アーティスト アーカイヴ

斉藤和義

斉藤和義

斉藤和義(さいとうかずよし) 1966.6.22生まれ、栃木県出身。中学、高校時代はギタリストとしてバンド活動をし、大学時代から曲作りをはじめました。93年8月、シングル「僕の見たビートルズはTVの中」でレコードデビュー。シンガー・ソングライターとしてレコーディング精力的にこなすとともに、弾き語りでもバンドスタイルでも、ビート感のなかに味わいのあるヴォーカルを聴かせるライヴアーティストとして多くのファンに支持されています。「歩いて帰ろう」「歌うたいのバラッド」「ずっと好きだった」など、ヒット曲も数多く送り出しています。

斉藤哲夫

斉藤哲夫

斉藤哲夫(さいとう てつお)  1950.4.4.埼玉県出身。ボブ・ディランの影響を受けて歌い始め、69年頃にはあがた森魚らと活動をしていました。70年、URCからシングル「悩み多き者よ」でレコードデビュー。同年の全日本フォークジャンボリーでも話題となりました。その後、ポップな感覚を表に出した「バイバイ・グッドバイ・サラバイ」などを発表し、80年には「いまのキミはピカピカに光って」をヒットさせています。

坂本龍一

坂本龍一

坂本龍一(さかもと りゅういち) 1952.1.17.東京都出身。東京藝術大学作曲科で学ぶ一方、友部正人のアルバム『誰もぼくの絵を描けないだろう』への参加を皮切りにスタジオミュージシャンとして活動。山下達郎、大滝詠一、大貫妙子らのレコーディングにも参加します。78年に細野晴臣、高橋幸宏と「YMO」を結成し、同年、ソロアルバム『千のナイフ』を発表。その後も、YMOの活動と並行して、忌野清志郎とのシングル「い・け・な・いルージュマジック」の制作、大島渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』への出演と音楽担当など、幅広いフィールドでの活動を展開。YMO「散開」後も国際的スケールでクリエイティブな活躍を続けています。

サザンオールスターズ

サザンオールスターズ

サザンオールスターズ  青山学院大学の音楽サークルのなかで生まれたバンド。メンバーは桑田佳祐(くわた けいすけ vo、g)、原 由子(はら ゆうこ vo、kb)、大森隆志(おおもり たかし g)、関口和之(せきぐち かずゆき b)、松田 弘(まつだ ひろし d)、野沢秀行(のざわ ひでゆき perc)。78年にオリジナリティあふれる「勝手にシンドバッド」でセンセーショナルにデビューし、79年のバラード「いとしのエリー」の大ヒットで人気を確立しました。その後も「チャコの海岸物語」「涙のキッス」など多くのヒット曲、そしてクオリティの高いアルバムを世に送り出し、日本を代表するバンドとして存在感を発揮し続けましたが、2009年から無期限活動休止に入っています。

さだまさし

さだまさし

さだまさし 1952.4.10.長崎県出身。バイオリニストを目指し挫折。72年に吉田正美(よしだ まさみ)とグレープを結成してデビューしましたが76年に解散し、同年「線香花火」でソロデビュー。人の心の機微をとらえた叙情的な作品で多くのファンに支持されていましたが、79年のシングル「関白宣言」でさらに世代を超えた人気者になりました。巧みな話術と、クオリティの高い演奏で数々の名曲がたっぷり楽しめるコンサートの楽しさにも定評があり、今でもコンスタントに年間約100本のホールコンサートを行なっています。

サディスティックス

サディスティックス

サディスティックス 75年のサディスティック・ミカ・バンド解散にともなって、メンバーだった高中正義(たかなか まさよし g)、今井 裕(いまい ゆう kb)、後藤次利(ごとう つぐとし b)、高橋幸宏(たかはし ゆきひろ d)が76年に結成したのがサディスティックスです。『sadistics』などのアルバムを発表した他、矢沢永吉のバックバンドも勤めましたが、79年に解散。

