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アーティスト アーカイヴ

UA

UA

UA(うーあ) 1972.3.11.大阪府出身。1995年にシングル「HORIZON」でメジャーデビュー。96年発表の3作目シングル「太陽手に月は心の両手に」がCMソングに起用されると、圧倒的な歌唱力が話題を呼びました。続く4作目の「情熱」でブレイクし、同年リリースのアルバム『11』は90万枚を超えるセールスとなります。ソウルフルな歌声でトップ女性アーティストとしての位置を築く一方で、『水の女』『大日本人』などの映画作品や「私立探偵 濱マイク」などのドラマにも出演し、女優としても活躍しています。

エイプリルフール

エイプリルフール

フローラルというGS(グループ・サウンズ)のメンバーだった小坂 忠(こさか ちゅう、vo)、菊池英二(きくち えいじ、g)、柳田ヒロ(やなぎだ ひろ、kb)と、柳田ヒロの兄と活動していた細野晴臣(ほその はるおみ、b)、そして細野とバーンズというグループを組んでいた松本 隆(まつもと たかし、d)が1969年に結成したバンド。当時のアメリカのロック・ムーブメントの影響を強く受けながらも、オリジナル曲を中心にしたレパートリーと優れた演奏力で注目され、アメリカのロック誌にも紹介されています。69年9月にアルバム『APRYL FOOL』を発表しましたが、メンバーの方向性の食い違いから同じ月に解散。細野と松本ははっぴいえんどを結成して活動することになります。

エコーズ

エコーズ

ECHOES(えこーず) 辻仁成(つじじんせい Vo、g)と今川勉(いまがわつとむ d)を中心に東京で結成。メンバーチェンジを経て、辻、今川、伊藤浩樹(いとうひろき g)、伊黒俊彦(いぐろとしひこ b)となり、ライヴシーンを中心に精力的に活動。ブリティッシュ・ニューウエイヴ・ロックに通じるサウンドで注目され、85年にシングル「Bad-Morning」、アルバム『WELCOME TO THE LOST CHILD CLUB』でレコードデビューしています。ストレートなビートサウンドと、辻仁成の鋭い詞の感覚で根強い支持を受け、89年には「ZOO」をスマッシュヒットさせています。91年に解散後は単発的な再結成があっただけでしたが、2011年9月、オリジナルメンバーが集まって福島でライヴ、同年12月には東京でもライヴが行われています。

EGO-WRAPPIN'

EGO-WRAPPIN'

大阪府出身の音楽ユニット。メンバーは中納良恵(vo)森雅樹(g)。1996年に結成し、関西を中心に活動を展開。その後、拠点を東京へ移す。98年に『BLUE SPEAKER』でアルバム・デビュー。2000年の「色彩のブルース」がキャバレー音楽や昭和歌謡をルーツにした独自の世界観として話題を呼び、ロングヒット。2002年にはドラマ主題歌となった「くちばしにチェリー」でも脚光を浴びる。以降、作品ごとに斬新な音楽性を発揮、国内外のライブで活躍を続ける。

X JAPAN

X JAPAN

X JAPAN(えっくす じゃぱん) 1982年にYOSHIKI(よしき d、p)とTOSHI(とし vo)を中心に「X」を結成。インディーズ時代に絶大な人気を獲得し、89年にアルバム『BLUE BLOOD』でメジャーデビュー。きらびやかなルックスと確かな演奏力から生まれるサウンドを魅力に“ヴィジュアル系”バンドの先駆者的な存在となりました。人気の絶頂にあった97年に解散しますが、2007年に活動再開を宣言し、08年に東京ドームで3日間に渡る復活ライヴを開催。アメリカやヨーロッパ、アジアなどでも高い支持を得ています。

