アーティスト アーカイヴ
カ
かぐや姫
かぐや姫(かぐやひめ) 1970年に南(みなみ)こうせつ、大島三平(おおしま さんぺい)、森 進一郎(もり しんいちろう)によって第一次かぐや姫を結成。シングル「酔いどれかぐや姫」などをリリースしますが、大きな成功を収めることはできず、71年には南こうせつ、伊勢正三(いせ しょうぞう)、山田パンダ(やまだ ぱんだ)による第二次かぐや姫が誕生しました。第二次かぐや姫は「神田川」「妹」などを大ヒットさせ、フォークシーンをリードする人気グループとなりますが、75年4月に解散。しかし、同年8月には静岡県のつま恋多目的広場で「吉田拓郎・かぐや姫 つま恋コンサート」が開催されました。その後、78年、99年など何度か期間限定で再結成されています。
カシオペア
カシオペア(かしおぺあ) 1976年に、野呂一生(のろいっせい g)、櫻井哲夫(さくらいてつお b)、小池重彦(こいけしげひこ kb)、鈴木 徹(すずきとおる d)でインストゥルメンタル・グループとして結成されました。同年のバンドコンテスト「East West’76」に出場して野呂がベストギタリスト賞を受賞。翌年の「East West’77」では優秀グループ賞と野呂がベストギタリスト賞を受賞しました。その後、79年、小池、鈴木が向谷 実(むかいやみのる kb)、佐々木隆(ささきたかし d)に替わって、79年にアルバム『CASIOPEA』でデビュー。 その後、ドラムが神保 彰(じんぼあきら)となり、日本のフュージョンシーンをリードするグループとして国際的に活躍します。90年代以降メンバー交替をしながら活動が続いていきましたが、2006年に活動休止。しかし、2012年に、野呂、鳴瀬喜博(なるせよしひろ b)、大高清美(おおたかきよみ kb)、さらにサポートメンバーとして神保が加わる形で、カシオペア3rdとして活動を再開しています。
かしぶち哲郎
1950年11月9日生まれ、栃木県出身のミュージシャン。本名は橿渕哲郎。幼少よりクラシックやポップスに親しみ、高校からは楽曲制作やドラマーとしてバンド活動を開始。71年、鈴木慶一らと「はちみつぱい」を結成。75年に「ムーンライダーズ」を結成し、35年にわたって作品制作やライヴ活動を展開。80年代以降は作詞、作曲、アレンジ、プロデュースを中心に活躍。CM、映画の音楽も担当。特に『釣りバカ日誌』やアニメ『機動戦士ガンダム』など、多くのサントラを手掛けた。ソロとしても『リラのホテル』をはじめ、意欲的に作品を発表。CM出演も多く果たした。2013年12月17日、食道癌のため死去。享年63歳。
かせきさいだぁ
かせきさいだぁ 1968.9.26、静岡県生まれ。90年、3人組ヒップホップグループ、TONEPAYSを結成して活動していましたが、93年に解散。94年にひとりでかせきさいだぁΞとして活動を始めました。95年、インディーズからアルバム『かせきさいだぁΞ』をリリースし、翌96年、シングル「さいだぁぶるーす」でメジャーデビュー。98年にアルバム『SKYNUTS』をリリース後は、ホフディランのワタナベイビーとのユニット、Baby & CyderΞ、ヒックスヴィルの小暮晋也とのユニット、TOTEM ROCKなどで活動。2009年にソロプロジェクト、かせきさいだぁΞ & HUGTONES(松本光由 g、龍山一平 kb、勝原大策 b、なかじまはじめ d、大山Ervin per)を結成して活動を再開しました。現在は、かせきさいだぁΞではなく、かせきさいだぁと表記しています。
加藤和彦
1947年3月21日、京都府出身。学生時代に北山修(きたやま おさむ)らとザ・フォーク・クルセダーズを結成し、「帰ってきたヨッパライ」の大ヒットを記録しました。ザ・フォーク・クルセダーズ解散後、69年4月にソロ・アーティストとして「僕のおもちゃ箱」でシングル・デビュー、同年12月1日にファースト・アルバム『ぼくのそばにおいでよ』を発表。71年から約五年間にわたりサディスティック・ミカ・バンドで活動しましたが、76年からソロ活動を再スタートさせ、同年12月に『それから先のことは・・・』を発表。その後、『パパ・ヘミングウェイ』『うたかたのオペラ』などの佳作を発表し、日本のシーンをリードしていきました。2009年10月16日、死去。