サディスティック・ミカ・バンド

サディスティック・ミカ・バンド

ザ・フォーク・クルセダーズ解散後ソロ活動を行っていた加藤和彦(かとう かずひこ)が、当時のロンドンを中心としたポップ・ムーブメントの刺激を受けて結成したバンド。ファッショナブルで洗練された音楽性とビジュアルで注目されました。1972年6月、加藤が設立したドーナツ・レーベルからファースト・シングル「サイクリング・ブギ」をリリースしましたが、このときのドラムスはつのだひろでした。加藤(vo、g)とミカ(みか vo)を中心に高中正義(たかなか まさよし g)、今井裕(いまい ゆう kb)、小原礼(おはら れい b)、高橋幸宏(たかはし ゆきひろ d)のメンバーが固まったのは同年末といわれます。73年5月にファースト・アルバム『サディスティック・ミカ・バンド』を発表た後、74年にプロデュースにクリス・トーマスを迎えた『黒船』を発表。『黒船』はイギリスでも話題となり、75年にはロキシー・ミュージックとのイギリスツアーを成功させ、国際的評価を得ます。なお、この時にベーシストが後藤次利(ごとう つぐとし)に替わっています。同年、惜しくも解散しました。

佐藤奈々子

佐藤奈々子

東京都中野区出身の日本の女性歌手/写真家。慶應義塾大学卒。1977年、アルバム『ファニーウォーキン』でデビュー。80年にニューウェイヴ・バンド“SPY”を結成。その後、プロカメラマンとして広告・雑誌などで活躍。87年より5年間、パリに在住。93年の帰国後に音楽活動を再開。96年、アルバム『LOVE IS A DRUG』を日・米・英で発表。以降、国内外問わず音楽を発信。ピチカート・ファイヴへ提供した「Twiggy Twiggy」などもその一つ。近年はCocco、細野晴臣らのCDジャケット写真も手掛ける写真家と並行し、nanaco名義での音楽活動を展開。旭化成「ヘーベルハウス」ほかCMナレーションも多い。

佐藤博

佐藤博

佐藤 博(さとう ひろし) 1947.6.3.鹿児島県出身、2歳で京都へ。中学生の頃から音楽に熱中し、20歳でピアノを独学でマスター。その後、上田正樹らとバッドクラブ・バンド結成、オリジナル・ザ・ディランへの参加などを経て、75年に鈴木茂とハックルバックを結成。同時にティン・パン・アレイのセッションメンバーとしても活動。76年、ソロ・アルバム『SUPER MARKET』をリリース。79年に渡米しトップ・ミュージシャンと交流。82年の帰国後も、マイペースでオリジナリティあふれるハイクオリティな音楽をつくり続けています。

サニーデイ・サービス

サニーデイ・サービス

サニーディ・サービス(さにいでいさあびす) 1992年、大学生だった曽我部恵一(そかべけいいち vo、g)を中心に結成されました。インディーズで活動した後、94年7月にシングル「星空のドライブ」でメジャーデビューし、デビュー後に現在の編成―曽我部、田中貴 たなかたかし b)、丸山晴茂(まるやまはるしげ d)―となりました。曽我部の豊かな情感に満ちた詞や70年代のフォーク・ロックに通じる独自なサウンドが注目され、精力的に活動を展開していきましたが、2000年12月に解、突然解散。08年に同じメンバーで再結成しています。

佐野元春

佐野元春

佐野元春(さの もとはる) 1956.3.13.東京都出身。さまざまなバンドを経て、ロックテイストのシンガー・ソングライターとして、80年にシングル「アンジェリーナ」でレコードデビュー。81年に「SOMEDAY」がヒット。また82年には、大滝詠一、杉 真理とのジョイントアルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』でも話題となりました。83年にはニューヨークに移り、ヒップホップなどのムーブメントを吸収し、自らの音楽生をブラッシュアップするなど、時代と対峙しながら研ぎ澄まされたストリート感覚をもった作品をつくり続けています。

サンディー&ザ・サンセッツ

サンディー&ザ・サンセッツ

“久保田麻琴と夕焼け楽団”として70年代から活動していた久保田麻琴が、80年代初頭、夕焼け楽団を“サンセッツ”に改名して活動を再開。バック・ヴォーカルとして参加したサンディーをメイン・ヴォーカリストに迎えてグループを再編し“サンディー&ザ・サンセッツ”となった。82年にファースト・アルバム『イミグランツ』を発表。アジア、オーストラリアなどで活動を展開し、オーストラリアでは「スティッキー・ミュージック」がヒット。