EPO

EPO

EPO(えぽ) 1960.5.12.東京都出身。セッション・ヴォーカリストなどを経て、80年にシュガーベイブのカバー「DOWN TOWN」でレコードデビュー。この曲はテレビの人気番組『オレたちひょうきん族』のエンディングテーマ曲としてオンエアされました。引き続き同番組のエンディングテーマ曲となった「土曜の夜はパラダイス」、CMに使用された「う、ふ、ふ、ふ、」などをヒットさせます。その後、自分の音楽性の深化をめざして87年から91年までイギリスに住み、Virginレコードからレコードをリリース。その後も、ワールドミュージック的な視点と豊かな人間性を感じさせる作品をコンスタントに発表しています。

L⇔R

L⇔R

L⇔R(える あーる)  黒沢健一(くろさわ けんいち vo、g)、黒沢秀樹(くろさわ ひでき g、vo)の兄弟と木下裕晴(きのした ひろはる b)により1991年に結成。同年、ミニアルバム『L』でメジャーデビューしました。ポップで美しいメロディがファンを魅了し、「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」や「Hello,It’s Me」などのヒットを続けますが、97年に突然の活動休止を発表。各メンバーはソロやプロデュース活動に移行し、意欲的な作品を生み出しています。

エレファントカシマシ

エレファントカシマシ

エレファントカシマシ(えれふぁんとかしまし) 東京の中学校で出会った宮本浩次(みやもとひろじ vo、g)、石森敏行(いしもりとしゆき g)、富永義之(とみながよしゆき d)を中心に81年に結成されたバンド。86年に高緑成治(たかみどりせいじ b)が参加し、メンバーはこの4人で固定されました。88年、シングル「デーデ」とアルバム『THE ELEPHANT KASHIMASHI』でレコードデビュー。激しいビートの中に深い情念を感じさせるサウンドで独自の存在感を発揮していきますが、97年のシングル「今宵の月のように」、アルバム『明日に向かって走れ―月夜の歌―』の大ヒットでブレイク。その後も自分たちの音楽性をストレートに打ち出して活動を続けています。

遠藤賢司

遠藤賢司

遠藤賢司(えんどう けんじ) 1947.1.13.茨城県出身。69年「ほんとだよ」でURCからレコードデビュー。関西勢中心のフォークシーンで脚光を浴び、中津川で行われた全日本フォークジャンボリーにもすべて参加しています。アコースティックギターの繊細な弾き語りから激しいシャウトまでを含むバラエティ豊かな演奏スタイルを「ハードフォーク」と呼び、89年には遠藤賢司バンド(湯川トーベン b、嶋田吉隆 d)を結成するなどそのスタイルをエスカレートさせています。精力的で個性にあふれる音楽表現は、世代を越えて注目されています。

及川光博

及川光博

及川光博(おいかわみつひろ) 1969.10.24生まれ、東京出身。演劇の志向ももっていましたが、95年にシングル「S.D.R.」でインディーズデビューし、翌96年にシングル「モラリティー」でメジャーデビュー。王子様的なキャラクター設定で、女性ファンを巻き込んだパフォーマンスを展開するなど、演出と音楽表現を連動させた遊び心のある独創的なエンターテイメント世界をつくりだし、人気を集めています。21世紀に入るころから俳優としての活動にも力を入れ、ドラマや舞台で活躍しています。

大江千里

大江千里

大江千里(おおえせんり) 1960.9.6東京生まれ。生後間もなく大阪に転居。早くからピアノを習い、中学生時代には作曲も始めていました。大学時代に結成していたバンドがレコード会社の目に留まりましたが、シンガーソングライターとしてデビューすることになり、83年にシングル「ワラビーぬぎすてて」、アルバム『WAKU WAKU』をリリース。その後、ポップな音楽センスと親しみやすいキャラクターで人気者となり「十人十色」「格好悪いふられ方」などのヒット曲を送り出すとともに、ソングライターとしての楽曲提供や俳優などとしても活躍しました。また、95年の阪神淡路大震災に際しては、積極的にチャリティ活動を行っています。2007年、これまでの音楽活動に区切りをつけ、ジャズピアニストを目指してニューヨークに渡り、2012年、ジャズピアニストとして初のアルバム『Boys Mature Slow』をアメリカと日本でリリース。

