top of page

高石ともや

高石ともや(たかいしともや) 1941.12.9北海道生まれ。大学入学で上京しましたが、学資を稼ぐため大阪で働くなか、米国のフォークシンガー、ピート・シーガーやボブ・ディランの影響を受けて歌い始めました。1960年後半、各地の労働組合や大学、集会などでメッセージ・フォークを広め、1968年「受験生ブルース」のヒットで日本中に知られるようになりました。高石音楽事務所には、フォーク・クルセイダーズ、岡林信康などが所属し、URCレコードやフォークコンサートを積極的に制作して、それまでになかった音楽シーンをつくり出していきます。関西フォーク、アングラフォークと呼ばれた音楽の先駆的リーダーでした。しかし、フォークが注目を浴びていた1970年、事務所を離れ、渡米して、各地をまわり、原点のフォークソングを体験してきます。帰国後はザ・ナターシャー・セブンなどを結成して、民謡やカントリー、ブルーグラスなどに力を入れて歌い続けてきました。1973年から永六輔らと開催していた京都の「祇園宵々山コンサート」は2011年、第30回目で終了となり、華々しいラストステージは話題になりました。また、マラソンやトライアスロンの選手でもあり、40年以上、国内外のレースに参加し続けています。

高田渡

高田 渡(たかだ わたる) 1949.1.1.岐阜県出身。1967年頃からフォークシンガーとして注目されはじめました。日本語の詞をつけたアメリカのプロテストソングや自作曲をレパートリーにライヴで活躍。69年にはURCレコードの第一回配布アルバム『高田渡/五つの赤い風船』を発表。その後も『汽車が田舎を通るそのとき』『ごあいさつ』などの作品をリリースし、コンスタントにライヴを開催。71年には「武蔵野タンポポ団」を結成します。多くのミュージシャンに敬愛されながら活動を続けていましたが、2005年に死去。

高中正義

1953年3月27日生まれ、東京都出身のギタリスト/ミュージシャン/プロデューサー。71年、ロック・バンド“フライド・エッグ”にベーシストとして参加したのを機にプロとしてのキャリアをスタート。翌年、サディスティック・ミカ・バンドにギタリストとして参加。76年7月、アルバム『セイシェルズ』でソロ・デビュー。独特のメロディ・センスが発揮された楽曲はCMやTVで使用され、多くのファンを獲得。81年の『虹伝説 THE RAINBOW GOBLINS』で“高中ブーム”を巻き起こす。サンタナ、リー・リトナー、ナラダ・マイケル・ウォルデンら海外ミュージシャンとの共演も多数。フュージョン界のトップ・ギタリストとして活躍中。

高野寛

高野 寛(たかのひろし) 1964.12.14、静岡県生まれ。86年、高橋幸弘、鈴木慶一が審査員を務めるオーディションに合格し、87年、ザ・ビートニクスのツアーにギタリストとして参加。88年に高橋幸弘プロデュースのシングル「See You Again」でデビュー。90年にはトッド・ラングレンがプロデュースした「虹の都」をヒットさせるなど、注目を集めました。ソロアーティストとしての活動の他に、他のミュージシャンとのコラボレーションにも力を入れており、TOKYO No.1 SOUL SETのBIKKE、斉藤哲也と”Nathalie Wise”、クム本の原田郁子、レピッシュのtatsu、坂田学と”4B”を結成しているほか、細野晴臣の”東京シャイネス”、宮沢和史の”GANGA ZUMBA”、高橋幸宏の”pupa”など、多くのユニットに参加しています。また、2006年以降は、ソロでも高野寛の他にHAASという名前でも活動しています。

高橋鮎生

1960年10月19日生まれ、東京都出身のソングライター/ギタリスト/マルチ奏者。ベルリン、ストックホルム、ニューヨークで育ち、特に60年代後半のアメリカ文化から強い影響を受ける。8歳よりクラシックギターを習い始め、スタン リー・シルバーマン、ウイリアム・ヘルマンに師事。83年以降9枚のソロ・アルバムを発表。ギターのほか、古代音楽にみられる世界の繋がりを“ネオ・トラッド”という独自のサウンドで 表現し、国際的に活躍。また、音楽に限らず、ファッション、建築、グラフィック、舞踊などの分野にも進出し、プロデュースも手掛ける。現在は“Ayuo”名義でさまざまな作品を制作、提供している。

