣りバカ日誌』やアニメ『機動戦士ガンダム』など、多くのサントラを手掛けた。ソロとしても『リラのホテル』をはじめ、意欲的に作品を発表。CM出演も多く果たした。2013年12月17日、食道癌のため死去。享年63歳。

かせきさいだぁ

かせきさいだぁ  1968.9.26、静岡県生まれ。90年、3人組ヒップホップグループ、TONEPAYSを結成して活動していましたが、93年に解散。94年にひとりでかせきさいだぁΞとして活動を始めました。95年、インディーズからアルバム『かせきさいだぁΞ』をリリースし、翌96年、シングル「さいだぁぶるーす」でメジャーデビュー。98年にアルバム『SKYNUTS』をリリース後は、ホフディランのワタナベイビーとのユニット、Baby & CyderΞ、ヒックスヴィルの小暮晋也とのユニット、TOTEM ROCKなどで活動。2009年にソロプロジェクト、かせきさいだぁΞ & HUGTONES(松本光由 g、龍山一平 kb、勝原大策 b、なかじまはじめ d、大山Ervin per)を結成して活動を再開しました。現在は、かせきさいだぁΞではなく、かせきさいだぁと表記しています。

風(かぜ) 1975年、かぐや姫を解散した伊勢正三(いせ しょうぞう)と「猫」の大久保一久(おおくぼ かずひさ)が結成したデュオグループ。かぐや姫でもレコーディングしていた伊勢正三作の「22才の別れ」でデビューしました。フォーク色の強いグループでしたが、次第に洗練されたポップ感覚を打ち出すようになっていきます。79年に解散。

加藤和彦

1947年3月21日、京都府出身。学生時代に北山修(きたやま おさむ)らとザ・フォーク・クルセダーズを結成し、「帰ってきたヨッパライ」の大ヒットを記録しました。ザ・フォーク・クルセダーズ解散後、69年4月にソロ・アーティストとして「僕のおもちゃ箱」でシングル・デビュー、同年12月1日にファースト・アルバム『ぼくのそばにおいでよ』を発表。71年から約五年間にわたりサディスティック・ミカ・バンドで活動しましたが、76年からソロ活動を再スタートさせ、同年12月に『それから先のことは・・・』を発表。その後、『パパ・ヘミングウェイ』『うたかたのオペラ』などの佳作を発表し、日本のシーンをリードしていきました。2009年10月16日、死去。

加藤登紀子

1943年12月27日、旧満州ハルビン生まれ、京都育ちのシンガー・ソングライター/女優。愛称は“おときさん”。65年、東京大学在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールで優勝し、歌手デビュー。66年に「赤い風船」でレコード大賞新人賞、69年に「ひとり寝の子守唄」「知床旅情」でレコード大賞歌唱賞を受賞。以降、数多くのヒット曲やアルバムを発表。国内はもちろん、カーネギーホールをはじめ世界各地でコンサートを実施し、92年には仏政府からシュバリエ勲章を受章。また、『居酒屋兆治』やアニメ映画『紅の豚』など女優/声優や陶芸などの芸術活動、執筆活動ほかでも才能を発揮。地球環境問題へも積極的に取り組んでいる。

門あさ美

1955年10月17日生まれ。名古屋市出身。ヤマハのポプコン出身。1979年「ファッシネイション」でレコード・デビュー。88年までの活動期間中、コンサート活動をほとんどせず、TV出演もほとんどせずにベールに包まれた存在だった。
しっとりとしたウェットな歌唱スタイルが魅力。

角松敏生

角松敏生(かどまつ としき)  1960.8.12.東京都出身。内外のロック&ポップ・ミュージックの影響を受け、バンド活動をスタート。大学在学中に制作したデモテープがきっかけになり、81年に「YOKOHAMA Twilight Time」、アルバム『Sea Breeze』でデビュー。その後、シンガー・ソングライターとしての活動とともに、プロデューサーとしても杏里など多くの作品を手掛けるようになります。93~97年にかけて、自らのアーティスト活動を凍結し、プロデュース活動に専念していましたが、98年にアーティスト活動を再開。意欲的なサウンドアプローチとストイックな内面表現を軸にした意欲的作品を発表しています。

金子マリ & バックスバニー

金子マリ&バックスバニー ソウルフルなヴォーカルで“下北沢のジャニス(・ジョプリン)”とも呼ばれたヴォーカリスト、金子(かねこ)マリがスモーキー・メディスンを解散して、74年に結成したバンド。メンバーは金子マリ(vo)、永井充男(ながい みつお g)、難波弘之(なんば ひろゆき kb)、鳴瀬喜博(なるせ よしひろ b)、橋本英晴(はしもと ひではる d)。76年に「あるとき」でレコードデビュー。高い演奏力に裏打ちされた圧倒的なライヴで人気を集めました。

カヒミ・カリィ

KAHIMI KARIE(かひみ かりい) 1968.3.15、沖縄生まれ。91年にオムニバスアルバム『BLOW UP』にKAHIMI KARIEとして参加し、95年にシングル「Make Always’s Diary」で本格的にデビュー。洗練されたポップセンスあふれる楽曲で注目され、98年にはアメリカでもアルバムがリリースされ、アメリカツアーも2度行っています。海外アーティストとのコラボレーションも多く、彼女自身も96年から住まいをパリに移して活動しています。