大黒摩季

大黒摩季

大黒摩季(おおぐろ まき) 12月31日、北海道生まれ。プロの歌手を目指して単身で状況し、オーディションを経て、コーラスを中心に活動を始めます。1992年、優れた歌唱力が評価されて「STOP MOTION」でデビュー。セカンドシングル「DA・KA・RA」が大ヒットし、この年のレコード大賞新人賞を受賞します。その後、「チョット」「夏が来る」など大ヒットを次々と送り出しました。初期はレコーディング活動が先行していましたが、97年から本格的なライヴ活動もスタートさせました。2000年は充電期間として活動を休止、2001年に活動を再開、それまでより幅広いスタンスで活動を展開していきましたが、現在は病気治療のため活動を休止しています。

大澤誉志幸

大澤誉志幸

大澤誉志幸(おおさわよしゆき) 1957.10.3東京都に生まれる。高校生時代からバンド活動をしていましたが、大学生の時に結成したバンド、クラウディ・スカイのヴォーカリストとして、81年にレコードデビュー。同年末にクラウディ・スカイが解散すると、単身ニューヨークに渡り約一年滞在しました。帰国後、作曲家として沢田研二の「おまえにチェックイン」「晴れのちBlue Boy」、中森明菜の「1/2の神話」、山下久美子の「こっちをお向きよソフィア」、吉川晃司の「ラ・ヴィアンローズ」らのヒット曲を手掛けるとともに、自らも83年にシングル「彼女には判らない」でアーティストデビュー。84年には「そして僕は途方に暮れる」をヒットさせました。<!-- 98年、作家、プロデュース活動に専念するためにアーティスト活動を休止しましたが、2002年に活動を再開。その時に大沢誉志幸から大澤誉志幸と表記を変えています。 -->

大滝詠一

大滝詠一

1948年7月28日、岩手県出身。1969年、エイプリルフールを解散した細野晴臣(ほその はるおみ)と松本隆(まつもと たかし)、さらにギタリスト鈴木茂(すずき しげる)とヴァレンタイン・ブルーを結成。その後、ヴァレンタイン・ブルーははっぴいえんどと名を替えました。大滝詠一(当時の表記は大瀧)は、はっぴいえんどの活動中にもソロ名義でレコードを出していましたが、はっぴいえんどの解散後、自らのレーベル、ナイアガラを発足させます。ナイアガラでは大滝詠一の作品だけでなく、シュガー・ベイブをデビューさせるなど、プロデューサーとしても活動。70年代は、趣味性が強いアーティストとされていましたが、81年、『A LONG VACATION』の大ヒットで、そのクオリティの高さが広く知られることとなります。圧倒的な存在感を持つと同時に、きわめて寡作なアーティストとしても有名。

太田裕美

太田裕美

太田裕美(おおた ひろみ) 1955.1.20.東京都出身。早くから音楽学校に通いながらスクールメイツのメンバーとして活動。73年にはNHKの「ステージ101」にヤング101のメンバーとして出演していました。74年、シングル「雨だれ」でレコードデビュー。アイドルでありながら、フォーク的な匂いを感じさせるピアノの弾き語りというスタイルで注目されました。75年には松本 隆が作詞を手がけた「木綿のハンカチーフ」のヒットで、歌謡曲とニューミュージックのかけ橋的な存在として認知されることになります。太田裕美自身も、シンガー・ソングライター色を深めるとともに、さまざまなミュージシャンとのコラボレーションなど積極的なアプローチを展開していきました。現在も、母親としてのスタンスを軸にしながらマイペースで音楽活動を続けています。