高橋真梨子

髙橋真梨子(たかはし まりこ) 1949.3.6.広島県生まれ、福岡育ち。中学時代からジャズを学び、高校生の頃には博多のジャズクラブで歌っていました。72年、ペドロ&カプリシャスの二代目ヴォーカリストとして「五番街のマリーへ」などのヒットを生み出します。78年にペドロ&カプリシャスを離れ、「あなたの空を翔びたい」でソロデビュー。「桃色吐息」をヒットさせるなど、大人のテイストをもつ女性シンガーとして活躍しています。

高橋幸宏

1972年、Sadistic Mika Bandに参加。1978年、細野晴臣(ほその はるおみ)、坂本龍一(さかもと りゅういち)とともにYellow Magic Orchestra(Y.M.O.)を結成、 国内外に大きな影響を残しましたが、1983年12月をもって「散開」。ソロ活動と併行して鈴木慶一(すずき けいいち ムーンライダーズ)とのTHE BEATNIKSとしても活動。また、2001年には細野晴臣とSKETCH SHOWを結成し、2004年以降は坂本龍一も加わりHAS、HASYMO、Yellow Magic Orchestraとバンド名を使い分け不定期に活動。自身のファッション・ブランドでのデザインや映画出演など多才な活動も展開。
2023年1月、病気静養中に脳腫瘍により発症した誤嚥性肺炎にて死去。70歳没。

竹内まりや

1955年3月20日、島根県出身。大学在学中に音楽サークルで杉 真理らと活動し、78年、「戻っておいで、私の時間」、アルバム『BEGINNING』でデビュー。当初はアイドル的側面もありましたたが、次第にシンガー・ソングライターとしてのカラーを強めていき、81年に歌手活動を休業。翌年、山下達郎と結婚し、84年にアーティスト活動を再開。主婦業を中心としながら、そのなかから生まれた作品をマイペースで発表する”シンガー・ソング専業主婦”として活動を続けています。寡作ですが、高いクオリティをもった作品は多くのリスナーに支持され続けています。

立花ハジメ

立花(たちばな)ハジメ 1951.10.28.東京都出身。グラフィックデザイナーとして活動すると同時に、イラストレーター、スタイリストの仲間と結成した「プラスチックス」のメンバーとして活動。プラスチックス解散後の1982年、高橋幸宏プロデユースによるソロアルバム『H』をリリース。創作楽器を駆使したアート色の強いステージパフォーマンスも話題を集めました。その後もグラフィック・デザイナーとしての活動を主体としながら音楽活動を続けています。

谷村新司

谷村新司(たにむら しんじ) 1948.12.11.大阪府出身。 1965年、フォークグループ「ロック・キャンディーズ」を結成。71年には堀内孝雄、矢沢 透と「アリス」を結成しますが、在籍中の74年に初のソロアルバム『蜩』を発表し、アリスとは異なる音楽性を持った作品を手がけたり、山口百恵の「いい日旅立ち」など他のシンガーへの楽曲提供も始めます。代表曲のひとつ「昴」もこの時期の作品。82年にアリスが活動を停止してからはソロ活動を本格的に展開。国際的スケールで活動を続けています。

谷山浩子

谷山浩子(たにやま ひろこ) 1956.8.29.東京都生まれ、横浜育ち。早くからピアノを習い、作曲を始めます。72年、自作自演のアルバム『静かでいいな~谷山浩子 15の世界~』をリリースしました。74年、「お早うございますの帽子屋さん」が第7回ポプコンで入選。翌年、この曲で本格的にデビュー。SFやファンタジーに通じる不思議な感覚をもった彼女の作品は熱心なファンを獲得していきます。現在も音楽制作や文筆活動など幅広い分野で活躍しています。

玉置浩二

玉置浩二(たまき こうじ) 1958.9.13.北海道出身。バンド「安全地帯」を結成し、井上陽水のバックバンドを勤めた後、82年に「萠黄色のスナップ」でレコードデビューし、87年には「ALL I DO」でソロ・アーティストとしても活動を始めます。その後は安全地帯としての活動を断続的に続けつつソロ活動に力を入れ、96年には「田園」をヒットさせるなど、卓越した歌唱力をもつシンガー・ソングライターとして高い評価を受けています。

