アーティスト アーカイヴ
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仲井戸麗市
1950年10月9日生まれ 、東京都新宿区出身のロック・ギタリスト。愛称は“チャボ(CHABO)”。“麗市”は敬愛するフォーク・シンガー、ドノヴァン・フィリップ・レイチが由来。高校時代にロック・バンド“古井戸”を結成。72年に『古井戸の世界』でデビューを果たす。79年の解散後、RCサクセションに正式加入。忌野清志郎とともに時代を代表するロック・ギタリストとしてシーンに君臨。以降、85年には初のソロ・アルバム『THE 仲井戸麗市 BOOK』を発表。91年には土屋公平とのユニット“麗蘭”を結成するなど、多岐に渡って活動を展開。自身のライヴのほか、ゲストとして数多くのアーティストのステージで活躍中。
中島みゆき
1952年2月23日生まれ。北海道出身。高校生の頃からオリジナル曲を歌い、大学生時代には多くのコンテストにも出場するなど、活発なアマチュア活動をしていました。75年、「第9回ポピュラーソング・コンテスト(ポプコン)」に「傷ついた翼」で入賞し、9月に「アザミ嬢のララバイ」でレコードデビュー。同年の「第10回ポプコン」では「時代」でグランプリ獲得。「第6回世界歌謡祭」でもグランプリを得ました。その後、シンガー・ソングライターとして、心の内面をえぐる豊かな情感をたたえた曲を数多く発表し、根強い支持を得ていきました。「わかれうた」「悪女」「空と君のあいだに」など多くのヒット曲を送り出している他、89年にスタートさせた『夜会』では、革新的な舞台音楽表現にアプローチしています。
中村あゆみ
中村あゆみ(なかむらあゆみ) 1966.6.28生まれ、福岡県出身。福岡でプロデューサー高橋研に見出されて84年にシングル「MIDNIGHT KIDS」でレコードデビュー。せつなさを込めたシャウトヴォーカルで歌い上げるスタイルが注目を集め、85年の「翼の折れたエンジェル」の大ヒットでブレイクしました。デビュー当初の楽曲は高橋研が手掛けていましたが、その後、自らソングライティングやプロデュースも行うなど、アーティストとしての成長を見せていきます。90年代以降、結婚・出産などでアーティスト活動をセーブしていましたが、04年の「湯沢フィールド音楽祭」出演をきっかけに、本格的な活動を再開しています。
中山ラビ
東京都出身のシンガー・ソングライター。ボブ・ディランや岡林信康らに影響を受ける。大学在学中に詩人の中山容が訳詞したボブ・ディラン「俺じゃだめ」でライヴ・デビューを飾り、“女ボブ・ディラン”の異名をとる。以後、関西に拠点を移す。1972年12月、1stアルバム『私ってこんな』でメジャー・デビュー。ラジオのパーソナリティやシングルがドラマ主題歌に起用されるなどで耳目を集める。その後、演劇や舞踊など他分野とのコラボレーションなど新たな活動に取り組むも、80年代後半に活動停止。97年に活動再開。また、バンド“ラビ組” を結成。東京・国分寺の喫茶店“ほんやら洞”のオーナーを務めながら、ライヴ活動を継続。
なぎら健壱
なぎら健壱(けんいち) 1952.4.16.東京都出身。70年の第二回全日本フォークジャンボリーに飛び入り出演。そのときに歌った「怪盗ゴールデンバットの歌」がフォー クジャンボリーのライヴアルバムに収録されて注目を浴び、72年にアルバム『万年床』でレコードデビューしました。73年には、大相撲をテーマにしたコミカルなシングル「悲惨な戦い」をリリース、歌詞に問題があると放送禁止となりましたがヒットを記録。その後も、カントリーフォーク色の強い曲を中心にしたシンガー・ソングライターとして活躍を続けています。同時に、俳優、エッセイストとしても高い評価を受けています。デビュー当初は「なぎらけんいち」でしたが、現在は「なぎら健壱」と表記しています。
ニュー・サディスティック・ピンク(NSP)
NSP(えぬえすぴー)
岩手県一関工業高等専門学校の同級生、天野 滋(あまの しげる vo、g)、中村 貴之(なかむら たかゆき vo、g )、平賀 和人 (ひらが かずと vo、b )が1972年に結成したフォークグループ。73年、ポプコンでニッポン放送賞を受賞したのをきっかけにデビュー。74年、「夕暮れ時はさびしそう」が大ヒットし、同年のアルバム「N.S.P. Ⅲ ひとやすみ」もオリコン4位のヒットを記録し、叙情派フォークを代表するグループとなりました。85年、中村、87年、平賀の脱退でNSPの活動は停止しましたが、2002年にオリジナルメンバーで復活。精力的に活動を再開しましたが、05年、天野の急死で幕を閉じました。
猫
猫(ねこ) 1971年、カレッジフォークの人気グル―プだったザ・リガニーズの常富喜雄(つねとみ のぶお)、内山 修(うちやま おさむ)と、ジ・アマリーズの田口 清
(たぐち きよし)が結成したグループが「猫」です。当初は吉田拓郎のバックバンドもし
ていましたが、72年に「人生なんてそんなものさ」でレコードデビュー。同年、吉田拓郎が作詞・作
曲した「雪」「地下鉄に乗って」がヒットして、人気グループの仲間入りをしまし
た。その後、石山恵三(いしやま けいぞう)、西木栄二(にしき えいじ)が参加します
が、西木は短期間でグループを離れ、御守孝明(おんもり たかあき)が短期間在籍し
た後、大久保一久(おおくぼ かずひさ)に替わりました。しかし、75年に大久保は伊
勢正三と「風」を結成するためにグループを離れ、その後まもなく「猫」も解散となりまし
た。
野宮真貴
野宮真貴(のみや まき) 1981年、ムーンライダーズの鈴木慶一プロデュースによる『ピンクの心』でデビュー。その後、「ポータブル・ロック」のヴォーカリストとして活躍。東京ニューウェイヴ・シーンの歌姫として愛されます。90年、ピチカート・ファイヴに3代目ヴォーカリストとして参加。渋谷系文化のアイコンとして、日本及び海外の熱狂的な人気を集めました。現在は、独創的な存在感と歌声で、音楽に加え、カルチャーや アート、ファッションなど多方面で活躍中。そのエッセンスを凝縮したシアトリカルなライヴパフォーマンスが近年の白眉として、注目を集めています。2020年は還暦イヤーを迎え、音楽、ファッションやヘルス&ビューティーのプロデュース、エッセイストなど多方面で活躍している。