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アーティスト アーカイヴ

鈴木さえ子

鈴木さえ子

鈴木さえ子(すずきさえこ)  1957.3.14、東京生まれ。クラシックピアノを学び、音楽学校に進学しますが、ロックにも興味を持ちドラマーとしての活動も始めます。80年、松尾清憲が結成したバンドCINEMAに加入しますが81年に解散。その後、スタジオミュージシャンとしての活動と並行して、FILMS、坂本龍一B2-UNITなどにも参加、泉谷しげるのステージサポートも行っています。83年にアルバム『毎日がクリスマスだったら』でソロデビューして以来、先鋭的で音楽性豊かな音楽を発表し、高い評価を受けました。90年代に入り、活動は単発的になりますが、2004年には『ケロロ軍曹オリジナルサウンドケロック』をリリースするなど、再び活動は活発になります。07年にはCINEMAの再結成にも参加しています。

鈴木茂

鈴木茂

1951年12月20日、東京都出身。高校生時代、林 立夫、小原 礼とスカイを結成し、東京のシーンで注目されていました。1970年、はっぴいえんどのギタリストとしてアルバム『はっぴいえんど』でデビュー。はっぴいえんどでは、ギタリストとしてだけでなく、ソングライターとしても頭角を現していきます。はっぴいえんど解散後は、キャラメル・ママ、ティン・パン・アレイに参加。75年、アメリカレコーディングによるアルバム『バンド・ワゴン』でソロ・デビュー。その後、ソロ活動と並行して、ギタリスト、アレンジャーとしても活躍しています。

鈴木祥子

鈴木祥子

1965年8月21日生まれ、東京都大田区出身のシンガー・ソングライター。中学からピアノを習い始め、高校よりドラムを学ぶ。原田真二&クライシス、ビートニクス、小泉今日子らのライヴにパーカッション、キーボードで参加。88年9月、シングル「夏はどこへ行った」でソロ・デビューを果たす。以降、90年代初期のガールズ・ポップ・シーンを牽引しながら、数多くの作品を発表。小泉今日子「優しい雨」をはじめ、他アーティストへの楽曲提供やユニット参加などでも活躍。

鈴木雅之

鈴木雅之

鈴木雅之(すずき まさゆき) 1956.9.22.東京都出身。75年にシャネルズ(後のラッツ&スター)を結成し、85年に解散するまで中心メンバーとして活動。86年、シングル「ガラス越しに消えた夏」でソロデビューし、「もう涙はいらない」など、その美声を生かした多くのヒット曲を生み出しています。

鈴木康博

鈴木康博

鈴木康博(すずきやすひろ)  1948.2.18生まれ。静岡県出身。小学生時代に小田和正と知り合い、オフコースを結成し、中心メンバーとして活動。しかし、82年6月の日本武道館ライヴを最後に脱退。83年にシングル「愛をよろしく」、アルバム『Sincerely』でソロデビューしました。ありのままの自分を写し取っていくような味わいのある作品をコンスタントにリリースするとともに、山本潤子、吉川忠英とPeter,Paul & Maryを歌ったり、山本潤子(赤い鳥、ハイファイ・セット)、細坪基佳(ふきのとう)とユニットSong For Memoriesを結成するなど、フォークソングの原点ともいえる活動も展開しています。

スターキング・デリシャス

スターキング・デリシャス

スターキングデリシャス(すたーきんぐでりしゃす)  1974年頃、大阪で6人編成のロックバンドとして結成されました。初期のメンバーには、岩本一郎(いわもといちろう d)、角谷安彦(かどややすひこ b)、増田敏郎(ますだとしろう g)、仲 豊夫(なかとよお g)、他がいました。翌75年、大幅なメンバーチェンジを行って、大上留理子(おおがみるりこ)など3人の女性シンガーと3人のホーンセクションが入った大型ソウルバンドととなります。この年の「8.8 Rock Day’75」で優秀バンド賞と大上がベストボーカル賞を受賞し注目を集めます。77年、スターキングデリシャスの唯一のアルバム『スターキングデリシャスライブ』がリリースされますが、この時のメンバーは、大上留理子(vo)、西浦幸子(にしうらゆきこ vo)、北川進太郎(きたがわしんたろう g)、平山国次(ひらやまくにつぐ g)、小島良喜(こじまよしき kb)、東山光良(ひがしやまみつよし b)、岩本一郎(d)、辻川雅治(つじかわまさはる trmp)、池田トール(いけだとーる sax)、三浦束洋司(みうらつよし sax)でした。ライヴバンドとしても高い人気を得ていましたが、このアルバムリリース後に解散しています。