大事MANブラザーズバンド

大事MANブラザーズバンド(だいじまんぶらざーずばんど) 高校生だった立川俊之(たちかわとしゆき vo、g)が、戸村公彦(とむらきみひこ b)、田岡広宣(たおかひろのぶ d)とバンドを結成。さらに山田哲生(やまだてつお g)、吉田理恵(よしだりえ kb)が加わり、1986年に結成されました。91年1月、シングル「MO-RIO」、アルバム『大事な気持』でデビュー。同年8月にリリースした「それが大事」は、テレビ番組のテーマ曲ともなって大ヒット。その後、テレビアニメ「クレヨンしんちゃん」のエンディングテーマ曲となった「うたをうたおう」などをリリースしていきます。94年に山田、田岡が脱退。中尾秀行(なかおひでゆき g)、平山牧伸(ひらやままきのぶ d)が加入して活動を続けますが、1996年解散。しかし、2009年に大事MANブラザーズオーケストラとして活動を再開しています。

ダウン・タウン・ブギウギ・バンド

1973年、宇崎竜童を中心に結成された日本のロック・バンド。“DTBWB”と略されることも。73年12月、シングル「知らず知らずのうちに」でデビュー。翌年12月の「スモーキン・ブギ」がヒット。75年3月の「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」で人気を確実にし、歌詞の“あんた、あの娘のなんなのさ?”は流行語にもなった。年末にはNHK『紅白歌合戦』出場も果たす。80年に過去曲を“封印”し、ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンドに改名。シリアスなブルースとロックを追求する。翌年をもって解散するも、その後随時再結成を果たし、演奏活動を続けている。

ダ・カーポ

ダ・カーポ 1973年、横浜で出会った久保田広子と榊原まさとしが結成したデュオ・グループ。同年、シングル「夏の日の忘れもの」でレコードデビュー。74年にリリースした4枚目のシングル「結婚するって本当ですか」が大ヒット。80年にもアニメ映画主題歌「地球(テラ)へ…」をヒットさせるなど活躍していましたが、この年、ふたりの結婚によりダ・カーポとしての活動は83年まで休止します。しかし、活動再開後もコンスタントな活動を続け、2007年には実娘の榊原麻理子(フルート)も正式メンバーとなり、ファミリー・グループとなっています。

チェッカーズ(THE CHECKERS)

チェッカーズ 1980年に福岡県久留米市で結成され、83年にシングル「ギザギザハートの子守唄」でメジャーデビュー。翌84年発表の「涙のリクエスト」がヒットすると、アイドル的ルックスから絶大な人気を得ます。その一方で、コーラスとサックスをメンバーに含めたバンドとしての実力を発揮し、86年からはオリジナル曲を発表。「ONE NIGHT GIGOLO」「素直にI’m Sorry」「夜明けのブレス」など多くのヒット曲を生み出しました。アーティストとしての地位を確立し、デビュー10周年を迎えた92年に突然の解散宣言。大晦日の紅白歌合戦出場を最後に、その活動の歴史に幕を下ろしました。

近田春夫

近田春夫(ちかだ はるお)  1951.2.25.東京生まれ。大学在学中に「近田春夫とハルヲフォン」を結成して1976年に「シンデレラ」でレコードデビュー。79年にハルヲフォンを解散した後、YMOをバックにソロアルバムを制作したり、「近田春夫&ビブラトーンズ」を結成するなど多彩な活動を展開。同時にプロデューサーとしてヒカシューや他のアーティストを手がけたり、ヒップホップレーベルを設立するなど、シーンを切り拓く活動を続け、歌謡曲、ポップス批評家としても活躍しています。

チカブーン

チカ・ブーン(ちかぶーん)  女性だけによるサルサバンド。森村あずさ(もりむらあずさ timbales)を中心に、サルサ好きの女性が公園で始めたセッションをきっかけに結成され、85年に原宿クロコダイルで初ステージをおこないました。その後、数度に渡ってキューバ政府の公式招待を受け、キューバで人気を博し、日本でも92年にアルバム『Chica Boom』でメジャーデビューしました。この時のメンバーは、森村あずさ、志村享子(しむらあつこvo)、小野かほり(おのかほり bongo)、石田みき(いしだみき conga)、鈴木典子(すずきのりこ kb)、坂口かおる(さかぐちかおる b)、山本聡子(やまもとさとこ tron)、芝井律子(しばいりつこ sax)の8人。その後、メンバーチェンジをしながら活動を続けていきましたが、現在は活動休止しています。

