アーティスト アーカイヴ
マ
My Little Lover
My Little Lover (まい りとる らゔぁー) 1995年にシングル「Man&Woman」でデビュー。当初のメンバーはakko(あっこ vo)と藤井謙二(ふじい けんじ g)の2人でしたが、後にプロデューサーだった小林武史(こばやし たけし kb)が加入し、3人のユニットとなります。「Hello,Again~昔からある場所~」や「ALICE」など数々のヒットを世に送り出し、ファーストアルバム『evergreen』はミリオンセールスを記録しました。2006年からはakkoのソロプロジェクトとして始動。透明感のあるすがすがしい歌声は、根強いファンを引き付けてやみません。
Mr.Children
Mr.Children(みすたーちるどれん) 1992年に小林武史プロデュースのミニアルバム『Everything』でメジャーデビューを果たしました。93年に発表した4作目のシングル「CROSS ROAD」がドラマ主題歌に起用されてロングヒットとなり、初のミリオンセラーを記録。その後も、「innocent world」「Tomorrow never knows」「名もなき詩」といったヒットを連発、『Atomic Heart』『BOLERO』など300万枚を超えるセールスのアルバム作品を生み出し、圧倒的な存在感を示しました。デビュー20周年を迎えた2012年にはベストアルバムのリリースと全国7か所のドームツアーを開催。精力的な活動が続いています。
THEE MICHELLE GUN ELEPHANT
thee michelle gun elephant(ざ みっしぇる がん えれふぁんと) 1991年にチバユウスケ(vo)を中心に結成。同年に東京・下北沢「屋根裏」にて初ライヴを行い、以降はライヴハウスを中心に活動の幅を広げます。94年にはアベフトシ(g)が加入し、チバ、ウエノコウジ(b)、クハラカズユキ(d)というラインナップとなりました。インディーズ時代にアルバム2作を発表し、96年に「世界の終わり」でメジャーデビュー。ファーストアルバム『cult grass stars』をリリースすると人気はさらに上昇し、ライヴチケットは入手困難な状態に。アリーナクラスでのオールスタンディングライヴや欧米公演など、バンドの勢いは加速し続けますが、2003年、幕張メッセに約4万人を動員したライヴをもって解散しました。
南こうせつ
南(みなみ) こうせつ 1949.2.13.大分県出身。高校時代からフォークグループをつくり、プロを目指して上京。オーディションに合格し、70年にシングル「最後の世界」でレコードデビューします。同じ年、大島三平(おおしま さんぺい)、森 信一郎(もり しんいちろう)と第一期「かぐや姫」、翌年、伊勢正三(いせ しょうぞう)、山田(やまだ)パンダと第二期「かぐや姫」を結成します。75年に「かぐや姫」を解散するとソロ活動に入り、76年には日本人アーティストとして初の日本武道館コンサートを行いました。81年からは地元九州でオールナイト野外コンサート「サマーピクニック」を10年間に渡って開催するなど、ライヴを中心とした活動が絶大な支持を得ています。広島原爆被災者救済のための「HIROSHIMA PEACE CONCERT」も、86年から毎年10年間行いました。
宮沢和史
宮沢和史(みやざわかずふみ) 1966.1.18、山梨県出身。86年にTHE BOOMを結成して中心メンバーとして活動していますが、90年代からレゲエ歌手ミヤボロとの「神様の宝石でできた島」リリース、矢野顕子との「二人のハーモニー」リリースなど、個人としての活動にも力を入れるようになり、98年にはソロアルバム『Sixteenth Moon』『AFROSICK』をリリースしました。海外での活動も多く、各国のミュージシャンとも積極的に交流していきますが、2006年にライヴのバンドをGANGA ZUMBAと改名し、GANGA ZUMBAとしての活動をスタートさせています。メンバーは宮沢(vo)、宮川 剛(みやがわつよし d)、マルコス・スザーノ(まるこすすざーの perc)、今福”HOOK”健司(いまふくけんじ perc)、tetsu(てつ b)、高野 寛(たかのひろし g)、フェルナンド・モウラ(ふぇるなんどもうら kb)、土屋玲子(つちやれいこ vi、二胡)、ルイス・バジェ(るいすばじぇ tp)、クラウディア大城(くらうでぃあおおしろ vo)。
紫
紫(むらさき) 沖縄のロックシーンで活躍するジョージ紫(むらさき)が1970年に結成したグループ。メンバーチェンジを経て、ジョージ紫(kb)、宮永英一(みやなが えいいち d、vo)、城間正男(しろま まさお vo)、城間俊雄(しろま としお b)、比嘉清正(ひが きよまさ g)、下地行男(しもじ ゆきお g)となり、76年にアルバム『MURASAKI』をリリース。そのハードでソウルフルな演奏は、本土のロックシーンに衝撃を与え、彼らの登場によって、沖縄ロックシーンが一気に脚光を浴びることになりました。しかし、78年にジョージ紫ら主要メンバーが脱退してしまい、81年に解散しますが、その後何度か復活しています。
村松邦男
村松邦男(むらまつくにお) 1952.3.17、東京生まれ。72,年、シュガー・ベイブ結成に参加し、76,年に解散するまでギタリストとして活動しました。シ ュガー・ベイブ解散後は大瀧詠一のアルバム『多羅尾伴内楽団vol.2』にギタリストとしてフィーチャリングされるなど、ギタリストとして活動するとともに、アレンジャー、プロデューサーとしてもシャネルズ、スクーターズなど多くのアーティストを手掛けています。ソロアーティストとしても83年の『GREEN WATER』をはじめ4枚のアルバムと4枚のシングルをリリース。現在は、元KODOMO BANDの安部”ohji”隆雄(あべおうじたかお b)らとユニット、R・O・M・Aを結成し、ライヴ活動やCDリリースもしています。