大塚博堂

大塚博堂

1944年3月22日生まれ、大分県別府市出身のシンガー・ソングライター。当初ジャズ・シンガーとして活動し、72年に“大塚たけし”名義で歌手デビュー。不遇な時を過ごすものの、クラブでの弾き語りの活動などが評判になり、32歳となった76年6月に『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』で再デビュー。これが評価され、“愛を唄う吟遊詩人”として徐々に人気を高めていく。代表作は「めぐり逢い紡いで」「過ぎ去りし想い出は」「季節の中に埋もれて」など。81年5月18日に脳内出血のため37歳で急逝。

大塚まさじ

大塚まさじ

大塚まさじ オオツカ・マサジ
1950年3月18日生まれ、大阪府茨木市出身のフォーク・シンガー。69年、19歳の時に大阪・難波元町の喫茶店“ディラン”を開店。西岡恭蔵、中川イサト、友部正人、加川良らと出会う。70年に西岡恭蔵、永井洋らと“ザ・ディラン”、71年に永井ようと“ザ・ディランII”を結成。「男らしいって解かるかい/プカプカ」でデビューを果たす。74年の解散までにアルバム5枚を発表。76年、「遠い昔ぼくは…」でソロ・デビュー。以降、関西を中心に活動を展開。85年からは全国一周ひとり旅ツアーを開始。また、俳優や著述、ラジオパーソナリティとしても活躍。

大貫妙子

大貫妙子

1953年11月28日、東京都出身。高校生時代からアマチュアで活動を始めました。セッションを通じて山下達郎と出会い、73年にシュガー・ベイブを結成。75年に『SONGS』でレコード・デビュー。76年、シュガー・ベイブの解散によってシンガー・ソングライターとしてソロ活動に入り、同年ソロ・アルバム『Gray Skys』を発表。その後、コンスタントに作品を発表していきますが、80年代初期、ヨーロッパ的ロマンティシズムの感覚を取り入れた作品で独自の世界を確立。その後も高い音楽性に裏打ちされた透明感あふれる作品をクリエイトし続けています。

大橋純子

大橋純子

1950年4月26日 北海道生まれ。藤女子短期大学在学中に北海道大学の軽音楽サークルに入り、ロック・バンド“ジェット・マシーン”のリード・ヴォーカルとして活躍。卒業後上京し74年デビュー。77年には美乃家セントラル・ステーション名義でバンド活動。「たそがれマイ・ラブ」のヒットを経て、82年「シルエット・ロマンス」で日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞。

大村憲司

大村憲司

大村憲司 オオムラ・ケンジ
1949年5月5日生まれ、兵庫県神戸市出身のギタリスト/作曲家/アレンジャー。69年にコンテストのロック部門で優勝。渡米を経て、“赤い鳥”に参加するも73年に脱退。その後、エントランス、バンブー、カミーノとバンドを結成。80年にはYMOのツアーに参加。以降、80年代はアレンジャーとしても活躍。山下久美子、大江千里、本田美奈子らの楽曲を手掛ける。80年代後半から90年代前半にはギタリストとして後藤次利作品を中心に参加。“ミュージシャンズ・ミュージシャン”として名を馳せたが、98年11月18日に49歳で死去。

岡林信康

岡林信康

岡林信康(おかばやし のぶやす) 1946.7.22.滋賀県出身。67年、滋賀のキリスト教教会で行なわれたフォーク集会で高石ともやと出会い、自作の曲を歌うようになります。68年に「山谷ブルース」でレコードデビュー。社会的タブーにも鋭く踏み込んだメッセージ色の強い曲を発表し、多くのミュージシャンに影響を与え、フォークシーンをリードする存在になります。70年には、はっぴいえんどをバックバンドに起用してロック色を打ち出すなど、次第にその音楽の幅を広げていき、演歌、ポップス、民謡などを消化しながら自分ならではの表現を模索しつつ、現在も活動を続けています。