かまやつひろし

かまやつひろし 1939.1.12.東京都出身。早くから歌手として活動し、カントリー、ロックンロール歌手として、日劇ウエスタンカーニバルや日活アクション映画に出演。63年にはザ・スパイダースに参加し、デビュー曲「フリフリ」を作詞・作曲しました。ザ・スパイダースには71年の解散まで在籍していましたが、70年にソロアルバム『ムッシュー/かまやつひろしの世界』を発表。75年には吉田拓郎が書いた「我が良き友よ」をヒットさせるなど、世代を越えた才能豊かなアーティストたちと積極的に交流しながら活動を続けています。

紙ふうせん

紙ふうせん(かみふうせん) 1974年、赤い鳥のメンバーである後藤悦次郎と平山泰代がグループ内ユニット(紙ふうせん)としてシングル「いかつり唄」とアルバム『またふたりになったね』を発表。74年、赤い鳥の解散と前後して後藤と平山は結婚。ふたりは紙風船として活動をはじめ、75年にシングル「ささぶね」で正式デビュー。77年に出した「冬が来る前に」が大ヒットし脚光を浴びました。その後も、日本民謡から洋楽テイストの楽曲まで、幅広い音楽性を打ち出しながら活動を続けています。

亀井登志夫

亀井登志夫(かめい としお) 大学在学中からバンド「トラスト」を結成、プロ活動をスタート。1970年代後半からは作詞家の康珍化と多くの活動をともにし、作曲家としての地位を確立。88年にはソロアルバムを発表し、シンガー・亀井登志夫の魅力を披露しました。90年代に入ると妻である亀井知永子とのユニット「YONGEN」として活動を始め、音楽とアートのコラボレーションを展開。2013年にはソングライター、ヴォーカリスト、ヴァイオリニストとしての音楽活動の集大成とも言えるベストアルバムをリリースしました。

加山雄三

加山雄三(かやま ゆうぞう) 1937.4.11.神奈川県出身。両親はともに俳優の上原 謙と小桜葉子。早くからクラシックピアノを学ぶなどして、音楽に親しんでいました。60年、俳優として映画デビュー。61年、主演映画『大学の若大将』にあわせて「夜の太陽」でレコードデビューしますが、65年のシングル「恋は紅いバラ」からは、「弾 厚作」名義で自ら作曲したオリジナル曲をリリース。「君といつまでも」「お嫁においで」「旅人よ」など多くのヒット曲を生み出していきました。70年代後半になると、日常のなかの海への想いを託した楽曲や、スタンダード曲のカバーなど、大人の感覚をもったポップミュージックにアプローチするなどの新しい境地を見せるようになります。さらに、谷村新司と「サライ」を共作するなど、世代を超えた音楽活動を続けています。

辛島美登里

辛島美登里(からしまみどり) 鹿児島県出身。大学卒業後、ソングライターとして活動をはじめ、永井真理子など多くのシンガーに作品を提供していましたが、89年に自らもシングル「時間旅行」でシンガー・ソングライターとしてデビューしました。90年11月、「サイレント・イヴ」がテレビドラマ『クリスマス・イブ』の主題歌として大ヒット。その後もコンスタントに作品をリリースするとともに、ライヴ活動も積極的に展開。オーケストラと共演するクリスマスコンサートや、絵本とコラボレートしたライヴなど、既成の形にとらわれない表現のスタイルを切り開きながら、リスナーとのコミュニケーションを重ねています。

カルメン・マキ & OZ

カルメン・マキ & OZ(おず) 1969年に「時には母のない子のように」でレコードデビューしたカルメン・マキは、フォーク色の強いシンガーとして活動していましたが、70年代に入るとジャニス・ジョプリン等の影響を受け、クリエイションと共演するなど、ロック・ヴォーカリストを目指します。そして、72年に春日博文(かすが ひろふみ g)、鳴瀬喜博(なるせ よしひろ b)、樋口晶之(ひぐち まさゆき d)とカルメン・マキ & OZを結成。75年にリリースしたアルバム『カルメン・マキ & OZ』が、ロック・アルバムとして高い評価を受けます。その後、メンバーチェンジを経て、77年に解散しました。

川村かおり

川村カオリ(かわむらかおり) 1971.1.23、モスクワに生まれ、11歳で帰国。88年、17歳の時に辻仁成プロデュースによりシングル「ZOO」でレコードデビュー。「神様が降りてくる夜」「翼をください」などをヒットさせますが、93年に活動を休止して渡米。95年に活動を再開後は、個人ユニットSORROWを結成してインディーズからCDをリリースするなど、新たな動きを展開していきます。その後、乳がんが発見されますが、闘病生活を続けながら音楽活動を維持していきました。2009年、渋谷公会堂で行われたライヴの2か月後に逝去。

KAN

KAN(かん) 1962.9.24.福岡県出身。1987年にアルバム『テレビの中に』でデビュー。90年に発表したシングル「愛は勝つ」が200万枚を超える大ヒットとなり、91年に日本レコード大賞を受賞。同年の紅白歌合戦に初出場を果たします。2002年に渡仏。パリに拠点を置きながら、音楽学校の「エコール・ノルマル」でクラシックピアノを基礎から習得し、04年に帰国。ソロ以外にも、桜井和寿(Mr.Children)との「パイロットとスチュワーデス」、杉山清貴、スターダストレビューとの「SSK ALL STARS」などさまざまなユニット活動を展開しています。