サンディー

サンディー

サンディー(さんでぃー)、Sandii

1976年に世界歌謡祭で最優秀歌唱賞を受賞し、シンガーとしてのキャリアをスタートさせました。80年に、細野晴臣プロデュースのアルバムを日英でリリース後、久保田麻琴が率いるザ・サンセッツのヴォーカルとして活躍、90年、再びソロになってからも歌謡曲やハワイアン、アジアの音楽を融合した独自のスタイルでワールドミュージック・ブームの先駆者となりました。またハワイのフラ・カルチャーの最高位である「ウニキ・クム・フラ」の称号を持ち、自身のフラ・スタジオで門下生を育てています。2009年から、カリンバ奏者のBUNとのユニット、SANDIIBUNBUNとしても活動しています。

サンハウス

サンハウス

サンハウス 柴山俊之(vo)と鮎川誠(g)を中心に結成された日本のブルース・ロック・バンド。バンド名は米ブルース歌手、サン・ハウスが由来。1975年に1stアルバム『有頂天』でメジャー・デビュー。日比谷野外音楽堂でのデビュー・ライヴ後は、ゴダイゴやcharとともに全国ツアーを開催。78年3月、3rdアルバム『ドライヴ・サンハウス』リリース同日に解散を発表。解散後は各自活動を続け、83年に再結成し、東京、福岡、仙台でライヴを開催。2010年にも再結成を果たし、結成35周年記念となる全国ツアーを行なった。

サーカス

サーカス

サーカス 1978年に「Mr.サマータイム」でデビューしたコーラスグループ。メンバーは、叶 高(かのう たかし)、叶 正子(かのう まさこ)、卯月節子(うずき せつこ)、叶 央介(かのう おうすけ)。男女2人ずつ、しかも三人姉弟と従姉というユニークな構成で、息の合ったコーラスを聞かせています。84年、結婚のためグループを離れた卯月の替わりに原 順子(はら じゅんこ)が加入、その後、叶 央介と結婚し、ファミリー・グループというスタイルは維持されています。現在も、洗練された大人のコーラスグループとして活動を続けています。

財津和夫

財津和夫

財津和夫(ざいつ かずお) 1948.2.19.福岡県出身。チューリップを結成し、1972年「魔法の黄色い靴」でデビューしました。89年の解散まで中心メンバーとして活動。チューリップと並行したソロ・アーティストとして、80年には「WAKE UP」をヒットさせたほか、93年にチューリップ時代の曲のセルフカバー「サボテンの花」が、テレビドラマ『ひとつ屋根の下』のテーマ曲となり大ヒット。シンガー・ソングライターの他、俳優としても活躍しています。

ZARD

ZARD

ZARD(ざーど) ヴォーカルの坂井泉水(さかい いずみ)を中心にして結成されたユニット。1992年にシングル「Good-bye My Loneliness」でメジャーデビューしました。93年発表の6作目となるシングル「負けないで」がミリオンセールスを記録、翌年の春の選抜高校野球入場行進曲に選ばれ、幅広い層のファンを獲得します。メディアにほとんど出演しないスタンスでしたが、「揺れる想い」「マイフレンド」などヒット曲を連発し、絶大な支持を集めます。しかし、2007年5月に坂井泉水が急逝。透明感のある歌声は、現在もなお多くのファンを魅了し続けています。

椎名林檎

椎名林檎

椎名林檎(しいな りんご) 1978.11.25.埼玉県出身。中学生時代からバンド活動を行い、1996年には第5回ヤマハミュージッククエストに出場し、優秀賞を受賞。98年にシングル「幸福論」でデビューしました。“新宿系自作自演屋”を自称し、シングル「歌舞伎町の女王」で注目を集めます。「ここでキスして。」「本能」「ギブス」などヒットを重ねますが、2003年にはソロ活動を一時封印し、バンド「東京事変」を結成。『教育』『大人(アダルト)』といった作品を発表しました。2012年2月のバンド解散後も、新曲「自由へ道連れ」をリリース。配信限定ながらビルボードのエアプレイチャートで2位になるなど、ひとつの型にはまらない精力的な活動が続いています。