ムーンライダーズ
鈴木博文(すずき ひろふみ 1954年5月19日、東京都出身)、山本博美(やまもと ひろみ)らを中心に1972年に結成されたムーンライダーズというグループがありました。73年、このグループに松本隆(まつもと たかし)と矢野誠(やの まこと)が参加してはっぴいえんど解散コンサートに出演。この演奏はアルバム『素晴しき船出』に収録されましたが翌年解散。75年、はちみつぱいを解散した鈴木慶一(すずき けいいち 鈴木博文の実兄)が新たなグループを結成する際にムーンライダーズの名を引き継ぎました。初期メンバーは、鈴木慶一(g)、鈴木博文(b)、椎名和夫(しいな かずお g)、武川雅寛(たけかわ まさひろ vi、tp)、岡田 徹(おかだ とおる kb)、かしぶち哲郎(てつろう d)。77年に椎名が脱退し、白井良明(しらい りょうめい)が参加。独自のニューウェイブ感覚を打ち出したサウンドで常にシーンに存在感を打ち出していきますが、2011年11月、無期限の活動停止を発表。鈴木慶一が高橋幸宏とザ・ビートニクスを結成しているように、メンバーのソロ、および個別活動も積極的に展開されています。
メスカリン・ドライヴ
メスカリン・ドライヴ(めすかりんどらいぶ) 1984年、伊丹英子(いたみひでこ g)、ケイト(けいと b)、リリー(りりー g)、なっかん(d)によって結成され、その後、内海洋子(うつみようこvo)が加入して関西を中心に活動を始めました。伊丹、内海以外のメンバーは流動的でしたが、本格的女性ロックバンドとして評価されていきます。ニューエストモデルとの関係が深く、メンバー同士の交流も盛んで、88 年には共同で「ソウル・フラワー・レコード」を設立しています。89年にはアルバム『スプーニー・セルフィッシュ・アニマルズ』でメジャーデビューし、深いテーマを託した作品をリリースしていきますが、93年にニューエスト・モデルとともに解散。ふたつのバンドのメンバーでソウル・フラワー・ユニオンを結成しました。
THE MODS
THE MODS(ざ もっず) 福岡でバン ド活動をしていた森山達也(もりやま たつや vo、g) が1973年に結成していたバンド「開戦前夜」を発展させて「THE MODS」を結成。メンバーチェンジを繰り返しますが、森山、苣木寛之(ちさき ひろゆき g、vo)、北里晃一(きたざと こういち b、vo)、梶浦雅裕 (かじうら まさひろ d)となって、81年にシングル「崩れ落ちる前に」、アルバム『FIGHT OR FLIGHT』でデビュー。ワイルドなビートサウンドで人気となり、博多のロックシーン=.めんたいロックのブームを引き寄せました。その後も不動のメンバーで活動を続けてきましたが、2009年にドラマーが佐々木周(ささき しゅう)に替わっています。
モップス
日本のロック・バンド。星勝(g&vo)、三幸太郎(g)、村上薫(b)、スズキ幹治(ds)からなるバンド“チェックメイツ”を前身に、スズキの兄の鈴木ヒロミツ(vo)が加わった5人組で活動を開始。67年11月、シングル「朝まで待てない」でメジャー・デビュー。“日本最初のサイケデリック・サウンド”を標榜し、ジャズ喫茶や米軍キャンプなどでの演奏活動などを展開。GSブームの中で異彩を放つ存在に。68年末には本来のシンプルなR&B、ロックンロール志向に回帰。 翌年に村上が脱退。以降、4人で活動を継続。71年に「月光仮面」、72年に「たどりついたらいつも雨ふり」を発表、若者を中心に支持された。74年5月に解散。
森高千里
森高千里(もりたかちさと) 1969.4.11生まれ。熊本県出身。86年にタレントとして活動をはじめ、87年5月にシングル「NEW SEASON」でレコードデビュー。その後、作詞を手掛けるようになり、「ミーハー」「ストレス」など個性的な詞が持ち味となっていきます。89年、南沙織のカヴァー「17歳」がヒットしてブレイク。ライヴのコスプレ的ビジュアルとユニークな楽曲で人気を集め、「私がオバサンになっても」(92年)「渡良瀬橋」(93年)なのヒットを飛ばす一方、カーネーションとのコラボレーションや、自らドラムやギターを弾いてレコーディングするなど、音楽的アプローチにも注目すべきものがありました。99年に江口洋介と結婚、一児の母となりましたが、家庭生活、育児を優先しながら音楽活動も続けています。
森山直太朗
森山直太朗(もりやまなおたろう) 1976.4.23、東京生まれ。母は森山良子。サッカー少年でしたが、大学時代に本格的に音楽活動を開始し、2001年にインディーズから直太朗名義でアルバム『直太朗』をリリース。02年にミニアルバム『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』でメジャーデビューし、03年に「さくら(独唱)」を大ヒットさせてブレイクしました。透明感のある声と不思議な情感をもった楽曲で支持を広げ、着実な活動を続けていきます。08年には「生きてることが辛いなら」でレコード大賞作詞賞を受賞。ライヴ活動やCDリリースもコンスタントに行っていますが、10年には、これまでのアルバム収録曲選曲でボツになった曲を集めたアルバム『レア・トラックスVol.1』をリリースするなど、枠に捉われないユニークな面も魅力になっています。