カーネーション

カーネーション 東京の美大生を中心とした耳鼻咽喉科というバンドを母体に1983年に結成。84年にシングル「夜の煙突」でインディーズデビューしました。当初のメンバーは直枝政広(vo、g)、馬田祐次(vo、b)、徳永雅之(d)、谷野晃一(kb)、小汲哲郎(sax)らでしたが、メンバーチェンジをしながら活動を展開。89年に森高千里が「夜の煙突」をカヴァーして話題になり、95年には「It’s a Beautiful Day」をヒットさせています。現在の正式メンバーは、直枝、大田譲(vo、b)の二人。

ガロ

GARO(ガロ) 堀内 護(ほりうち まもる)、日高富明(ひだか とみあき)、大野真澄(おおの ますみ)が70年に結成したグループ。71年にシングル「たんぽぽ」でレコードデビュー。CS & N(クロスビー、スティルス & ナッシュ)に通じる繊細なコーラスハーモニーで、通好みのグループと言われていました。しかし、72年にリリースしたシングル「美しすぎて」のB面に収められていた「学生街の喫茶店」が73年になってチャート1位となります。これをきっかけに一躍人気グループになりましたが、76年に解散しました。

岸谷香

1996年5月31日、武道館公演をもってプリンセス プリンセスを解散。
1996年結婚。1997年奥居香ソロとしてシングル「ハッピーマン」を発売し、
ソロ活動をスタートさせ、アルバム「shout」「香」をリリース。
2001年子供を授かったことをきっかけに岸谷香に改名。その後13年間は育児を
中心とする生活が続いた。2012年、東日本大震災復興支援の為、16年振りに
プリンセス プリンセスを一年限定で再結成。
2014 年ソロの活動を本格的に新たにスタート。2015年6月24日シングル
「DREAM」を発売、 8月にはKAORI PARADISE in奄美大島として奄美パーク
にてひとりライブを敢行。9月“KAORI KISHITANI 2015 LIVE
TOUR48thSHOUT!-レッツゴー!!年女-”全国8都市を回るバンドツアーを実施
。2016年5月、10年ぶりのオリジナルアルバム「PIECE of BRIGHT」リリース
。6月KAORI PARADISE 「はじめてのひとり旅」全国28公演のツアー、 10月
49th SHOUT! ~PIECE of BRIGHT~バンドツアー東京、大阪、名古屋計4本の公
演を実施。
2017年生誕50周年の年でもあり、2月に50th ANNIVERSARY LIVE を行い、こ
の年、前半はチェロとの企画ミニアルバム「Dialogue~涙の理由~」をリリー
ス。後半は、ガールズバンドプロジェクトを立ち上げ、2018年1月にバンドサ
ウンドでのミニアルバム「Unlock the girls」をリリース。
2019年3月10日豊洲PITにて4回目になった、東日本大震災復興支援ライブを
「The Unforgettable days」と題して実施。
4月からは約25年ぶりのレギュラーラジオNHK-FM「岸谷香Unlock the heart」
が毎週金曜23:00〜がスタート。
2020年2/15六本木EXシアターにて岸谷香感謝祭と題しゲストを迎えてのコラ
ボライブを実施。4月からは、ニッポン放送「オールナイトニッポン
MUSIC10」の第四水曜日パーソナリティがスタート。5月からはLIVE TOUR
「53rd SHOUT!」〜Unlock the girls3〜全国9箇所を予定していたが、新型コ
ロナウィルス感染拡大防止の為中止した。
秋にはCDリリース、ひとり弾き語りツアーを予定している。

来生たかお

来生たかお(きすぎたかお) 1950.11.16生まれ、東京都出身。大学生時代にバンドを編成して活動。この時、井上陽水らと知りあいます。姉、来生えつこの作詞、来生たかおの作曲というコンビでソングライターとして認められたのをきっかけに、自らも76年にシングル「浅い夢」でレコードデビュー。81年に映画『セーラー服と機関銃』主題歌として書いた「夢の途中」が、薬師丸ひろ子が歌うヴァージョン「セーラー服と機関銃」とともに大ヒットし脚光を浴びます。これと前後して、ソングライターとしても「マイ・ラグジュアリー・ナイト」(しばたはつみ)、「シルエット・ロマンス」(大橋純子)、「セカンド・ラブ」(中森明菜)など多くのヒット曲を生み出しています。その後も、シンガー・ソングライターとして高いクオリティを追求する姿勢を貫き、現在も活動中。

北山修

北山 修(きたやま おさむ) 1946.6.19.兵庫県出身。65年に加藤和彦(かとう かずひこ)らとザ・フォーク・クルセダーズを結成。67年、「帰って来たヨッパライ」の大ヒットでプロ活動に入ります。68年のザ・フォーク・クルセダーズ解散後は、エッセイスト、作詞家として活動し、71年に加藤和彦との連名で「あの素晴らしい愛をもう一度」をリリース。その後、精神科医への道を進みますが、76年にアルバム『12枚の絵』をリリースするなど、音楽活動も断続的に継続中。医師としての活動では「北山修」、音楽活動に関しては「きたやまおさむ」という名前を使用しています。