下田逸郎

下田逸郎

1948年生まれ、宮崎県出身のシンガー・ソングライター。68年、浜口庫之助ミュージック・カレッジ同期の斉藤ノブと“シモンサイ”を結成。同年12月に東京キッドブラザースの旗揚げに参加。70年、シモンサイとしてデビュー。翌年にはソロ1stアルバム『遺言状』を発表。その後、ニューヨークへ渡り、帰国後の73年にアルバム『飛べない鳥,飛ばない鳥』発表。日米混血のアシッド・フォークといえる独自のスタイルでその後「セクシー」「踊り子」などのヒットを放つ。30代後半からの放浪生活を経て、40代に活動再開。以降、自分の物語としての唄やラヴ・ソング、遺言歌の制作へとのめり込む。現在『ひとひらあわせ』シリーズを制作中。

シャネルズ → ラッツ & スター

シャネルズ → ラッツ & スター

CHANELS、後にSHANELS(しゃねるず) 1975年、ドゥーワップに熱中していた鈴木雅之(すずき まさゆき)が、中学生時代の仲間だった田代(たしろ)まさし、佐藤善雄(さとう よしお)、久保木博之(くぼき ひろゆき)らとシャネルズを結成。その後、メンバーの入れ替わりがあり、桑野信義(くわの のぶよし)らが加入します。78年頃から、顔を黒く塗って舞台に立つなど、ショーアップされたステージが話題となり、80年にレコードデビュー。デビュー曲「ランナウェイ」が大ヒットし、たちまち人気グループになります。しかし、83年にシャネルズとしての活動をストップ。後に「ラッツ&スター」として再出発します。

シャ乱Q

シャ乱Q

シャ乱Q(しゃらんきゅう) 1988年、大阪の3つのインディーズバンドから、つんく(vo)、はたけ(g)、まこと(d)、しゅう(b)、たいせー(kb)が集まって結成されました。91年、アマチュアバンドコンテストなどでチャンスを掴み、翌92年に「18ケ月」でデビュー。「上・京・物・語」「シングルベッド」「ズルい女」などをヒットさせてブレイク。キャッチ―な親しみやすさを持ったポップバンドとして人気を集め、96年には「いいわけ」でレコード大賞優秀作品賞、編曲賞を受賞しました。98年、しゅうが脱退。バンドは4人で活動を続けましたが、2000年に活動休止しメンバーはソロ活動を展開していきます。06年、活動を再開し、08年には日本武道館でシャ乱Q結成20周年ライヴを行いました。

シュガー・ベイブ

シュガー・ベイブ

セッションを通じて意気投合した山下達郎(g、vo)、大貫妙子(vo、kb)を中心に1973年に結成されました。他のメンバーは村松邦男(g)、鰐川己久男(b)、野口明彦(d)。ライブハウスを中心にステージ活動を展開するとともに、ハーモニーワークを買われて、大滝詠一、荒井由実らのコーラスも手がけました。その後、鰐川、野口が寺尾次郎(b)、上原 裕(d)にメンバーチェンジとなりましたが、75年に発表されたアルバム『SONGS』では新旧のメンバーが共に参加しています。メンバー・チェンジ後もライヴシーンで人気を高めていきましたが、76年3月に解散しています。

少年ナイフ

少年ナイフ

少年ナイフ(しょうねんないふ) 1981年にNaoko(なおこ vo、g)を中心に大阪で結成。83年にファーストアルバム『BURNING FARM』を発表します。85年に同作がアメリカでリリースされた後は、ヨーロッパ各地でも注目されるようになり、92年には日本とアメリカ、イギリスの3か国でメジャーデビューを果たしました。2011年には結成30周年記念として初のカヴァーアルバムを発表。現在も世界各国でライヴツアーを行い、国内外の根強いファンから熱い支持を得ています。