CHAGE & ASKA

CHAGE & ASKA(ちゃげ&あすか) 1978年の第15回ポプコン福岡大会に別々に出場したチャゲと飛鳥が、その後、「チャゲ&飛鳥」を結成。同年秋の第16回大会では「流恋情歌」、翌79年の第17回大会では「ひとり咲き」で本選入賞します。同年、「ひとり咲き」でレコードデビューし、80年には「万里の河」をヒットさせて人気を確立。その後、グループ名を「CHAGE & ASKA」と変え、91年にはテレビドラマ『101回目のプロポーズ』の主題歌「SAY YES」を大ヒットさせました。2009年からは無期限活動停止中です。

Chara

chara(ちゃら) 1968.1.13.埼玉県出身。4歳ごろからピアノを弾き始め、小学生時代には作曲を行っていました。その後、アルバイトをしながらライヴ活動を続け、デモテープをきっかけに、91年にシングル「Heaven」でメジャーデビューします。96年には岩井俊二監督作品『スワロウテイル』に出演、劇中に登場するバンド「YEN TOWN BAND」として主題歌を担当し、チャート1位を獲得。同作で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞するなど、新しい一面を見せました。また、土屋公平やYUKI、東京スカパラダイスオーケストラといった様々なアーティストとのコラボレーションにも積極的で、ソロだけにとどまらない活躍をしています。

Char

Char(ちゃー) 1955.6.16.東京都出身。幼い頃からギターを弾き始め、15歳でスタジオミュージシャンとして活動していました。1973年、金子マリと「スモーキー・メディスン」を結成しますが74年に解散。76年に「NAVY BLUE」でソロデビュー。77年に「気絶するほど悩ましい」をヒットさせます。80年代に入って「JOHNNY,LOUIS&CHAR」「PINK CLOUD」を結成し、グループ作と同時にソロ作品もリリース。88年にはインディーズレーベル・江戸屋レコードを設立し、多くの作品をリリースしています。

TUBE

TUBE(ちゅーぶ) 1985年にシングル「ベストセラー・サマー」でメジャーデビュー。CM曲に起用された3作目のシングル「シーズン・イン・ザ・サン」が30万枚を超えるヒットとなり、人気バンドの仲間入りを果たしました。以降も、「SUMMER DREAM」「Beach Time」「あー夏休み」など夏をテーマにした作品をヒットさせ、“夏と言えばTUBE”と言われるまでに。ハワイでも高い支持を得ており、2000年には初の海外版シングルをリリースしてチャートTOP10入り。同年にはハワイでのスタジアムライヴを成功させました。

チューリップ

チューリップ  福岡の大学生だった財津和夫(ざいつ かずお)を中心に結成されたバンド。1972年に「魔法の黄色い靴」でデビューしますが、この時のメンバーは財津和夫(vo、g、kb)、姫野達也(ひめの たつや vo、g、kb)、安部俊幸(あべ としゆき g)、吉田 彰(よしだ あきら b)、上田雅利(うえだ まさとし d)。73年に「心の旅」をヒットさせてブレイク。その後もポップ感覚あふれるバンドとして「青春の影」「虹とスニーカーの頃」などのヒットを送り出していきます。80年代に入りメンバーチェンジが増え、最終的にオリジナルメンバーは財津だけとなります。89年に解散しますが、その後数回の再結成を行っています。

ちわきまゆみ

1963年2月2日生まれ、東京都渋谷区出身のミュージシャン/ラジオパーソナリティ。本名は地脇真由美。跡見学園女子大学文学科卒。5歳の時に『ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!』に衝撃を受けて音楽に目覚め、その後T・レックス、ディープ・パープル、KISS、エアロスミス、ラモーンズなどから影響を受ける。85年のシングル「GOOD MORNING I LOVE YOU」から90年代半ばまでコンスタントに作品を発表。2001年にはcharaやYUKIらとともに“Mean Machine”としてデビュー。その後は主にゲスト参加やラジオ出演へシフトしながら、活動を展開している。

ツイスト

ツイスト 世良公則(せら まさのり)が大阪芸術大学在学中に結成したバンド。メンバーは、世良(vo)、大上 明(おおがみ あきら g)、神本宗幸(かみもと むねゆき kb)、鮫島秀樹(さめじま ひでき b)、ふとがね金太(きんた d)。77年のポプコンおよび世界歌謡祭で「あんたのバラード」がグランプリを獲得し、この曲でデビューします。当初のグループ名は世良公則&ツイストでしたが、79年にツイストと改名。「銃爪(ひきがね)」「宿無し」などのヒットを出しますが、82年に解散しています。