喜納昌吉 & チャンプルーズ

喜納昌吉 & チャンプルーズ 沖縄の民謡歌手を父に持つ喜納昌吉(きな しょうきち)は高校時代に「ハイサイおじさん」をつくり、民謡をもとにした新しい音楽を手がけ、68年にチャンプルーズを結成。77年にアルバム『喜納昌吉 & チャンプルーズ』で全国デビューした時のメンバーは、喜納昌吉(vo、三線、g)、長間孝雄(ながま たかお 三線)、喜納昌弘(きな まさひろ b)、当山安一(とうやま やすいち d)、喜納幸子(きな さちこ vo)、喜納友子(きな ともこ vo)、喜納順子(きな じゅんこ vo)。80年のアルバム『BLOOD LINE』に収められた「花~すべての人の心に花を~」は世界的大ヒット曲となりました。メンバーは替わりましたが、現在も活動を続けています。

キャロル

CAROL(きゃろる) 1972年に矢沢永吉(やざわ えいきち)の呼びかけで結成したロックンロール・バンドで、同年、シングル「ルイジアンナ」でデビュー。メンバーは、矢沢永吉(vo、b)、ジョニー大倉(おおくら vo、g)、内海利勝(うちうみ としかつ g)、ユウ岡崎(おかざき d)。革ジャンにリーゼントという初期ビートルズに通じるスタイルと疾走感のあるビート・サウンドで人気を集めました。75年に解散。

キャンディーズ

キャンディーズ 1970年、渡辺プロダクション系音楽学校の選抜グループ、スクールメイツに在籍していた伊藤蘭、藤村美樹、田中好子によって1970年に結成されたボーカル・グループ。テレビのショー番組やバラエティで活躍しつつ、73年に「あなたに夢中」でレコードデビューし、75年の「年下の男の子」のヒットで脚光を浴びました。アイドルの先駆けとして人気を集める一方、吉田拓郎が「やさしい悪魔」などの楽曲を提供するなど、アイドルの枠に留まらない評価も受けていました。78年に解散。最後のコンサートは同年4月4日、後楽園球場で行われました。

杏子

杏子(きょうこ) 1960.8.10.長野県出身。1984年に「BARBEE BOYS」のヴォーカリストとしてメジャーデビュー。低くハスキーな歌声とエネルギッシュでセクシーなスタイルは多くのファンを魅了しました。92年のバンド解散後はシングル「DISTANCIA」を発表し、ソロ活動をスタート。98年には、山崎まさよし、スガシカオとスペシャルユニット「福耳」を結成します。現在もラジオパーソナリティやミュージカル出演など、多岐にわたる活動を意欲的に行っています。

キリンジ

1996年10月に結成。当初は堀込高樹と泰行の兄弟バンドとして始動し、98年にメジャー・デビュー。2000年の「エイリアン」など独特の音楽世界を展開。
バンドとしての音作りとライブで活動を継続。2013年3月の『Ten』をもって堀込泰行が脱退。以降は堀込高樹を中心とした変動的体制で活動を継続。

Kiroro

Kiroro(きろろ) 高校の同級生だった玉城千春(たましろ ちはる vo)と金城綾乃(きんじょう あやの kb)で1995年に結成。翌年、地元・沖縄限定のインディーズシングル「長い間/青のじゅもん」を発表すると1万枚を超えるヒットとなり、98年にメジャーデビューしました。「未来へ」「Best Friend」など、長く歌い継がれる楽曲を生み出しますが、結婚や出産・子育てが重なり、現在デュオとしての活動は休止中。独自のペースを保ちつつ、2011年には玉城千春がソロ作品をリリースしました。

筋肉少女帯

筋肉少女帯(きんにくしょうじょたい) 中学生時代にバンドを組んでいた大槻ケンヂ(おおつきけんじ vo)と内田雄一郎(うちだゆういちろう b)が高校進学を期に、筋肉少年少女隊というバンドを結成。メンバーチェンジを繰り返しながらライヴ活動を続けますが、84年にバンド名を筋肉少女帯としました。87年、ナゴムレコードからシングル「高木ブー伝説」をリリースして話題になり、88年にシングル「釈迦」、アルバム『仏陀L』でメジャーデビュー。89年に入って、内田、大槻以外のメンバーが、本城聡章(ほんじょうとしあき g)、橘高文彦(きつたかふみひこ g)、太田明(おおたあきら d)となり、メンバーはほぼ固定されます。この年にはシングル「元祖高木ブー伝説」を大ヒットさせるなど人気グループとなりましたが、大槻の脱退もあり98年に活動を凍結。2006年、大槻、内田、本城、橘高により活動を再開しています。

久保田早紀

久保田早紀(くぼた さき) 1958.5.11.東京都出身。幼い頃からピアノを習い、小学校6年生で曲をつくり始めました。CBSソニーのテープオーディションに合格し、79年に「異邦人」でデビュー、大ヒットとなりました。シンガー・ソングライターの活動を続けていましたが、84年に久保田早紀としての活動をストップ。その後は本名の「久米小百合」として、キリスト教の伝道と音楽を結びつけた活動を行っています。

久保田利伸

久保田利伸(くぼた としのぶ) 1962.7.24.静岡県出身。最初はソングライターとして、田原俊彦、小泉今日子らに楽曲を提供していましたが、86年にシングル「失意のダウンタウン」でアーティストとしてデビュー。圧倒的な歌唱力とセンスで日本のコンテンポラリー・ソウルシーンをリードする存在となります。アメリカでのレコーディングやミュージシャンとの交流を積極的に行うようになった久保田利伸は、93年に活動拠点をニューヨークに移し、アメリカでもCDをリリースするなど、インターナショナルスケールのアーティストとして活躍しています。