庄野真代

庄野真代

1954年12月23日生まれ、大阪府大阪市出身のシンガー・ソングライター。76年、『あとりえ』でデビューし、都会派ニューミュージック歌手として注目される。78年に「飛んでイスタンブール」でブレイク。続く、「モンテカルロで乾杯」「マスカレード」もヒットし、同年末のNHK『紅白歌合戦』に初出場。80年には世界中を渡り歩き、歌手活動のほか講演、司会、リポーター、ミュージカルやドラマなど幅広く活動を展開。91年にはシンガポール、マレーシア、香港でCDデビューするなど、国際的に活躍。2000年以降は東南アジアなどでのチャリティーコンサートにも尽力している。

SHOW-YA

SHOW-YA

SHOW-YA(しょうや) 1981年に結成されたガールズ・バンド。メンバーは寺田恵子(てらだけいこ vo)、中村美紀(なかむらみき kb)、角田美喜(つのだみき d)、仙波さとみ(せんばさとみ b)、五十嵐美貴(いがらしみき g)。82年、ヤマハLight Music Contest’82レディース部門で優秀賞、および寺田がベストヴォーカリスト賞を受賞しました。85年、シングル「素敵にダンシング」でレコードデビュー。国内外でのライヴを積極的に行い、本格派ロック・バンドとしての力量を示していくとともに、イベント「NAONのYAON」を開催するなど、女性ロッカーのシーンを広げていくための活動も積極的に行っていきました。91年、寺田が脱退し、SHOW-YAはヴォーカリストを替えて活動を続けましたが98年に解散。しかし、2005年にオリジナルメンバーで活動を再開させています。

SHOGUN

SHOGUN

SHŌGUN(ショーグン) ギタリストの芳野藤丸(よしの ふじまる)をはじめ、スタジオミュージシャンによって結成されたバンドで、メンバーは芳野藤丸、大谷和夫(おおたに かずお kb)、ミッチー長岡(ながおか b)、山木秀夫 (やまき ひでお d)、中島 御(なかじま おさむ perc)、ケーシー・ランキン(g、vo)。1979年にテレビドラマ『俺たちは天使だ!』の主題歌「男達のメロディー」でデビューし、ヒットを記録。続いて『探偵物語』の音楽も担当するなど脚光を浴びましたが、80年に活動停止。97年と2001年の短期間活動を経て、2010年に復活しました。

SING LIKE TALKING

SING LIKE TALKING

SING LIKE TALKING(しんぐ らいく とーきんぐ) 佐藤竹善(さとうちくぜん vo、kb、g)を中心に1985年に前身となるバンドを結成。87年に佐藤、藤田千章(ふじたちあき syn、kb)、西村智彦(にしむらともひこ g)の3人編成となり、翌年シングル「Dancin' With Your Lies」でメジャーデビューしました。2003年以降は一時バンド活動を休止し、それぞれのソロ活動や他アーティストのサポート、プロデュースなど多方面で活躍。11年に約8年ぶりの『Empowerment』を発表し、本格復帰となりました。13年にはデビュー25周年を迎え、記念アルバムのリリースやライヴ開催など意欲的な活動を見せています。

シーナ & ロケッツ

シーナ & ロケッツ

シーナ&ロケッツ サンハウスを解散した鮎川 誠(あゆかわ まこと g)が夫人のシーナ(vo)、奈良敏博(なら としひろ b)、川島一秀(かわしま かずひで d)と結成したバンド。1978年にシングル「涙のハイウェイ」でレコードデビュー。タイトなギター・ロックとシーナのファンキーなヴォーカルで注目され、79年には細野晴臣がプロデュースしたアルバム『真空パック』をリリース。同年、ベーシストが浅田 猛(あさだ たけし)に替わっています。ライヴを中心に活動を展開し、90年代にはドラマー、ベーシストとメンバーチェンジが続きましたが、現在はオリジナルメンバーに戻っています。

ZIGGY

ZIGGY

ZIGGY(じぎー) 1984年に森重樹一(もりしげ じゅいち vo)を中心に結成。87年にメジャーデビューを果たすと、グラマラスなルックスとキャッチーなメロディで注目を集め、89年リリースの「GLORIA」が大ヒット。同年には日本武道館でのライヴを成功させ、高い人気を得ます。しかし91年に活動休止、「SNAKE HIP SHAKES」としての活動を経て、2002年に再始動。メンバーチェンジを重ねながらも、2007年にアルバムを発表しライヴを行いますが、再び無期限の活動休止に。2011年には森重がソロ活動に専念することを発表しました。