つじあやの

つじあやの  1978.1.6、京都生まれ。高校のフォークソング部でウクレレを弾いて音楽活動を始めます。98年、インディーズからミニアルバム『うららか』をリリースし、翌99年、ミニアルバム『君への気持ち』でシンガー・ソングライターとしてメジャーデビューしました。2002年にリリースしたシングル「風になる」が、アニメ映画『猫の恩返し』主題歌となってヒット。この頃から夏フェスなどにも出演するようになります。やわらかな世界を感じさせる自作曲を中心にリリースしていますが、03年に山下達郎の「パレード」をカヴァーしてシングルリリースし、翌年、カヴァー・アルバム『COVER GIRL』をリリースしました。また、08年にはBEAT CRUSADERSと共演するシングル「ありえないくらい奇跡」をリリースしています。

ティン・パン・アレイ

はっぴいえんどが解散した1973年、細野晴臣(ほその はるおみ)のソロ・アルバム『HOSONO HOUSE』レコーディングのために集まった、鈴木 茂(すずき しげる、g)、松任谷正隆(まつとうや まさたか、kb)、林 立夫(はやし たつお、d)と細野が、レコーディング・セッションに特化したグループ、キャラメル・ママを結成。荒井由実、吉田美奈子、雪村いずみなど多くのアーティストにサウンドを提供しました。このキャラメル・ママを、より柔軟なミュージシャン・グループとして発展させたのが(TIN PAN ALLEYティン・バン・アレイ)です。ティン・バン・アレイのセッションには、佐藤 博(さとう ひろし、kb)、矢野顕子(やの あきこ、kb、vo)、斉藤ノブ(さいとう のぶ、perc)など、多くのミュージシャンが参加しています。シンガーへのサウンド提供のほか、ティン・バン・アレーとして2枚のアルバムを発表、ライヴツアーも行いましたが、78年頃には自然消滅しています。

TM NETWORK

TM NETWORK(てぃーえむ ねっとわーく) 1983年に宇都宮隆(うつのみや たかし vo)、木根尚登(きね なおと g)、小室哲哉(こむろ てつや kb)により結成されました。84年にシングル「金曜日のライオン」とアルバム『RAINBOW RAINBOW』でメジャーデビュー。デジタルサウンドを取り入れた独自のスタイルを確立します。87年には、シングル「Get Wild」がテレビアニメのエンディングテーマに起用され、大ヒットとなりました。90年にユニット名を「TMN」に変更し、「TIME TO COUNT DOWN」や「Love Train」などのシングル作品をリリース、セールスを伸ばしていきますが、デビュー10年目となる94年に東京ドームでのライヴを最後に活動を終了します。しかし、99年に「TM NETWORK」としての再始動を発表。2012年には約5年ぶりとなるシングル「I am」をリリースしました。

T.M.Revolution

T.M.Revolution(てぃー えむ れぼりゅーしょん) 1970.9.19.滋賀県出身。西川貴教(にしかわ たかのり)によるソロプロジェクト。1995年「access」のメンバー・浅倉大介(あさくら だいすけ)のソロシングルに参加。翌96年に「T.M.Revolution」としてシングル「独裁 -monopolize-」でメジャーデビューしました。圧倒的な歌唱力と完成度の高い楽曲で人気を集め、「HIGH PRESSURE」「HOT LIMIT」「WHITE BREATH」などビッグヒットを重ねます。地元・滋賀での野外イベント「イナズマロックフェス」の主催やミュージカル出演、西川貴教としてのバンド「abingdon boys school」の結成など、活躍の場は多岐に渡っています。

T-SQUARE

T-SQUARE(てぃーすくえあ)  1976年、安藤正容(あんどうまさひろ g)を中心としてThe Square(ザ・スクエア)として結成し、翌77年、伊東たけし(いとうたけし sax)が参加。78年にアルバム『Lucky Summer Lady』でレコードデビューしました。優れた演奏力を買われて、79年には松任谷由実の「マジカル・パンブキン・ツアー」、81年にはタモリの「ラジカル・ヒステリー・ツアー」でも演奏を担当。その後も本格派フュージョンバンドとして人気を高め、87年にはテレビのF1中継番組のテーマ曲「TRUTH」も手掛けていますが、89年にグループ名をT-SQUARE(T・スクエア)と改めました。結成当時からメンバーチェンジが多く、2000年からしばらくは、安藤と伊東のデュオグループとして活動していた時期もありました。しかし、04年末に安藤、伊東に加えて、河野啓三(かわのけいぞう kb)、坂東慧(ばんどうさとし d)が正式メンバーとなり、4人編成のバンドとして活動を続けています。