久保田麻琴 と 夕焼け楽団

久保田麻琴と夕焼け楽団(くぼたまこととゆうやけがくだん) 70年頃からさまざまな音楽活動を展開してきた久保田麻琴が結成したバンド。メンバーは久保田麻琴(vo、g)、井上憲一(いのうえ けんいち g)、藤田洋麻(ふじた ようま g)、恩蔵 隆(おんぞう たかし b)。75年にリリースしたアルバム『ハワイ・チャンプルー』から「久保田麻琴と夕焼け楽団」の名がクレジットされています。80年代に入ると、「サンディー & ザ・サンセッツ」へと移行しました。

class

class(くらす) 1993年にメジャーデビューした、津久井克行(つくい かつゆき)と日浦孝則(ひうら たかのり)によるデュオ。ファーストシングル「夏の日の1993」が大ヒットし、トータル170万枚を超えるセールスを記録します。「もう君を離さない」「Holiday」など美しいハーモニーを生み出しますが、96年に解散。その後、デビュー10周年となった2003年には記念ライヴを行い、新作を発表、活動を再開しますが、09年に津久井が急逝。以降、「class」としての活動は停止しました。

クリエイション

クリエイション それまで結成していた「ブルース・クリエイション」を1972年に解散した竹田和夫が新たに結成したバンド。メンバーは竹田和夫(たけだ かずお vo、g)、飯島義昭(いいじま よしあき g)、松本 繁(まつもと しげる b)、樋口晶之(ひぐち まさゆき d)。75年にアルバム『CREATION』をリリースし、76年にはフェリックス・パパラルディをプロデューサーに迎えて『クリエイション with フェリックス・パパラルディ』を制作。その後もメンバーチェンジをしながら84年まで活動を続けました。

くるり

くるり 京都・立命館大学の音楽サークル「ロックコミューン」のメンバーにより、1996年に結成されました。初期は、岸田繁(きしだしげる g)、佐藤征史(さとうまさし b)、森信行(もりのぶゆき d)のスリーピースバンドで、97年にアルバム『もしもし』でインディーズデビュー、98年10月にシングル「東京」でメジャーデビューしました。フォーキーさとオルタナティブ感覚が同居したくるりのサウンドはロックファンに支持され、「ワールズエンド・スーパーノヴァ」(02年)など多くのヒット曲を生み出しています。何度かのメンバーチェンジを行っており、現在のメンバーは、岸田、佐藤、吉田省念(よしだしょうねん g)、ファンファン(tp)となっています。

クレイジーケンバンド

クレイジーケンバンド 1997年、横山剣(よこやまけん vo)を中心に、横浜・本牧で結成されました。当初は6人編成でしたが、現在は11人編成の大型バンドとなっています。結成時から、現在も在籍しているメンバーには、廣石恵一(ひろいしけいいち d)、小野瀬雅生(おのせまさお g、kb)、洞口信也(ほらぐちしんや b)、中西圭一(なかにしけいいち sax、fl)がいます。98年、横山剣がオーナーのダブルジョイレコーズからアルバム『PUNCH!PUNCH!PUNCH!』でレコードデビュー、R&R、R&Bをベースにしたソウルフルな演奏で人気を集め、「タイガー & ドラゴン」などをヒットさせています。ジャンルを超えた音楽をクリエイトするため、さまざまなミュージシャン、シンガーとのコラボレーションも積極的。横山剣は作曲家としても活躍、多くのシンガーに楽曲を提供しています。

ザ・クロマニヨンズ

ザ・クロマニヨンズ(ざくろまによんず) 2005年のTHE HIGH-LOWS活動停止後、真島昌利(ましままさとし g)と甲本ヒロト(こうもとひろと vo)が、小林勝(こばやしまさる b)、桐田勝治(きりたかつじ d)とともに結成。2006年7月にステージ活動を開始し、同年9月に「タリホー」でシングルデビュー、10月にはデビューアルバム『ザ・クロマニヨンズ』をリリースしました。その後も、積極的にCDリリースを行うとともにライヴ活動も精力的に展開、ストレートなビート・ロックを聴かせる存在感あふれるフォーピース・バンドとして活躍しています。

桑田佳祐

桑田佳祐(くわた けいすけ) 1956.2.26.神奈川県出身。青山学院大学在学中にサザンオールスターズを結成し、その中心メンバーとして活動しながら、間を縫ってソロでも活動しています。81年に「嘉門雄三 & Victor Wheels」としてライヴを行い、86年にはKUWATA BANDを結成。さらに87年には初のソロシングル「悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)」をリリース。90年には初監督作品となる映画『稲村ジェーン』も公開されるなど、サザンオールスターズの枠に収まらない活動を、ソロアーティストとして展開。95年にはソロアルバム『孤独の太陽』で日本レコード大賞アルバム賞を受賞するなど、きわめて高い評価を受けています。

桑名正博

桑名正博(くわな まさひろ) 1953.8.7.大阪府出身。71年にファニー・カンパニーを結成し、ヴォーカリストとして74年の解散まで在籍。解散後、ティン・パン・アレイのセッションに参加するなどしていましたが、76年に「真夜中列車第二便」でソロデビュー。77年には「哀愁トゥナイト」のヒットで脚光を浴びました。その後も、卓越した歌唱力を生かして活動、「月のあかり」など味わい深い名曲を残しています。