じゃがたら

じゃがたら

じゃがたら 1979年、江戸アケミを中心に、江戸アケミ&じゃがたらとして活動を開始。ステージごとにグループ名を変えたり、過激なパフォーマンスなどで、ライヴシーンで話題を呼んでいきました。82年、暗黒大陸じゃがたらの名で、ファンク色の強いファーストアルバム『南蛮渡来』をリリース。これをきっかけに、本格的活動を展開していきますが、江戸アケミが療養のため84~86年は活動を休止。彼の復活後、セカンドアルバム『裸の王様』(87年)など、次々に注目作を発表していきましたが、90年に江戸アケミが入浴中に事故死したことでグループは解散しています。

ジャックス

ジャックス

ジャックス 1965年頃、早川義夫(はやかわ よしお)を中心に結成されたバンドが発展してジャックスとなりました。本格的に活動を始めた時のメンバーは、早川義夫(vo、g)、水橋春夫(みずはし はるお g)、谷野ひとし(たにの ひとし b)、木田高介(きだ たかすけ d)。67年、第一回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストのフォーク部門で2位となり、翌年シングル「からっぽの世界」でレコードデビュー。異色のロックバンドとして注目を集めました。しかし、この年ファーストアルバム『ジャックスの世界』のリリース後、水橋春夫が脱退。水橋の替わりに角田ヒロ(つのだ ひろ d)が加入し、69年にセカンドアルバム『ジャックスの奇蹟』を発表しましたが、同年、中津川で行なわれた全日本フォークジャンボリーへの出演を最後に解散しました。

JUDY AND MARY

JUDY AND MARY

JUDY AND MARY(じゅでぃ あんど まりー) 「Jacks'n Joker」に在籍していた恩田快人(おんだ よしひと b)がYUKI(ゆき vo)と出会い、1992年に結成。後に五十嵐公太(いがらし こうた d)、TAKUYA(たくや g)が加入し、93年にシングル「POWER OF LOVE」でメジャーデビューしました。96年発表の9作目のシングル「そばかす」がミリオンセールスとなり、初のオリコンチャート1位を記録。日本武道館公演チケットが即日完売するなど、人気バンドへと成長します。2001年、ファンに惜しまれながらも解散。これ以降、4人そろってのメディア登場などはなく、現在でも「復活してほしいバンド」ランキングの上位となる人気バンドです。

JUN SKY WALKER(S)

JUN SKY WALKER(S)

JUN SKY WALKER(S) (ジュン・スカイ・ウォーカーズ) 1980年、宮田和弥(みやた かずや vo)、森 純太(もり じゅんた g)、伊藤 毅(いとう つよし b)、小林雅之(こばやし まさゆき d)によって結成されました。その後、ベーシストは寺岡呼人(てらおか よひと)に替わり、88年、アルバム『全部このままで』でレコードデビュー。エネルギッシュでてらいのない演奏でファンを獲得していきます。93年、寺岡がグループを離れてオリジナルメンバーの伊藤が再加入、日本のロックシーンを代表するバンドとして活動を続けていきますが、97年に解散。しかし、2011年に復活しました。

ジョニー、ルイス & チャー

ジョニー、ルイス & チャー

ジョニー・ルイス&チャー 1978年、「スモーキー・メディスン」を解散してソロ活動をしていたチャー(g、vo)が元「ゴールデン・カップス」のルイズ・ルイス加部(るいずるいす かべ b)と元「イエロー」のジョニー吉長(じょにーよしながd)に呼びかけて結成したスーパー・グループ。1979年、日比谷野外音楽堂で無料のデビュー・ライヴを開催、このライヴ音源をアルバム『FREE SPIRIT』としてリリースしました。ブルースをベースにした緊張感のあるアンサンブルで人気となります。82年に「PINK CLOUD」と改名。グループとしてのセッションとメンバーのソロを織り交ぜつつ活動を続けましたが、94年9月に解散しました。2007年ごろより再結成して活動を開始しましたが、2012年6月4日、ジョニー吉長が肺炎のため死去し、3人のセッションは叶わぬものとなりました。