テイ・トウワ(TOWA TEI)

テイ・トウワ 1990年にアメリカのハウスバンド「Deee-Lite」のメンバー・Jungle DJ Towa-Towaとして全米デビュー。94年に活動拠点を東京に移すと、『Future Listening!』をリリースし、ソロ活動をスタートさせました。以降、DJとしてはもちろん、イベント主宰や楽曲プロデュース、映画音楽制作、レーベル設立など、その活動は多岐に渡ります。また、コラボレーションアイテムのブランディングや自身の個展開催など、音楽シーンだけにとどまらないフレキシブルな活躍を続けています。

TENSAW

TENSAW(てんそー) 1977年に横浜で結成。80年にシングル「DOBUITA st.」でデビューすると、完成度の高いブリティッシュロックスタイルのライヴバンドとして多くのファンを魅了しました。しかし、全盛期とも言える82年に活動を停止。91年に新作を発表したのち、再度活動休止期間に入ります。その後、数回の単発ライヴを経て、2009年にオリジナルメンバーで再始動しました。現在も数多くのアーティストにリスペクトされており、幅広い世代に多大な影響を与えたバンドのひとつです。

dip in the pool

1983年結成、作曲担当の木村達司(key)とモデルでも活躍していた甲田益也子(vo)によるポップス・デュオ。1985年にはロンドンのラフ・トレード、欧州、日本でデビュー。ファッショナブルなヴィジュアルや独特の音楽センスが話題を呼び、87年にTV-CM起用のシングル「Miracle Play(天使の降る夜)」で存在を際立たせる。マイペースに活動を続けながら、甲田が89年に映画『ファンシイダンス』で役者としてもデビューするなど個々の活動も多彩に展開。97年のアルバム『WONDER 8』以降活動休止となるが、2011年に本格的に再始動。

ザ・ディランⅡ

ザ・ディランⅡ(ざ でぃらん せかんど) 1960年頃、大阪のフォーク喫茶「ディラン」に集まっていた大塚(おおつか)まさじ、西岡恭蔵(にしおか きょうぞう)、永井 洋(ながい よう)によって、「ザ・ディラン」が結成されました。ザ・ディランはフォーク・キャンプをはじめとする関西のフォークイベント出演などの活動をしていましたが、71年に西岡が脱退したことで、大塚と永井の2人は「ザ・ディランⅡ」として活動を続けることになりました。そしてこの年、ボブ・ティランの曲をカバーしたシングル「男らしいってわかるかい」でレコードデビューし、関西のフォークシーンに新風を吹き込む存在として注目を集めました。74年、西岡恭蔵を加えた「オリジナル・ザ・ディラン」としてレコードリリースやツアーも行いましたが、同年11月に解散。メンバーはソロ活動に入っていきました。

De+LAX

De+LAX(でらっくす) 「アレルギー」を解散した宙也(ちゅうや vo)を中心に「Chu-ya&De-lax」がスタート。1988年に「De-LAX」としてアルバム『De-LAX~SENSATION』でメジャーデビューしました。ビートあふれるダンサブルな楽曲で人気を得ますが、93年の渋谷公会堂ライヴを最後に解散。その後、幾度かの再結成とメンバーの脱退を経て、2005年に活動を再開。08年にはデビュー20周年を迎えました。

電気グルーヴ

日本の音楽ユニットで石野卓球、ピエール瀧を中心に1989年に結成。
91年にアルバム『FLASH PAPA』でメジャー・デビュー。97年にはシングル「Shangri-La」が大ヒット。砂原良徳らメンバー変更もありながら、特異な音楽活動を展開。継続的に全国ツアーを行ない、作品を発表。テクノからダンス、ポップまで多彩な作風で幅広いファン層を獲得し際立った存在感を示す。

