アーティスト アーカイヴ
ヤ
矢井田瞳
矢井田 瞳(やいだひとみ) 1978.7.28、大阪府出身。99年にシングル「nothing」をリリースしていますが、この時はSEESEEという名義でした。翌2000年には、インディーズから矢井田瞳としてシングル「Howling」をリリース。同じ年にシングル「B’coz I Love You」でメジャーデビューし、セカンドシングル「my sweet darlin’」を大ヒットさせてブレイクしました。素直な感情を託した飾らない歌で多くの人々を魅了し、積極的に大型コンサートも開催されました。しかし、観客とより密接な音楽空間を作ることを大切にするため、2004年を最後にドームコンサートを行っていません。
八神純子
1958年1月5日生まれ、愛知県名古屋市出身のシンガー・ソングライター。“ジューン・スタンレー”名義での活動もあり。74年、第8回ポピュラーソングコンテストで「雨の日のひとりごと」「幸せの時」がともに入賞、翌年の同コンテストでも「幸せの国へ」が優秀曲賞となるなど、デビュー前より高い評価を獲得。78年、シングル「思い出は美しすぎて」でプロ・デビュー。3枚目のシングル「みずいろの雨」が大ヒットし、以降「想い出のスクリーン」「ポーラー・スター」「Mr.ブルー~私の地球~」「パープルタウン」などヒットを連発。87年からはロサンゼルスへ拠点を移して活動。2012年より本格的に日本でのライヴ活動を再開。
矢野顕子
幼少期を青森で過ごし、この頃からピアノを習っていましたが、青山学院高等部に進んだ頃からジャズクラブなどで演奏するようになりました。1972年頃からティン・パン・アレイ系セッションの常連となり、いくつもの作品に参加しています。76年、アルバム『JAPANESE GIRL』でデビューして脚光を浴びますが、ソロ活動だけでなく79-80年のイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)ツアーメンバーとして参加したり、ジャンルを越えた多くのミュージシャンと多彩な交流を展開。さらに、ピアノ弾き語りライヴ『出前コンサート』など、既成の形に捉われない自由な活動スタイルでも注目されています。90年代以降は活動の拠点をニューヨーク州に移し、グローバルなスケールでクリエイティブな活動を展開しています。
山口百恵
1959年1月17日生まれ、神奈川県出身の歌手/女優。72年にオーディション番組『スター誕生!』で準優勝し、翌73年に自身出演の映画『としごろ』との同名曲でデビュー。“スタ誕”出身の森昌子、桜田淳子とともに“花の中3トリオ”として注目される。2作目「青い果実」からは“青い性”路線へとイメージチェンジしてブレイク。以降、純朴な少女というルックスとセクシーな楽曲というギャップで人気を獲得し、「ひと夏の経験」ほか数多くのヒットを放つ。また、『伊豆の踊子』『潮騒』などの映画に出演、女優としても存在感を発揮した。80年、三浦友和との婚約を機に引退。22歳を待たない約7年の芸能生活だが、ファンに鮮烈な記憶を残している。
山弦
山弦(やまげん) 人気ギタリストの小倉博和(おぐらひろかず 1960.1.28、香川県生まれ)と佐橋佳幸(さはしよしゆき 1961.9.7、東京都生まれ)によるギターデュオグループ。1991年の原由子のアルバム『MOTHER』のセッションをきっかけに、二人がユニットを組んでライヴを中心に活動を開始。<!-- 始め、93年にはアルバム『山弦』をリリースしています。 -->その後、山弦独自の活動を続けるとともに、2001年には大貫妙子とシングル「あなたを思うと」をリリースし、大貫と山弦のツアーも行っています。また、小倉、佐橋に平松八千代(ひらまつやちよ vo)を加えたユニット、SOYとしても活動、98年にアルバム『S・O・Y』をリリースするなどしていますが、現在SOYは活動を休止しています。
山下達郎
1953年2月4日、東京都出身。早くからアメリカン・ポップスの影響を受け、アマチュア・バンドで活動していましたが、バンドの解散記念に自主制作したアルバム『Add Some Music To Your Day』が大滝詠一(おおたき えいいち)の目にとまり、はっぴいえんど解散コンサートにコーラスとして起用されます。しかし、この時すでに大貫妙子(おおぬき たえこ)らとシュガー・ベイブでの活動を開始していたため、シュガー・ベイブとして出演しました。シュガー・ペイブは75年に大滝詠一が設立したナイアガラ・レーベルから『SONGS』でレコードデビューしましたが間もなく解散、山下はソロで活動を続けました。80年、「ライド・オン・タイム」でブレイク。その後トップ・アーティストとしてシーンをリードし続けています。レコーディングとライヴを中心とし、テレビには出ないという姿勢を貫いていますが、クオリティに徹底的にこだわった作品は時代を越えるスタンダード的魅力を持ち、世代を越えて親しまれている曲が数多くあります。
吉田拓郎
(デビューから1975年までは、よしだたくろうと表記)
1947年4月5日、鹿児島県出身。広島商科大学在学中にバンドを結成するなど積極的に音楽活動を展開。後に広島フォーク村のメンバーとなります。広島フォーク村のオムニバスアルバム『古い船をいま、動かせるのは古い水夫じゃないだろう』に参加したことがきっかけになり、70年6月に「イメージの詩」でデビュー。71年の第3回全日本フォークジャンボリーでの「人間なんて」の熱唱が伝説となり、新しいフォークの旗手として脚光を浴びます。さらに、72年に「結婚しようよ」のヒットで、新世代を代表するアーティストとして高い人気を獲得。その後も、75年のフォーライフ・レコード設立、「つま恋」「篠島」などでの野外オールナイト・コンサートなど、それまで前例のない活動にも積極的に取り組み、新たな可能性を切り開きながら、自分の想いを歌い続けています。