ジローズ

ジローズ

ジローズ 1967年に杉田二郎(すぎた じろう)が塩見大治郎(しおみ だいじろう)、細野徹次郎(ほその てつじろう)と結成したフォークグループ。68年に「あなただけに」を発表しますが、同年解散。その後、杉田は、フォーククルセダーズを解散したはしだのりひこの新グループ「シューベルツ」に参加しましたが、シューベルツ解散後の70年に森下次郎(もりした じろう)と第二次ジローズを結成し「「戦争を知らない子供たち」でデビュー。第二次ジローズは72年まで活動を続けました。

スガシカオ

スガシカオ

スガシカオ  東京都出身。中学生時代にギターを弾き始め、高校時代にソウルミュージックに傾倒。大学時代から本格的活動をはじめ、1995年にシングル「0101」をインディーズでリリースし、97年に「ヒットチャートをかけぬけろ」でメジャーデビュー。ソフィスティケートしたスタイルのなかにソウルスピリットを感じさせる作品を精力的にリリースし続けています。SMAPの「夜空ノムコウ」の作詞を手掛けるな、ソングライターとしても高く評価されています。

スキマスイッチ

スキマスイッチ

スキマスイッチ(すきますいっち) 大橋卓弥(おおはしたくや 1978.5.9愛知県生まれ)と常田真太郎(ときたしんたろう 1978.2.25 愛知県生まれ)によるユニット。大橋が、自作曲の編曲を常田に依頼したことがきっかけで結成されました。インディーズでの活動を経て2003年にシングル「view」でメジャーデビュー。05年にリリースした「全力少年」が大ヒットしてブレイク。曲作りから編曲、プロデュースまですべて自分たちで行うというスタイルでアーティスト活動を行うとともに、06年に福耳のシングル「惑星タイマー」の作詞・作曲・プロデュースを行うなど、他のシンガーへの作品提供も行っています。

杉田二郎

杉田二郎

1946年11月2日生まれ、京都出身のシンガー・ソングライター。フォーク全盛の67年頃に“ジローズ”を結成。ラジオ『ヤングタウン』にて「あなただけに」が注目され、68年4月にデビュー。2ヵ月後にジローズは解散。同年10月、“はしだのりひことシューベルツ”を結成し、「風」「さすらい人の子守唄」などのヒットを放つ。70年、森下次郎と“(第2次)ジローズ”を結成、「戦争を知らない子供たち」がヒット。72年からはソロ活動を開始。「男どうし」「ANAK(息子)」などのヒット作ほか多くの楽曲制作とコンサート活動を精力的に展開。2014年には堀内孝雄、ばんばひろふみ、高山厳、因幡晃と“ブラザーズ5”を結成。

杉真理

杉真理

杉 真理(すぎ まさみち) 1954.3.14.福岡県出身。77年に「Mari & Red Stripes」としてシングル「思い出の渦」でデビュー。80年にはシングル「HOLD ON」でソロデビューしました。ソングライターとしては山口百恵、松田聖子らへの作品提供もしています。82年、大滝詠一、佐野元春とのジョイントアルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』を制作。以降、ポップス感覚豊かなシンガー・ソングライターとして活躍を続けています。

杉山清貴

杉山清貴

杉山清貴(すぎやまきよたか) 1959.7.17生まれ、神奈川県出身。80年、ラテンテイストをもったアメリカン・ロック志向のバンド、きゅうてぃぱんちょすでポピュラーソングコンテスト入賞。83年に杉山清貴&オメガトライブとしてシングル「Summer Suspicion」でデビュー。「ふたりの夏物語」などのヒットで脚光を浴びましたが、85,年にバンドを解散し、シンガー・ソングライターとしてソロ活動をスタートさせます。「水の中のAnswer」「SHADE~夏の翳り~」 など、夏のテイストをもったシンガーとして人気を得ますが、次第により自由なライフスタイルの中で自分を表現するようになっていきます。海岸の美化キャンペーンなどのエコロジカルなイベントなどにも積極的に取り組んでいます。