スターダストレビュー

スターダストレビュー

スターダストレビュー 根本 要(ねもと かなめ vo、g)を中心に1979年に結成され、関東のアマチュアシーンで注目されていたバンド「(ジプシーと)アレレのレ」が、81年のレコードデビューに際して「スターダストレビュー」と改名しました。根本以外のメンバーは、三谷泰弘(みたに やすひろ kb)、柿沼青史(かきぬま きよし b)、寺田正美(てらだ まさみ d)、林 紀勝(はやし としかつ perc)。シングル「シュガーはお年頃」、アルバム『STARDUST REVIEW』でデビュー。卓越した演奏力とコーラスワーク、そしてサービス精神あふれるステージングでライヴアーティストとして根強い支持を受けています。

スチャダラパー

スチャダラパー

日本のヒップホップ・ユニット。メンバーはBOSE(MC)、ANI(MC)、SHINCO(DJ)の3名。名前は“スチャラカでスーダラなラッパー”の意。1988年に結成し、90年のアルバム『スチャダラ大作戦』でデビュー。94年に小沢健二とのシングル「今夜はブギー・バック」をヒットさせ、ヒップホップをJ-POPのメインストリームに押し上げることに成功。以来、長きにわたり日本のヒップホップ・シーンのトップランナーとして活躍。

THE STREET SLIDERS

THE STREET SLIDERS

THE STREET SLIDERS(ざ すとりーと すらいだーず) 1980年結成。東京・福生をホームに活動を開始すると“リトル・ストーンズ”と称され、注目を集めました。83年にアルバム『SLIDER JOINT』とシングル「BLOW THE NIGHT!」でメジャーデビュー後も、圧倒的なライヴパフォーマンスで人気を得ます。途中、活動休止期間を挟みながらも、独特の存在感を持ち続けたまま、20年間不動のメンバーを貫き、2000年に解散しました。

須藤薫

須藤薫

須藤薫(すどう かおる) 1954.5.1.東京都出身。学生時代からシンガーとして活動を行っていましたが、79年に、荒井由実・作詞のシングル「やさしい都会」でレコードデビュー。80年のファースト・アルバム『CHEF’S SPECIAL』でオールディズ・テイストを打ち出し、81年のシングル「あなただけI LOVE YOU」(作詞・作曲:大瀧詠一)、82年の松任谷由実、杉真理とのジョイントコンサート「WONDERFULL MOON」なども話題となりました。
93年、アーティスト活動から引退しましたが、98年に杉真理とのジョイントで活動再開。しかし、2013年3月3日、骨髄異形成症候群のため死去。

SPITZ

SPITZ

スピッツ 1987年に草野マサムネ(くさの まさむね vo)、三輪テツヤ(みわ てつや g)、田村明浩(たむら あきひろ b)、崎山龍男(さきやま たつお d)により結成。新宿や渋谷を中心に活動をスタートさせ、ワンマンライヴで300人を動員するなど、着実に人気を獲得。90年に6曲入りのミニアルバム『ヒバリのこころ』をインディーズレーベルからリリースします。翌91年にはシングル「ヒバリのこころ」とアルバム『スピッツ』でメジャーデビューしました。以来、「ロビンソン」「涙がキラリ☆」などのヒット曲を誕生させ、ドラマの主題歌に起用された「空も飛べるはず」でトップアーティストの座を不動のものとします。97年からは多彩なアーティストを招いてのイベント「ロックロックこんにちは!」を主催しています。

スペースサーカス

スペースサーカス

スペースサーカス 1976年、佐野行直(さの ゆきなお g)、小川宣一(おがわ よしかず d)らが結成していた学生グループに岡野ハジメ(おかの はじめ b)が参加し、スペース・サーカスとしての本格的な活動が始まりました。プログレ色の強いテクニカルな演奏が注目され、78年にアルバム『FUNKY CARAVAN』をリリース。スペースサーカスは、大きなヒット作は残せないまま2枚のアルバムを残して解散しましたが、その後、大きなムーブメントになるフュージョン・サウンドの先駆的作品として、再評価されています。

SUPERCAR

SUPERCAR

1995年、青森県八戸市で中村弘二、いしわたり淳治、フルカワミキ、田沢公大の4人で結成。1997年デビュー。オルタナティヴ・ロックバンドとして注目を集めつつ、作品を発表するごとにエレクトロ・バンドへ変わっていった。バンドとして人気・実力とも抜き出た存在へと成長したが、2005年2月のライヴ終了をもって惜しまれながら解散。