東京事変

東京事変(とうきょうじへん) 2003年に、椎名林檎(しいなりんご vo)、晝海幹音(ひらまみきお g)、H是都M(えいちぜっとえむ kb)、亀田誠治(かめだせいじ b)、刄田綴色(はたとしき d)によって結成。最初は椎名林檎のバックバンドでしが、バンドとして本格的に活動することになり、04年、シングル「群青日和」でデビューします。05年、晝海幹音、H是都Mが脱退し、井澤一葉(いざわいちよう kb)と浮雲(うきぐも g)が参加。06年リリースのセカンドアルバム『大人(アダルト)』が「オリコン」初登場1位を獲得するなど、高い評価を受けていきますが、12年2月29日のステージを最後に解散。

東京スカパラダイスオーケストラ

東京スカパラダイスオーケストラ(とうきょう すかぱらだいすおーけすとら) 1985年にASA-CHANG(現「ASA-CHANG&巡礼」)を中心に結成。ストリートやクラブでライヴ活動を重ねながら圧倒的なパフォーマンスで動員を増やし、90年に『スカパラ登場』でメジャーデビューを果たします。その後もコンスタントに作品を発表し、ホーンセクションを中心とした強力なサウンドは幅広い層に受け入れられました。デビュー20周年を迎えた2009年には、世界一流のスカバンドを招いての主催フェス「トーキョースカジャンボリー」を初めて開催し、大成功を収めました。なじみの薄かった“SKA”というジャンルを日常的に楽しめる音楽として浸透させた彼らの活躍の場は、現在ヨーロッパ各国へと広がっています。

戸川 純

戸川 純 (とがわじゅん) 1961.3.31、東京出身。子役経験もあり、80年にテレビドラマ「しあわせ戦争」で女優としてデビューしています。音楽活動では、81年に上野耕路らとゲルニカを結成してデビューしますが、83年に戸川(vo)、比賀江隆男(ひがえたかおg)、里美智子(さとみともこ kb)、立川芳雄(たちかわよしお kb)、石原智広(いしはらともひろ b)、和泉敏郎(せんすいとしろう d)によって戸川純 & ヤプーズを結成。84年、ソロアルバム『玉姫様』をリリースするなど、ソロ活動に力を入れていきます。戸川純 & ヤプーズはメンバーチェンジもありましたが、87年にヤプーズと改名してライヴアルバム『ヤプーズ計画』をリリースし、その後もライヴを中心に活動を展開。その他にも多彩な活動を展開しています。

徳永英明

徳永英明(とくながひであき) 1961.2.27、福岡県生まれ。中学・高校時代は兵庫県で過ごしましたが、その後上京。ミュージシャンを目指して85年に鎌倉で行われた「マリンブルー音楽祭」に出場し、グランプリを獲得。同年10月には東京・原宿で行われたミュージカル「はらじゅくグラフィティ」に出演しました。86年、シングル「レイニー ブルー」、アルバム『GIRL』でレコードデビュー。87年、シングル「輝きながら…」のヒットで、優れた歌唱力と声の魅力が広く注目され、90年には「夢を信じて」「壊れかけのRadio」をヒットさせてトップアーティストとなりました。2005年、女性シンガーの作品をカヴァーしたアルバム『VOCALIST』をリリースして話題を呼び、06年にリリースされた『VOCALIST 2』はレコード大賞企画賞を受賞するなど、大人のヴォーカリストとして幅広く支持されています。

友川かずき

友川カズキ (ともかわかずき) 1950.2.16.秋田県出身。中学生の頃、偶然読んだ中原中也の「骨」の影響で詩を書き始めました。その後。フォークソングに出会い、自作の詩に曲をつけて歌うようになり、71年の「第3回全日本フォークジャンボリー」にも出演しました。74年に「上京の状況」でシングルデビュー、翌75年にファーストアルバム『やっと一枚目』をリリース、言葉を吐き出すような独特の表現でシーンに強いインパクトを与えました。その後、シンガー・ソングライター、詩人、画家、俳優などとして幅広く活躍。2004年、名前をそれまでの友川かずきから友川カズキに改めましたが、現在も現役アーティストとして強烈な個性を発揮しています。