加藤登紀子
1943年12月27日、旧満州ハルビン生まれ、京都育ちのシンガー・ソングライター/女優。愛称は“おときさん”。65年、東京大学在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールで優勝し、歌手デビュー。66年に「赤い風船」でレコード大賞新人賞、69年に「ひとり寝の子守唄」「知床旅情」でレコード大賞歌唱賞を受賞。以降、数多くのヒット曲やアルバムを発表。国内はもちろん、カーネギーホールをはじめ世界各地でコンサートを実施し、92年には仏政府からシュバリエ勲章を受章。また、『居酒屋兆治』やアニメ映画『紅の豚』など女優/声優や陶芸などの芸術活動、執筆活動ほかでも才能を発揮。地球環境問題へも積極的に取り組んでいる。
角松敏生
角松敏生(かどまつ としき) 1960.8.12.東京都出身。内外のロック&ポップ・ミュージックの影響を受け、バンド活動をスタート。大学在学中に制作したデモテープがきっかけになり、81年に「YOKOHAMA Twilight Time」、アルバム『Sea Breeze』でデビュー。その後、シンガー・ソングライターとしての活動とともに、プロデューサーとしても杏里など多くの作品を手掛けるようになります。93~97年にかけて、自らのアーティスト活動を凍結し、プロデュース活動に専念していましたが、98年にアーティスト活動を再開。意欲的なサウンドアプローチとストイックな内面表現を軸にした意欲的作品を発表しています。
加山雄三
加山雄三(かやま ゆうぞう) 1937.4.11.神奈川県出身。両親はともに俳優の上原 謙と小桜葉子。早くからクラシックピアノを学ぶなどして、音楽に親しんでいました。60年、俳優として映画デビュー。61年、主演映画『大学の若大将』にあわせて「夜の太陽」でレコードデビューしますが、65年のシングル「恋は紅いバラ」からは、「弾 厚作」名義で自ら作曲したオリジナル曲をリリース。「君といつまでも」「お嫁においで」「旅人よ」など多くのヒット曲を生み出していきました。70年代後半になると、日常のなかの海への想いを託した楽曲や、スタンダード曲のカバーなど、大人の感覚をもったポップミュージックにアプローチするなどの新しい境地を見せるようになります。さらに、谷村新司と「サライ」を共作するなど、世代を超えた音楽活動を続けています。
カルメン・マキ & OZ
カルメン・マキ & OZ(おず) 1969年に「時には母のない子のように」でレコードデビューしたカルメン・マキは、フォーク色の強いシンガーとして活動していましたが、70年代に入るとジャニス・ジョプリン等の影響を受け、クリエイションと共演するなど、ロック・ヴォーカリストを目指します。そして、72年に春日博文(かすが ひろふみ g)、鳴瀬喜博(なるせ よしひろ b)、樋口晶之(ひぐち まさゆき d)とカルメン・マキ & OZを結成。75年にリリースしたアルバム『カルメン・マキ & OZ』が、ロック・アルバムとして高い評価を受けます。その後、メンバーチェンジを経て、77年に解散しました。
岸谷香
1996年5月31日、武道館公演をもってプリンセス プリンセスを解散。
1996年結婚。1997年奥居香ソロとしてシングル「ハッピーマン」を発売し、
ソロ活動をスタートさせ、アルバム「shout」「香」をリリース。
2001年子供を授かったことをきっかけに岸谷香に改名。その後13年間は育児を
中心とする生活が続いた。2012年、東日本大震災復興支援の為、16年振りに
プリンセス プリンセスを一年限定で再結成。
2014 年ソロの活動を本格的に新たにスタート。2015年6月24日シングル
「DREAM」を発売、 8月にはKAORI PARADISE in奄美大島として奄美パーク
にてひとりライブを敢行。9月“KAORI KISHITANI 2015 LIVE
TOUR48thSHOUT!-レッツゴー!!年女-”全国8都市を回るバンドツアーを実施