クールス

COOLS(くーるす) 1975年、原宿を拠点に活動していたバイクグループ”クールス”が、CAROLの解散コンサートに親衛隊として参加。これをきっかけにメンバーがバンドを結成し、同年シングル「紫のハイウエー」、アルバム『黒のロックンロール』でレコードデビューしました。初期メンバーは、たちひろし(vo)、水口晴幸(みずぐちはるゆき vo)、村山一海(むらやまかずうみ vo)、ジェームス藤木(じぇーむすふじき g)、飯田和男(いいだかずお g)、大久保喜市(おおくぼきいち b)、佐藤秀光(さとうひでみつ d)、梅村光男(うめむらみつお g)。その後、メンバーチェンジを繰り返しながらも、純度の高いロックンロール・バンドとしてシーンに異彩を放っていました。80年代には一時、横山剣も参加しています。90年代中期から活動を休止していましたが、90年にオリジナルクールス’90として活動を始めたのをきっかけに、現在も活動中です。

GLAY

GLAY(ぐれい) TERU(てる vo)、TAKURO(たくろう g)、HISASHI(ひさし g)、JIRO(じろう b)からなる函館出身のロックバンド。1988年に結成、94年に「X JAPAN」のYOSHIKIプロデュースによるシングル「RAIN」でメジャーデビューしました。96年のシングル「グロリアス」のヒットで人気に火が点き、「HOWEVER」「誘惑」「Winter,again」といったミリオンヒットを次々と誕生させます。99年7月には千葉県の幕張メッセ(野外駐車場特設ステージ)での大規模ライヴを敢行し、観客20万人を動員しました。デビュー15周年を迎えた2010年には自主レーベル「loversoul music & associates」を設立。独自のスタンスで活動を続けながら日本のロックシーンをけん引しています。

グレープ

グレープ 1972年。東京の大学を中退し、病気療養のため長崎に帰省中のさだまさしと高校時代の友人、吉田正美(よしだ まさみ)が結成したデュオ・グループ。当初は長崎で活動していましたが、73年に「雪の朝」でレコードデビュー。74年にリリースした「精霊流し」がヒット。さらに75年には「無縁坂」もヒットし、人気グループとなりましたが、76年に解散。

ケツメイシ

ケツメイシ(けつめいし) 1993年、Ryo(りょう)を中心に活動をスタートしましたが、96年にメンバーチェンジし、Ryo、Ryoji(りょうじ)、大蔵(だいぞう)、DJ KOHNO(でぃーじぇーこうの)の4人編成となり、ヒップホップ・グループとして本格的に活動を始めました。99年、シングル「こっちおいで」でインディーズデビュー。翌2000年にインディーズからリリースしたアルバム『ケツノポリス』がヒットし、01年にシングル「ファミリア」でメジャーデビューします。02年にリリースしたアルバム『ケツノポリス2』が「オリコン」チャート1位を獲得、05年にはシングル「桜」を大ヒットさせるなど、ジャンルを超えてトップアーティストとして活躍しています。

外道

外道(げどう) 「M」などで活動していたギタリスト加納秀人(かのう ひでと)が1972年に、青木正行(あおき まさゆき b)、中野良一(なかの りょういち d)と結成したバンド。73年にシングル「にっぽん讃歌」でレコードデビュー。そのライヴパフォーマンスには定評があり、ファーストアルバム『外道』もライヴ音源を収録したものでした。74年には郡山ワンステップフェスティバルに出演、75年にはハワイのロックフェスにも出演しました。76年に解散していますが、その後、加納秀人によって何度か復活しています。

ゲルニカ

ゲルニカ(げるにか) 渋谷のカフェ、ナイロン100%で出会った上野耕路(うえのこうじ)と戸川純(とがわじゅん)、そして太田蛍一(おおたけいいち)によって1981年に結成。上野が作曲・編曲・演奏、戸川が歌、そして太田が作詞と美術を担当するというユニークな編成でした。82年、細野晴臣が主宰するYENレーベルからアルバム『改造への躍動』をリリースしますが、活動は短期間で休止してしまいます。88年、活動を復活させ、アルバム『新世紀への運河』をリリース、翌89年にサードアルバム『電離層からの眼差し』をリリースしますが、その後再び活動を休止しています。

小泉今日子

小泉今日子(こいずみ きょうこ) 1966.2.4.神奈川県出身。1982年に「私の16才」でデビュー。「渚のはいから人魚」「ヤマトナデシコ七変化」などのヒットでトップアイドルへと駆け上がり、「なんてったってアイドル」で人気を不動のものとします。その後は近田春夫や小西康陽、藤原ヒロシなど多彩なミュージシャンとのコラボレートで幅広いファン層を獲得しながら、数々の映画やTVドラマ、舞台に出演し、女優としての地位も確立しました。
50歳を迎えて、2015年に株式会社明後日を設立。明後日がプロデュースする様々な演劇公演を続け、新たな世界でも活躍中。エッセイ、書評にも定評があり、著書も多数。2016年刊の『黄色いマンション 黒い猫』(スイッチパブリッシング)で講談社エッセイ賞受賞。