頭脳警察

頭脳警察

頭脳警察(ずのうけいさつ) 1969年末に、パンタ(vo)、トシ(ds)、左右栄一(さゆう えいいち g)、粟野 仁(くりの ひとし b)のメンバーで結成されましたが、71年にはパンタとトシの二人編成に。パンクの先取りともいうべき激しいメッセージ・ロックは強いインパクトを感じさせるものでした。72年、ファーストアルバムが発売中止になり、同じ年に発売された『頭脳警察セカンド』も発売1ヵ月で回収になったというエピソードもその過激さを物語っています。その後も、レコードやライヴで強いインパクトを与えていきますが、75年に解散。90年から91年に一時復活し、その後も断続的に活動を続けています。

ZOO

ZOO

ZOO(ずー) 1989年放送のダンス番組「DADA L.M.D」を機に結成されたコンテンポラリーダンスグループ。90年にシングル「Careless Dance」でメジャーデビューしました。91年に発表した「Choo Choo TRAIN」がJR東日本のキャンペーンソングに起用されて大ヒットし、華やかなダンスと伸びのあるヴォーカルで人気を得ます。95年の解散後も各メンバーはダンサーやインストラクターとしての活動を継続。HIROはヴォーカル&ダンスユニット「EXILE」を率いるリーダーとなり、活躍の場を広げています。

センチメンタル・シティ・ロマンス

センチメンタル・シティ・ロマンス

センチメンタル・シティ・ロマンス 1973年、中野督夫(なかの とくお vo、g)、細井 豊(ほそい ゆたか kb)、加藤文敏(かとう ふみとし b)、田中 毅(たなか つよし d)というメンバーで活動していた名古屋のロックバンドに、東京で音楽活動をしていた告井延隆(つげい のぶたか vo、g)がリーダーとして参加し、センチメンタル・シティ・ロマンスが誕生しました。ウエストコーストサウンドをベースにした演奏スタイルで人気を集め、75年にアルバム『センチメンタル・シティ・ロマンス』をリリース。同年、田中に替わってシュガーベイブの初代ドラマーだった野口明彦(のぐち あきひこ)が加入しました。現在も、マイペースな活動を続けています。

ZELDA

ZELDA

ZELDA(ぜるだ) 小嶋(こじま)さちほ(b)を中心に1980年に結成。82年にアルバム『ZELDA』でメジャーデビューしました。幾度のメンバーチェンジを繰り返しながら作品を発表。ニューウェーブ、ブラックミュージック、ファンク、民族音楽など多彩で多様な要素を取り入れた楽曲を生み出し、日本のガールズバンドの先駆けとなります。96年のアルバム『虹色のあわ』の発表を最後に解散しました。

ソウル・フラワー・ユニオン

ソウル・フラワー・ユニオン

ソウル・フラワー・ユニオン(そうるふらわーゆにおん)  1993年、同時に解散したニューエスト・モデルとメスカリン・ドライヴのメンバーにより結成されました。初期のメンバーは、中川 敬(なかがわたかし vo、g)、伊丹英子(いたみひでこ ブズーキ、他)、奥野真哉(おくのしんや kb)、河村博司(かわむらひろし g)、伊藤孝喜(いとうこうき d)、JIGEN(じげん b)。同年12月にシングル「世界市民はすべての旗を降ろす」でデビュー。ロック、ジャズ、民謡、民族音楽など、幅広い音楽性を大胆に取り入れた個性的でインパクトあふれる音楽性で、圧倒的な存在感を示していきます。また、ソウル・フラワー・ユニオンとしての活動と並行して、95年1月の阪神淡路大震災をきっかけに結成されたアコースティック・ユニットのソウル・フラワー・モノノケ・サミットでも、積極的な活動を展開しています。

ソー・バッド・レビュー

ソー・バッド・レビュー

ソー・バッド・レビュー 1976年、ウエストロード・ブルース・バンドを脱退した山岸潤史(やまぎし じゅんし g)と石田長生(いしだ おさむ g)、北 京一(きた きょういち vo)が中心となり、砂川正和(すながわ まさかず vo)、永本 忠(ながもと ただし b)、土居正和(どい まさかず d)、国府輝幸(こくぶ てるゆき kb)、チャールズ清水(しみず kb)で結成したソウル・グループ。76年にアルバム『SOOO BAAD REVUE』をリリースしましたが、同年解散。

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