友部正人

友部正人(ともべ まさと) 1950.5.25.東京都出身。各地を転々とする生活の中で、自分で曲をつくり、歌うようになった彼は、70年頃に大阪で多くのフォークシンガーと知り合い、大阪・天王寺野外音楽堂の春一番コンサートや、中津川の第三回全日本フォークジャンボリーに参加するなど、次第に注目を集めていきます。72年、アルバム『大阪へやってきた』でレコードデビュー。その後も、アメリカやインド、ネパールなど、旅を中心とする暮らしから作品を生み出し、96年からはニューヨークと日本を往復して活動しています。詩人としても高く評価され、ミュージシャンによる詩の朗読アルバムのプロデュースも手がけています。

豊田勇造

豊田勇造 (とよだゆうぞう) 1949.7.京都府出身。兄の影響で小学5年生の時にギターを弾き始めました。高校2年生の時に自作曲でフォークコンテスト入賞し、卒業後本格的に歌い始めます。74年にアルバム『豊田勇造 長野隆ライブ』でレコードデビュー。豊かな情感にあふれた歌で注目されます。76年以降は自主レーベルを中心に活動。80年代にはジャマイカ、タイなど国境を越えたフィールドでフォーク・シンガーとして活動を展開。2009年には、京都・円山公園音楽堂で『豊田勇造60歳6時間60曲フリーコンサート』を行うなど、精力的な活動を続けています。

TRICERATOPS

TRICERATOPS(とらいせらとっぷす) 1996年に結成。翌97年、インディーズレーベルからミニアルバム『TRICERATOPS』をリリースすると、同年シングル「Raspberry」でメジャーデビューを果たします。数多くのライヴやイベント出演などで人気を獲得するなかで、99年発表のシングル「GOING TO THE MOON」がCM曲に起用され、大ヒットしました。2000年からは自主イベント「DINOSAUR ROCK’N ROLL」を開催。様々なアーティストを招き、デビュー当初からのバンドテーマである“踊れるロック”でファンを魅了しています。

トワ・エ・モワ

日本の歌謡ポップ・デュオ。1969年に山室英美子(白鳥英美子)と芥川澄夫によって結成。同年、「或る日突然」でデビュー。「空よ」「虹と雪のバラード」「誰もいない海」「初恋の人に似ている」「地球は回るよ」「愛の泉」など数多くのヒット曲を放ち、1970年代前半の“和製ラウンジ系ポップ”ブームの端緒となる。73年6月、郵便貯金ホール(現・メルパルクホール)での“フェアウェルコンサート”を最後に解散。98年に再結成を果たし、シングル「虹と雪のバラード '98ヴァージョン」をリリース。以降、作品発表やコンサートなど本格的な活動を展開している。

怒髪天

怒髪天(どはつてん) 1984年、北海道で結成。メンバーチェンジを経て、88年に現在の、増子直純(ますこなおずみ vo)、上原子友康(かみはらこともやす g)、清水㤗次(しみずやすつぐ b)、坂詰克彦(さかづめかつひこ d)という編成になりました。91年にアルバム『怒髪天』でメジャーデビューしましたが96年に活動休止。99年に、インディーズでのリリースとライヴを中心に活動を再開。ツアーや対バンライヴシ”トーキョー・ブロッサム”のシリーズ化などとともに、各地のフェスティバル・イベントでも常連になっていきました。2004年にはメジャーからのCDリリースも再開、精力的に活動を展開しています。

Dragon Ash

Dragon Ash(どらごん あっしゅ) 1996年に結成し、翌年にミニアルバム『The Day dragged on』でメジャーデビュー。99年発表の4作目のシングル「Let youreself go,Let myself go」、続く5作目「Grateful Days」が立て続けにヒットし、一躍トップアーティストとなりました。デビュー以来、HIP-HOP、パンク、オルタナティヴロック、ラテンなど多種多様なジャンルを取り込みながら、独自の音楽活動を展開中。各メンバーも様々な活動に積極的で、ミュージックシーンにおいて目が離せない存在となっています。

DREAMS COME TRUE

Dreams Come True(どりーむず かむ とぅるー) 1988年結成。89年にシングル「あなたに会いたくて」とアルバム『Dreams Come True』でメジャーデビューし、92年に発表した5作目のアルバム『The Swinging Star』が300万枚を超えるセールスを記録します。その後も、「晴れたらいいね」「LOVE LOVE LOVE」「朝がまた来る」「何度でも」など多くの名曲を生み出し、稀代のヒットメーカーとなりました。91年からは、ファン投票を基に選曲される4年に一度の大規模ライヴイベント「史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND」を開催し、多くのファンを魅了しています。

bottom of page