小坂明子

小坂明子(こさかあきこ) 1957.1.2.兵庫県出身。幼い頃からピアノに親しみ、作曲も始めていました。73年、ヤマハポピュラーソングコンテストに「あなた」で出場し、グランプリを受賞。「あなた」はデビュー曲となり、歴史的な大ヒットを記録、74年にはNHKの紅白歌合戦にも出場しました。現在も、ミュージカルやライヴなどマイペースな音楽活動を続けています。

小坂恭子

小坂恭子(こさかきょうこ) 1953.7.31生まれ。宮崎県出身。アマチュアグループなどで活動していましたが、73年の第5回ポピュラーソングコンテストに「私の好きな組み合わせ」で入賞、最優秀歌唱賞を受賞。74年の第7回大会では「恋のささやき」でグランプリを獲得し、この曲でレコードデビューしました。75年に「想い出まくら」を大ヒットさせて脚光を浴び、その後も哀感のあるしっとりした楽曲で多くのリスナーに支持されていきます。現在も、ステージを中心に活動を続けています。

小坂忠

小坂 忠(こさか ちゅう) 1948.7.8.東京都出身。66年、ザ・フローラルのヴォーカリストとしてレコードデビュー。69年に細野晴臣らとエイプリル・フールを結成。その後、シンガー・ソングライターとしての活動をスタートさせ、71年にファーストアルバム『ありがとう』を発表。75年には細野晴臣プロデュースのアルバム『ほうろう』をリリースし、ティン・パン・アレイとツアーを行いました。76年にクリスチャンとなって以来、ゴスペルを中心とした音楽活動を続けています。

越美晴

1960年1月3日生まれ、東京都出身の日本のシンガー・ソングライター。ファゴット奏者の父、声楽家の母の元で育つ。78年、“越美晴”名義でシングル「ラブ・ステップ」でデビュー。80年代からシンセサイザーに傾倒し、“テクノポップの女王”として注目を浴びる。89年にコシミハルと改名。90年代に入るとエスプリ精神を蘇えらせるべくオールド・ジャズやシャンソンを取り入れた唯一無二の世界観を展開。また、バレエとダンスで綴られる舞台『Musique-hall』の演出・振り付けを手掛けるなど、多彩な才能を発揮。2013年、カヴァー・アルバム『マダム・クルーナー』をリリース。

Cocco

1977年1月19日生まれ、沖縄県那覇市出身。96年に日米インディ・デビューした後、97年にシングル「カウントダウン」でメジャー・デビュー。力強く透明感のある歌声と大人の女性が持つ本音を表現した詞世界で耳目を集める。2001年の4thアルバム『サングローズ』後に一時活動休止するも、2004年より再始動。岸田繁らとのSINGER SONGERなどのコラボレーションや執筆活動も始める。。2012年には映画『KOTOKO』、2014年には舞台『ジルゼの事情』でそれぞれ初主演。独自の世界観を展開。

子供ばんど

子供ばんど(こどもばんど) 1973年、高校生だったうじきつよし(vo/g)を中心に作られたバンドが「子供ばんど」と名乗っていました。78年、うじきと谷平こういち(たにひらこういち g)、山戸ゆう(やまとゆう d)のメンバーで格的活動をスタートし、79年のEastWestでグランプリを獲得し、80年にアルバム『WE LOVE子供ばんど』でレコードデビュー。この時に湯川トーベン(ゆかわとーべん b)が正式メンバーになっています。うじきと谷平のギターを中心としたストレートでエネルギッシュなロック・サウンドを打ち出し、ライヴを中心にしながら、アメリカでもレコードをリリースするなど精力的に活動を展開。88年には2000本ライヴを達成しましたが、この年に活動を休止しています。2011年、活動を再開。

小室等

小室 等(こむろ ひとし) 1943.11.23.東京都出身。早くからフォークソングの影響を受けてギターを弾き始め、64年にPPMフォロワーズを結成。68年からは「六文銭」として活動。ソロアーティストとしても、71年の『私は月には行かないだろう』をはじめ、多くの作品を残しています。75年には、吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげるとともにフォーライフ・レコードを設立、初代社長となりました。現在も、ソロはもちろん、及川恒平と四角佳子、こむろゆいとのユニット「六文銭'09」など、精力的な活動を続けています。

米米CLUB

米米クラブ(こめこめくらぶ) 1982年、専門学校時代の仲間を中心に結成されました。当初のメンバーは、カールスモーキー石井(いしい vo)、ジェームス小野田(おのだ vo)、BON(ぼん b)、ジョプリン徳能(とくのう g、kb)。コミカルで演劇的なステージで話題を呼んだ彼らは、95年にシングル「I・CAN・BE」とアルバム『シャリ・シャリズム』でレコードデビュー。ファンクサウンドを押し出しながら、豊かなエンターテイメント精神をもったバンドとして人気を集め、「浪漫飛行」「君がいるだけで」などのビッグヒットを生み出しています。97年、東京ドームでのコンサートを最後に解散しますが、2005年に活動を再開しました。

THE COLLECTORS

THE COLLECTORS(ざ これくたーず) イギリスのビートロックやサイケデリックロックに影響を受けた加藤(かとう)ひさし(vo)を中心に1986年結成。翌87年にアルバム『僕はコレクター』でメジャーデビューし、91年には加藤、古市(ふるいち)コータロー(g)、小里誠(おりまこと b)、阿部耕作(あべこうさく d)という<!-- 現在の -->ラインナップに。ポップなメロディとパワフルなライヴパフォーマンスが支持を集め、2011年にはバンド結成25周年を迎えました。今なお精力的な活動を続ける、日本のモッズシーンを代表するバンドです。