岡村孝子

岡村孝子

岡村孝子(おかむら たかこ) 1962.1.29、愛知県生まれ。大学の同級生だった加藤晴子(かとう はるこ)とデュオグループ、あみんを結成し、82年に「待つわ」(作詞作曲:岡村孝子)でレコードデビューしました。あみんは83年いっぱいで活動休止となりましたが、85年10月にシングル「風は海から」、アルバム『夢の樹』でソロデビュー。87年にリリースした「夢をあきらめないで」が多くの人に愛され、音楽教科書にも掲載されるなど、シンガーソングライターとして活躍。07年からはあみんとしての活動も再開しています。

岡村靖幸

岡村靖幸

岡村靖幸(おかむら やすゆき) 1965.8.14.兵庫県出身。高校生の頃から音楽に取り組み、ソングライターとして渡辺美里、吉川晃司らに楽曲を提供していきます。86年、自らもシングル「OUT OF BLUE」でアーティストとしての活動をスタート。優れた楽曲とアクティブなパフォーマンスで人気を集め、「だいすき」「どぉなっちゃってんだよ」などをヒットさせていきます。90年代半ばからは、他のシンガーへの楽曲提供やプロデュースを中心としていますが、アーティストとしての活動も断続的に行っています。

岡本真夜

岡本真夜

岡本真夜(おかもと まよ) 高知県出身。1月9日、高知県生まれ。高校卒業後、音楽家を目指して上京、曲作りを中心に活動し、1995年に自作曲「TOMORROW」でデビュー。「TOMORROW」は大ヒットし、この年のNHK「紅白歌合戦」に出場。これが初のテレビ出演でした。その後も「FOREVER」「そのままの君でいて」などのヒット曲を送り出す一方、ソングライターとしても活躍し、石井聖子、広末涼子、岩崎宏美など、多くの歌手に楽曲を提供、プロデューサーとしても活躍していきます。テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」のエンディングテーマ「アララの呪文」の作曲も手がけています。

奥田民生

奥田民生

奥田民生(おくだ たみお) 1965.5.12.広島県出身。1986年、UNICORNにヴォーカリストとして加入し、87年レコードデビュー。バンド在籍中にも、ソロシングル「休日/健康」をリリースしたり、JUN SKY WALKER(S)の寺岡呼人とユニットを組んだりしていましたが、93年にUNICORNが解散すると、94年のシングル「愛のために」をきっかけに本格的なソロ活動をスタート。さらに96年にはプロデューサーとして女性デュオグルーフPUFFYを手がけたり、97年には井上陽水とのユニット「井上陽水奥田民生」を結成し、アルバム『ショッピング』をリリースするなど、多彩な活動を展開しています。

小椋佳

小椋佳

小椋 佳(おぐら けい) 1944.1.18.東京都出身。東京大学在学中の66年、自主制作された天井桟敷のアルバム『初恋地獄篇』の音楽を担当。67年の東京大学卒業後は日本勧業銀行(現みずほ銀行)に入社し、銀行員として働く一方、71年にデビューアルバム『青春~砂漠の少年』を発表します。以来、年一枚のペースでアルバムをリリース。正体不明の匿名シンガー・ソングライターながら『彷徨』(72年)が100万枚を越すビッグヒットを記録、その音楽は多くのリスナーに支持されました。76年に初のコンサートを行いますが、特別な時以外はほとんど人前に姿を見せませんでした。93年に銀行を退社して以降は、ステージを含めた音楽活動を精力的に展開しています。

尾崎亜美

尾崎亜美

尾崎亜美(おざき あみ) 1957.3.19.京都府出身。子供時代にクラシックピアノを習い、16歳頃から作詞・作曲を手がけはじめます。76年に「瞑想」でレコードデビュー。翌年、「マイ・ピュア・レディ」がCMに使われてヒットし、ポップ・テイストあふれるシンガー・ソングライターとして脚光を浴びました。他のシンガーへの楽曲提供も多く、南沙織「春の予感」、杏里「オリビアを聴きながら」、松田聖子「天使のウィンク」などのヒット曲を送り出しています。