。2016年5月、10年ぶりのオリジナルアルバム「PIECE of BRIGHT」リリース
。6月KAORI PARADISE 「はじめてのひとり旅」全国28公演のツアー、 10月
49th SHOUT! ~PIECE of BRIGHT~バンドツアー東京、大阪、名古屋計4本の公
演を実施。
2017年生誕50周年の年でもあり、2月に50th ANNIVERSARY LIVE を行い、こ
の年、前半はチェロとの企画ミニアルバム「Dialogue~涙の理由~」をリリー
ス。後半は、ガールズバンドプロジェクトを立ち上げ、2018年1月にバンドサ
ウンドでのミニアルバム「Unlock the girls」をリリース。
2019年3月10日豊洲PITにて4回目になった、東日本大震災復興支援ライブを
「The Unforgettable days」と題して実施。
4月からは約25年ぶりのレギュラーラジオNHK-FM「岸谷香Unlock the heart」
が毎週金曜23:00〜がスタート。
2020年2/15六本木EXシアターにて岸谷香感謝祭と題しゲストを迎えてのコラ
ボライブを実施。4月からは、ニッポン放送「オールナイトニッポン
MUSIC10」の第四水曜日パーソナリティがスタート。5月からはLIVE TOUR
「53rd SHOUT!」〜Unlock the girls3〜全国9箇所を予定していたが、新型コ
ロナウィルス感染拡大防止の為中止した。
秋にはCDリリース、ひとり弾き語りツアーを予定している。
来生たかお
来生たかお(きすぎたかお) 1950.11.16生まれ、東京都出身。大学生時代にバンドを編成して活動。この時、井上陽水らと知りあいます。姉、来生えつこの作詞、来生たかおの作曲というコンビでソングライターとして認められたのをきっかけに、自らも76年にシングル「浅い夢」でレコードデビュー。81年に映画『セーラー服と機関銃』主題歌として書いた「夢の途中」が、薬師丸ひろ子が歌うヴァージョン「セーラー服と機関銃」とともに大ヒットし脚光を浴びます。これと前後して、ソングライターとしても「マイ・ラグジュアリー・ナイト」(しばたはつみ)、「シルエット・ロマンス」(大橋純子)、「セカンド・ラブ」(中森明菜)など多くのヒット曲を生み出しています。その後も、シンガー・ソングライターとして高いクオリティを追求する姿勢を貫き、現在も活動中。
喜納昌吉 & チャンプルーズ
喜納昌吉 & チャンプルーズ 沖縄の民謡歌手を父に持つ喜納昌吉(きな しょうきち)は高校時代に「ハイサイおじさん」をつくり、民謡をもとにした新しい音楽を手がけ、68年にチャンプルーズを結成。77年にアルバム『喜納昌吉 & チャンプルーズ』で全国デビューした時のメンバーは、喜納昌吉(vo、三線、g)、長間孝雄(ながま たかお 三線)、喜納昌弘(きな まさひろ b)、当山安一(とうやま やすいち d)、喜納幸子(きな さちこ vo)、喜納友子(きな ともこ vo)、喜納順子(きな じゅんこ vo)。80年のアルバム『BLOOD LINE』に収められた「花~すべての人の心に花を~」は世界的大ヒット曲となりました。メンバーは替わりましたが、現在も活動を続けています。
筋肉少女帯
筋肉少女帯(きんにくしょうじょたい) 中学生時代にバンドを組んでいた大槻ケンヂ(おおつきけんじ vo)と内田雄一郎(うちだゆういちろう b)が高校進学を期に、筋肉少年少女隊というバンドを結成。メンバーチェンジを繰り返しながらライヴ活動を続けますが、84年にバンド名を筋肉少女帯としました。87年、ナゴムレコードからシングル「高木ブー伝説」をリリースして話題になり、88年にシングル「釈迦」、アルバム『仏陀L』でメジャーデビュー。89年に入って、内田、大槻以外のメンバーが、本城聡章(ほんじょうとしあき g)、橘高文彦(きつたかふみひこ g)、太田明(おおたあきら d)となり、メンバーはほぼ固定されます。この年にはシングル「元祖高木ブー伝説」を大ヒットさせるなど人気グループとなりましたが、大槻の脱退もあり98年に活動を凍結。2006年、大槻、内田、本城、橘高により活動を再開しています。