近藤房之助

近藤房之助(こんどうふさのすけ) 1951.5.4生まれ。愛知県出身。高校時代からブルースにのめり込み、76年にブルースバンド、ブレイクダウンを結成して京都などを中心に活動。ブレイクダウン解散後、ソロ活動に入りましたが同じ頃、坪倉唯子らとB.B.クイーンズを結成。テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』の主題歌「おどるポンポコリン」をリリースし大ヒット、一躍脚光を浴びました。しかし、彼はベーシックな活動スタンスを変えず、ライヴを中心としながら、ソウルフルなブルースを聴かせるシンガーとして活動中。ドラマーの村上”ポンタ”秀一や木村充輝らとのコラボレーションも高く評価されています。

COMPLEX

1988年、元BOΦWYのギタリスト・布袋寅泰が、吉川晃司(vo)とともに結成したロック・ユニット。1988年4月に1stシングル「BE MY BABY」でデビューし、大ヒットを記録。1stアルバム『COMPLEX』をリリースし、90年にはセカンド・アルバム『ロマンティック1990』を発表。ロックのダイナミズムを前面に押し出したデジタル・ロックを展開し、絶大な人気を集めたが、90年暮れに東京ドームで行なわれたライヴ“COMPLEX 19901108”を最後に無期限活動停止を宣言。その21年後の2011年、東日本大震災復興チャリティ・ライヴを開催し、一夜限りの再結成を果たし成功を収めた。

CORNELIUS(小山田圭吾)

CORNELIUS(こーねりあす)

小山田圭吾(おやまだ けいご) 1969.1.27.東京都出身。1989年に「フリッパーズ・ギター」のメンバーとしてデビュー。91年の解散後、ソロユニット「CORNELIUS」として始動しました。98年にはアメリカのマタドール・レコードと契約。3作目の『Fantasma』と4作目の『POINT』を世界21か国でリリースし、ワールドツアーを開催。世界規模での活動をスタートさせます。自身の活動以外にも、国内外の多数のアーティストとのコラボレーションやプロデュースなど幅広い活躍を行い、近年は「YMO」のサポートメンバーとしての顔も見せています。

ゴスペラーズ

ゴスペラーズ(ごすぺらーず)  1991年、早稲田大学のア・カペラ・サークルで、村上てつや(むらかみてつや)、黒沢薫(くろさわかおる)らによって結成されました。94年、インディーズでミニアルバム『Down To Street』をリリースしますが、その後メンバーチェンジがあり、酒井雄二(さかいゆうじ)、安岡優(やすおかゆたか)、北山陽一(きたやまよういち)が加入し、現在の編成に。94年、シングル「Promise」でメジャーデビューしますが、ア・カペラ・コーラスに馴染みがないこともあって低迷。しかし、2000年に「永遠」がロングセラーになったのをきっかけに、翌01年「ひとり」が大ヒットしてブレイク。大人の味わいをもったバラードグループとして支持されています。グループとしての活動の一方、黒沢がソロデビューしたり、村上と酒井が鈴木雅之らとゴスペラッツを結成したりと、メンバーの個別活動も行っています。

ゴダイゴ

GODIEGO(ごだいご) ゴールデンカップスに在籍していたミッキー吉野(よしの kb)が1976年に結成したバンド。メンバーはタケカワ・ユキヒデ(vo)、浅野孝己(あさの たかみ g)、スティーブ・フォックス(b)、浅野良治(あさの りょうじ d)でしたが、ドラマーは後にトミー・スナイダーに替わっています。76年、シングル「僕のサラダガール」でデビュー。CM、映画音楽などにも柔軟な姿勢で取り組んでいましたが、78年にテレビドラマ『西遊記』のテーマ曲を手がけ、「ガンダーラ」「モンキー・マジック」の」ヒットを放っています。85年に活動を停止しましたが、99年に復活。その後も何度かグループとして活動しています。

GONTITI

GONTITI(ごんちち) 1978年に結成された、ゴンザレス三上とチチ松村によるインストゥルメンタル・アコースティック・ギターデュオ。83年にアルバム『ANOTHER MOOD』でメジャーデビューして以来、現在までに40枚を超える作品を発表し、全米やアジアなどでもリリースされています。やわらかく豊かなメロディは老若男女を問わず支持されており、数多くのCMや映画音楽などでも彼らの音色を耳にすることができます。また、活動は音楽制作だけにとどまらず、エッセイ執筆やグラフィックデザインの分野でも活躍中。結成30年を超えてなお、クリエイティブシーンで注目を集める存在となっています。

GO-BANG&apos;S

GO-BANG’S(ごーばんず) 1983年に札幌市で結成。メンバーチェンジを経て、森若香織(もりわか かおり vo、g)、谷島美砂(たにしま みさ b)、斉藤光子(さいとう みつこ d)のラインナップで、88年にアルバム『ゴーパニックランド』でメジャーデビュー。CMソングに起用された「あいにきてI・NEED・YOU!」で人気に火が点き、90年には初の日本武道館ライヴを成功させます。93年に斉藤が脱退、翌年の『BIONIC ROCK』を最後に解散。2009年には、オリジナルメンバーでの一夜限りの再結成を果たしました。