尾崎豊

尾崎豊

尾崎 豊(おざき ゆたか) 1966.11.29.東京都出身。16歳の頃に曲をつくり始め、ステージも経験。82年にCBSソニーオーディションに合格し、83年にシングル「15の夜」とアルバム『十七歳の地図』でシンガー・ソングライターとしてレコードデビューしました。鮮烈なメッセージをもった尾崎 豊の作品は、若い世代の圧倒的支持を受けました。その後もストイックに自分と向き合い、身を削るように作品を生み出していきましたが、92年に肺水腫のため死去。

小沢健二

小沢健二

小沢健二(おざわ けんじ) 1968.4.14.神奈川県出身。1989年に「フリッパーズ・ギター」のメンバーとしてデビュー。91年の解散後はソロ活動をスタートさせ、『犬は吠えるがキャラバンは進む』『LIFE』『球体の奏でる音楽』などのアルバムを発表。ヒップポップやソウルの要素をミックスしたサウンドで人気を集めましたが、98年にシングル「春にして君を想う」をリリースしたあと渡米し、活動を休止します。その後、2002年の全編N.Yレコーディングとなる『Eclectic』、06年のヴォーカルレス作品『Ecology Of Everyday Life 毎日の環境学』を発表。10年には13年ぶりの全国ツアーを実施し、寡作ながら現在も根強い支持を受けています。

小田和正

小田和正

1947年9月20日、神奈川県出身。中学生、高校生時代は野球に熱中するとともに音楽に関心をもち、高校時代には自らグループを結成してステージに立つようになります。そして、友人と結成したフォークソング・グループを母体にしたオフコースで70年にレコード・デビュー。小田和正は、その中心メンバーとして「さよなら」「Yes-No」など多くのヒット曲を送り出しました。オフコースが89年に解散してからもソロ・アーティストとして活動し、280万枚を売り上げた「ラブ・ストーリーは突然に」(91年)をはじめ、オフコース時代に負けない活躍を見せています。その一方、映画監督としても『いつか どこかで』(92年)、『緑の街』(97年)などの作品を手掛けたり、2001年から毎年スペシャル番組「クリスマスの約束」を制作するなど、多彩な活動も展開。現在も、トップ・アーティストとして精力的に活動を続けています。

小谷美沙子

小谷美沙子

小谷美紗子(おだにみさこ) 1976.11.4、京都府生まれ。早くから作詞・作曲を始め、高校生時代にオーストラリアに留学していた間も曲作りを続けていたといいます。96年、シングル「嘆きの雪」でデビューし、ライブ活動も展開していきます。ピアノの弾き語りを中心にしたその演奏は、高い音楽性で根強い支持を受けています。2003年には、小谷(vo)、田渕ひさ子(たぶちひさこ g)、池田貴史(いけだたかふみ kb)、二宮友和(にのみやともかず b)、玉田豊夢(たまだとむ d)でodani misako-ta-taを結成し、カバーミニアルバム『feather』をリリース。05年には、玉田豊夢、山口寛雄(やまぐちひろお b)と小谷美紗子Trioを結成し、レコーディングやライヴ活動を行っています。

鬼束ちひろ

鬼束ちひろ

鬼束ちひろ(おにつか ちひろ) 1980.10.30、宮崎県生まれ。高校時代にオーディションに合格し、卒業後に上京。2000年、シングル「シャイン」でデビュー。高い音楽性に裏打ちされた独特の世界観をもったシンガーソングライターとして注目され、セカンドシングル「月光」がヒット。サードシングル「眩暈」でレコード大賞作詞賞を受賞しています。その後、精力的に活動を展開し、02年には武道館コンサートも実現させました。この頃から、過密スケジュールなどによる体調不良により活動は断続的となりましたが、07年には2年7か月振りにシングル「everyhome」をリリース、08年にも4年8か月振りの単独コンサートを行っています。また、12年には初の洋楽カヴァーアルバム『FAMOUS MICROPHONE』をリリースしました。

小野リサ

小野リサ

小野リサ(おのりさ) 1962.7.29生まれ。ブラジル・サンパウロ出身。10歳で帰国、15歳頃からギターを弾き、ボサ・ノヴァを歌い始めています。89年、シングル「YOU’RE SO UNIQUE」でレコードデビューし、ブラジル・レコーディングを中心としたアルバムを精力的にリリース。そのクオリティの高さと親しみやすさで人気を集めました。その後も、アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ドナートなどの第一線ボサ・ノヴァ・アーティストとの共演や、ボサ・ノヴァに留まらない幅広い音楽にアプローチした作品を次々とリリースし、国際的スケールで活動を続けています。

オフコース

オフコース

横浜の高校生だった小田和正(おだ かずまさ)、鈴木康博(すずき やすひろ)らが結成したアマチュア・フォーク・グループが母体。彼らは別々の大学に進んでもグループ活動を続け、1969年の「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」の全国大会2位となったのをきっかけに、70年4月「群衆の中で」でデビュー。最初は3人編成でしたが、71年に地主道夫(じぬし みちお)が脱退。その後は小田、鈴木のデュオ・グループとして活動することになりますが、76年頃からドラム、ベースなどサポートメンバーを加えて多彩な音楽性を追求するようになります。79年、バックメンバーだった大間仁世(おおま ひとせ d)、清水 仁(しみず ひとし b)、松尾一彦(まつお かずひこ g)が正式加入し、オフコースは5人編成のバンドとなり、同じ年の「さよなら」をきっかけにブレイクします。しかし、82年、オリジナルメンバーの鈴木康博の脱退で活動を休止。その後、84年に残った4人で活動を再開し、89年に解散するまでトップグループとして活躍を続けました。

オメガトライブ

オメガトライブ

オメガトライブ(おめがとらいぶ) 杉山清貴(すぎやまきよたか)を中心としたアマチュアバンド、きゅうてぃぱんちょすが「ポピュラーソングコンテスト」で入賞したことをきっかけに、杉山清貴 & オメガトライブとして83年に「SUMMER SUSPICION」でデビュー。メンバーは杉山(vo)、高島信二(たかしましんじ g)、吉田健二(よしだけんじ g)、西原俊次(にしはらしんじ kb)、大島孝夫(おおしまたかお b)、廣石恵一(ひろいしけいいち d)。「ふたりの夏物語」などのヒットで脚光を浴びますが、85年に解散。86年、メンバーだった高島、西原とカルロス・トシキ(かるろすとしき vo)、黒川照家(くろかわみつや g)で1986オメガトライブとして「君は1000%」をリリースし、ヒットさせます。88年に黒川が脱退したのをきっかけに、カルロス・トシキ & オメガトライブと改名。「アクアマリンのままでいて」などをヒットさせましたが、91年に解散。

オリジナル・ラブ

オリジナル・ラブ

オリジナル・ラブ 田島貴男(たじま たかお) 1966.4.24.東京都出身。1985年、田島を中心に前身となる「レッドカーテン」を結成。87年には「オリジナル・ラヴ」に改名し、91年にシングル「DEEP FRENCH KISS」でメジャーデビューしました。同年発表のファーストアルバム『LOVE!LOVE!&LOVE!』が日本レコード大賞最優秀アルバム・ニューアーティスト賞を受賞。ドラマ主題歌に起用されたシングル「接吻 kiss」や「プライマル」がヒットし、人気アーティストとしての座を獲得しました。現在は田島貴男のソロユニットとして継続しており、「ボラーレ!(Nel Blu,Dipinto Di Blu)」や「なごり雪」などをカヴァーしたCM音楽制作やアルバムプロデュースなど、その活動は多岐に渡っています。

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